敷地の北西隅に建つ、三棟のうち最も古い建物

山中油店戌亥蔵(やまなかあぶらてんいぬいぐら)は、京都市上京区下立売通智恵光院西入下丸屋町508にある江戸後期文政期の土蔵で、平成19年(2007年)7月31日に国の登録有形文化財となった建物である。

同じ敷地に登録された三棟のうち、年代が最も古いのはこの蔵である。文化庁の国指定文化財等データベースは年代を「文政期/昭和2改修」、西暦で1818年から1829年および1927年改修と記録している。山中油店が現在地で創業したのも文政年間と伝わるので、蔵の建立と商いの始まりはほぼ同時期に重なることになる。

規模は桁行六間半、梁間二間半。東西に長い棟を持つ細長い箱形で、切妻造の桟瓦葺。建築面積62平方メートル。種別は「住宅」に分類されており、店舗として登録された主屋(種別「産業3次」)とは扱いが分けられている。

油商が土で建てた理由

土蔵造は、木の軸組を厚い土壁で包み、外側を白漆喰で仕上げる工法である。壁の厚さは30センチ前後に達することもあり、重く、手間もかかる。それで得られるものは耐火性である。

京都は繰り返し焼けた都市だった。天明8年(1788年)の大火では市街の大半が失われ、幕末にも大きな火災が続いている。町家の表側が木造である以上、家財を守る場所は敷地の奥に土で築くほかなかった。

ただ、この蔵の場合は用心という以上の必然がある。山中油店が扱っていたのは油である。菜種油も胡麻油も燃える。住居が密集した界隈で、木造の小屋に油の在庫を積み上げることは、店にとってのみならず近隣にとっての危険になる。土蔵造は装飾ではなく、この場所でこの商いを続けるための条件だった。

同社の説明では、山中油店は搾油業者ではなく仲買である。油は洛外の生産者が搾り、それを仕入れて都の中心で売った。したがってこの蔵は製造の場ではなく、仕入れた在庫を安全に置くための倉である。ここでは何も作られなかった。ものが守られていた。

「戌亥」は方位の名 ― 十二支で建物を呼ぶ習慣

戌亥(いぬい)は十二支方位の呼称で、戌が西北西、亥が北北西にあたり、その間の方角が北西である。実際にこの蔵は敷地の北西隅に建っている。名前がそのまま位置を示している。

対になる辰巳蔵も同じ理屈で、辰と巳のあいだ、すなわち南東の隅に建つ。商家では棟を方位で呼び分けるのが通例で、複数の蔵を持つ家では住所のように機能した。

二棟の年代差は約80年ある。戌亥蔵が文政期、辰巳蔵が明治33年(1900年)。同じ敷地に並ぶ二つの土蔵が、一軒の商家が時間をかけて構えを整えていった過程を示している。

解説文に記された細部を読む

内部は二室に分けられ、それぞれ南面に戸口を設けて両開の塗戸で閉じる。入口が二つあるということは、収める品を性格ごとに分けていたか、あるいはある時期に二軒で使い分けていた可能性を示す。

東側の室には二階床が張られている。屋根を高くせずに収納容積を稼ぐ手立てである。

小屋組は梁を二重にかけ、そのあいだに束を立てる形式。隣の辰巳蔵が地棟に登梁を架ける構法をとっているのとは異なる。同じ課題を別の解き方で処理しており、この違いは棟札のない建物の年代を推し量る手掛かりになる。

外壁は上部を白漆喰塗、下部の腰を板張とする。腰に用いられているのは焼板で、杉板の表面を焼いて炭化層をつくり、水と腐朽と虫を防ぐ。焼けば板は黒に近い色になる。辰巳蔵の腰が縦羽目板張であるのに対し、こちらは焼板張。文化庁の解説文もこの焼板張を「目をひく」と書き留めている。白い漆喰と黒い腰板の対比が、蔵の輪郭を引き締めて見せる。

見られるもの、見られないもの

正直に書いておきたい。戌亥蔵は私有地の奥、北西隅にある。下立売通からは見えず、内部の公開もなく、特別公開の予定も設けられていない。平成8年に始まった登録制度は所有者に公開の義務を課しておらず、全国の登録有形文化財の多くは、あくまで現役の私有財産である。

それでも、この住所を訪ねる価値はある。

  • 主屋の店舗は8時30分から17時まで営業。日曜・祝日休、年始と盆に休業。入店は無料で、江戸期の通り土間を内側から見ることができる。
  • もう一棟の登録蔵である辰巳蔵は、店の東側の庭越しに白い妻壁を通りから望める。二棟のうち一棟は実際に見られる。
  • その庭には「平安宮一本御書所跡」の石碑と説明板、池、水車が据えられている。一本御書所は流布した書物を一部だけ書写して保管した平安期の役所である。
  • 通りの向かい、下丸屋町512には同社が運営する町家の宿がある。登録有形文化財ではないが、その虫籠窓から主屋を眺める位置にある。

交通は市バス「丸太町智恵光院」下車徒歩3分。京都駅からは地下鉄烏丸線丸太町駅で市バスに乗り換える。京阪三条からは10号系統が同じ停留所に着く。通りに面した外観の撮影は差し支えないが、敷地奥をのぞき込むような行為は控えたい。この蔵に強い関心があるなら、店頭で尋ねるのが正しい順序である。

Q&A

Q山中油店戌亥蔵は見学できますか。特別公開はありますか?
A見学はできません。私有地の北西隅にあり下立売通からは見えず、内部公開も特別公開も行われていません。登録有形文化財には公開義務がないためです。訪問時に実際に見られるのは、主屋の店舗内部と、庭越しに望める辰巳蔵の妻壁になります。
Q山中油店戌亥蔵はいつ建てられた建物ですか?
A国指定文化財等データベースは文政期、西暦1818年から1829年の建立とし、昭和2年(1927年)の改修を記録しています。同じ敷地に登録された三棟のうち最も古く、山中油店が現在地で創業した文政年間とほぼ重なる年代です。
Q山中油店戌亥蔵の「戌亥」とはどういう意味ですか?
A十二支による方位の呼び方で、戌と亥のあいだ、すなわち北西を指します。この蔵は実際に敷地の北西隅に建っています。同じ敷地の辰巳蔵は辰と巳のあいだ、南東の意味で、こちらも南東隅に位置します。商家が複数の蔵を方位で呼び分けた慣習によるものです。
Q山中油店戌亥蔵はなぜ土蔵造なのですか?
A火災対策です。土蔵造は木の軸組を厚い土壁で包み白漆喰で仕上げる工法で、木造よりはるかに火に強い。京都は大火を繰り返した都市であり、加えてこの蔵が納めていたのは燃える商品である油でした。近隣への危険を抑える意味でも、土で建てる必要がありました。
Q山中油店戌亥蔵と辰巳蔵はどこが違うのですか?
A年代、向き、小屋組、腰の仕上げが異なります。戌亥蔵は東西棟で桁行六間半、62平方メートル。辰巳蔵は南北棟で桁行四間半、45平方メートル。小屋組は戌亥蔵が二重梁に束立、辰巳蔵が地棟に登梁。腰は戌亥蔵が焼板張、辰巳蔵が縦羽目板張です。

基本情報

名称山中油店戌亥蔵(やまなかあぶらてんいぬいぐら)
所在地京都府京都市上京区下立売通智恵光院西入下丸屋町508
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号26-0260 第55回登録 登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成19年(2007年)7月31日登録/同年8月13日登録告示
員数1棟
寸法土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積62平方メートル/桁行六間半、梁間二間半(東西棟)
所有者国指定文化財等データベースに所有者名の記載なし(敷地は株式会社山中油店が営業)
公開状況非公開。通りからも視認できない。主屋の店舗部分は営業時間内に見学可

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「山中油店戌亥蔵」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00006542
文化遺産オンライン「山中油店戌亥蔵」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/153145
文化庁 国指定文化財等データベース「山中油店辰巳蔵」(比較参照)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00006541
株式会社山中油店「山中油店のごあんない」(仲買としての沿革)
https://www.yoil.co.jp/ja/goannai
株式会社山中油店「店舗のごあんない」(営業時間・アクセス)
https://www.yoil.co.jp/ja/tenpo
京町家の宿「出水町家」(主屋向かいの町家宿)
https://www.machiya-inn.net/ja/machiya

最終更新日: 2026.07.30