陽明文庫第一文庫、文庫より先に建った蔵

建築面積73平方メートル。京都市街の北西、宇多野の山ふところに昭和13年(1938年)に完成した陽明文庫第一文庫は、それだけの大きさしかない平屋である。そして敷地の中で最初に建った。

当時の首相であり近衞家二十九代当主でもあった近衞文麿は、まずこの書庫一棟を建て、東京に置いていた累代の貴重資料をそこに納め、そのうえで同年11月に財団法人陽明文庫を発足させている。組織より先に、収蔵物の屋根があった。

納めるべきものは、普通の蔵書ではなかった。近衞家は摂政・関白を出しうる五摂家の筆頭であり、その家業は突き詰めれば記録の管理である。朝儀の日記、書状、目録、懐紙。それらを代々書き継ぎ、散逸を禁ずる家憲のもとで守り伝えてきた結果、集積は十数万点に達した。中核をなすのが藤原道長(966-1027)自筆の『御堂関白記』で、藤原氏の全盛期にその当人が記した日記が、千年を経て直系の家に残っている。国宝であり、ユネスコの世界の記憶にも登録されている。ほかに国宝七件、重要文化財六十件ほどが並ぶ。

これらを、燃えず、崩れず、そして静かに腐りもしない箱に収めなければならなかった。

土蔵の顔をしたコンクリート

第一文庫の前に立つと、輪郭は見慣れたものに見える。瓦屋根の下に低い直方体、窓の少ない壁。土蔵の形である。商家の帳簿を、寺の宝物を、農家の米を守ってきた、木と紙でできた国が編み出した防火の答えがそれだった。

似ているのは外側だけである。文化庁のデータベースは構造をそっけなく記す。鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺。土蔵は、近代的な構造体が着ている衣装にすぎない。

懐古趣味ではない。昭和13年の時点で、鉄筋コンクリートは大正12年(1923年)の関東大震災を生き残った素材として実績を持っていた。周囲の煉瓦と木材が倒れ、燃えるなかで、それは立っていた。応仁の乱を前にした文正元年(1466年)、代々の日記など五十箱を洛北岩倉の実相院へ運び出して戦火を逃れ、延宝三年(1675年)の京中の大火では家司ら五人が炎の入った文庫へ押し入って書籍・家宝・旧記の過半を運び出している。そういう記憶を持つ家に、コンクリートを勧める理屈は要らない。近衞家は火が何をするかを正確に知っていた。

難しいのは、もっと遅く、もっと地味に進行する問題のほうだった。京都の夏の湿気は、一季で紙に黴を生やす。しかもコンクリートそのものが汗をかく。文化庁の解説は、収蔵品の重要性に鑑み湿度管理などを意識して設計されている、と記す。陽明文庫自身は、二棟の書庫を高床式鉄筋土蔵造りと表現している。箱を地面から持ち上げ、下に風を通し、土の湿りを壁に上らせない。コンクリートより古く、土蔵より古い工夫である。弥生の高床倉庫がすでにそうしていた。長谷部鋭吉はそれを打ち込みの躯体に応用した。

設計は長谷部鋭吉(1885-1960)、大工棟梁は俣野忠蔵。コンクリートの建物に棟梁の名が並ぶのは奇妙に見えるが、瓦を載せる小屋組があり、扉があり、内部造作があり、建具がある。蔵を「密閉した箱」から「使える箱」に変えるのは、依然として大工の仕事だった。

長谷部という名前は、少し立ち止まる価値がある。東京帝国大学出身、住友の建築部門で経歴を積み、昭和8年(1933年)に竹腰健造および部員27名とともに独立して長谷部竹腰建築事務所を設立した。これが後の日建設計になる。手がけたのは大阪の住友ビルディング、泉屋博古館、日本生命保険本社、大阪カテドラル聖マリア大聖堂。鉄骨、営業室、近代資本のための近代の仕事である。

その履歴の中に、山中の73平方メートルの土蔵風コンクリート書庫が挟まる。そして陽明文庫は彼を手放さなかった。敷地の四棟すべてが長谷部の設計である。

登録番号26-0027が意味するもの

第一文庫は平成10年(1998年)10月9日に登録有形文化財となり、同月26日に告示された。登録番号は26-0027。後続の三棟が26-0028、26-0029、26-0030を取っているから、四棟は建った順に、まとめて登録されたことになる。

登録は指定ではない。日本の文化財表示を読むうえで、この区別は効いてくる。国宝や重要文化財は指定であり、保護は重く、制限は厳しく、対象は絞られる。平成8年(1996年)に始まった登録制度が向き合ったのは別の問題だった。明治以降の建物が、評価が追いつかない速度で壊されていく。登録はより軽い道具である。記録し、大きな改変には届出を求め、支援を用意しつつ、所有者の手を縛らない。

第一文庫の登録基準は「造形の規範となっているもの」。判断されているのは情緒ではなく建築である。日本の機関が自国の歴史をどう保管するかを手探りしていた時期の、目的をもって設計された初期の書庫であり、その解法が、近代の構造システムを千年来の建築類型に接合して、継ぎ目を見せないことだった。

もうひとつ、銘板には書きにくい価値がある。設立趣意書で近衞文麿は、これは一家の襲蔵であるけれども今や家門の占を廃し天下の公宝となすべきだ、と書いた。その一文を建てるとコンクリートになる。

行き方と、実際に見えるもの

陽明文庫は現役の研究資料館であって、博物館ではない。門は飛び込みの見学者に開いていない。

参観は年に二期、おおむね3月から5月と9月から11月。電話での申込制で、20名以上の団体が条件、参観料は一人1,500円から。書庫内の展示室での収蔵品展示と、敷地の端に建つ数寄屋造の虎山荘を、解説つきで見学する形になる。建物内部の撮影はできない。

第一文庫の前に立てたなら、隣と並べて見てほしい。第二文庫は二年後、同じ設計者と同じ棟梁が、同じ仕事のために建てた。それが同じ建物になっていない。平屋ではなく二階建、73平方メートルではなく121平方メートル、そして高床は諦められている。昭和15年(1940年)には資材がもう手に入らなかったからである。二年。戦争はすでに図面に手を入れていた。

それから屋根を見上げてほしい。山の中の、ほとんど誰の目にも触れない鉄筋コンクリートの書庫に、瓦が指定されている。施主の家の記録は、火事との際どいすれ違いの年代記である。必要な選択ではなかった。もっと安いもので躯体は十分もった。

敷地は仁和寺の近くにある。この一角を訪れる人の大半は寺を目指す。文庫は数分の坂の上、木立の奥で、置かれた目的をひっそり果たしている。

Q&A

Q第一文庫は見学できますか。
A予約制の参観に限られます。陽明文庫はおおむね3月から5月、9月から11月に電話申込で受け入れており、20名以上の団体が条件です。参観料は一人1,500円から。書庫内の展示室と虎山荘を解説つきで見学します。個人の飛び込み見学と館内撮影はできません。
Q土蔵に見えるのに、なぜコンクリート造なのですか。
A千年分の紙の資料を、繰り返し焼けてきた国で守るためです。土蔵は外観の語彙であり、構造は昭和13年当時に耐火・耐震で信頼されていた鉄筋コンクリートです。文化庁の解説も「土蔵風であるが、RCによる堅牢な構造」と記しています。
Q何が収蔵されているのですか。
A近衞家に伝わった古文書・古典籍・美術工芸品です。陽明文庫全体で十数万点、国宝八件、重要文化財六十件ほどを含みます。最も知られるのは藤原道長自筆の『御堂関白記』で、国宝であるとともにユネスコの世界の記憶にも登録されています。
Q第二文庫とはどう違うのですか。
A第一文庫は昭和13年、平屋、73平方メートルで、床下を吹き放つ高床の構えを持ちます。第二文庫は昭和15年、二階建、121平方メートルで、資材事情から床下吹き放ちを断念しました。設計者も棟梁も同じで、二年の差で仕様が分かれています。
Q設計者はどんな建築家ですか。
A長谷部鋭吉(1885-1960)。住友の建築部門を経て昭和8年に竹腰健造と長谷部竹腰建築事務所を設立し、これが日建設計の源流となりました。大阪の住友ビルディングなど大規模建築で知られます。陽明文庫の登録四棟はすべて長谷部の設計です。大工棟梁は俣野忠蔵。
Q登録有形文化財と国宝は違うのですか。
A別の制度です。国宝・重要文化財は「指定」で、保護と規制が重く対象も限られます。登録は平成8年に始まった緩やかな制度で、明治以降の膨大な建物を記録し、大きな改変に届出を求める仕組みです。第一文庫は「造形の規範となっているもの」の基準で登録されています。

基本情報

名称陽明文庫第一文庫(ようめいぶんこだいいちぶんこ)
所在地京都府京都市右京区鳴滝宇多野谷2
種別登録有形文化財(建造物)/登録番号 26-0027
登録年月日平成10年(1998年)10月9日(告示 同年10月26日、第14回登録)
登録基準造形の規範となっているもの
年代昭和13年(1938年)
構造及び形式等鉄筋コンクリート造平屋建、瓦葺、建築面積73㎡
員数1棟
設計・施工設計 長谷部鋭吉/大工棟梁 俣野忠蔵
所有者財団法人陽明文庫
公開状況参観は予約制。おおむね3月〜5月、9月〜11月。電話申込、20名以上の団体、参観料一人1,500円から。館内撮影不可。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)陽明文庫第一文庫
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000874
文化遺産オンライン 陽明文庫第一文庫
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/113754
公益財団法人陽明文庫 陽明文庫の沿革
https://ymbk.sakura.ne.jp/enkaku.htm
公益財団法人陽明文庫 参観案内
https://ymbk.sakura.ne.jp/exroom.htm

最終更新日: 2026.07.18