陽明文庫事務所、煙突のある建物

陽明文庫の登録四棟のうち三棟は、見に行く理由がわかりやすい。二棟は日本有数の私設アーカイブを納めた書庫であり、一棟は茶室を持つ数寄屋の別荘である。

四棟目は事務所だ。木造平屋、建築面積159平方メートル、瓦葺。京都市街の北西、宇多野の山腹に、二棟の書庫と並んで建っている。文化庁の解説は、その意匠・構成を簡素と書く。妥当な形容で、ボリュームに主張はない。

ところが同じ解説は、この建物の特徴として二つを挙げる。玄関周りの格子状の意匠、そして暖炉の煙突。

暖炉。京都で。昭和13年に。公家の家の文書館の、働く建物に。

洋風とも和風ともつかない、意図的に

文化庁の評価は、精度の高い一句で終わっている。全体として洋風とも和風ともつかない特色あるデザインである、と。

この文は明治三十年代なら悪口になり、昭和三十年代なら褒め言葉になっただろう。昭和13年においては、ある種の日本人建築家が実際に立っていた場所の記述にすぎない。明治の折衷建築は、洋の骨組みに和の装飾を着せるか、その逆をやるかで、二つの言語の縫い目が見えていることが多かった。長谷部鋭吉(1885-1960)がこの山腹に置いたものには縫い目がない。ひとつのものが、たまたま二方向に読める。

文化庁が名指しした二つの要素を見てほしい。玄関の格子は和である。少なくとも、京都の通りを歩いた人間なら即座に判別する語彙、町家の前に立つ格子のそれだ。煙突は違う。この時期の日本家屋は火鉢で、のちにストーブで暖を取った。組積の煙道を立ち上げる炉は輸入であり、しかも意識的な輸入である。どちらも引用ではない。ただ同居していて、建物のほうはそれを問題だと思っていないように見える。

その落ち着きの一部は長谷部の経歴で説明がつく。東京帝国大学を出て、住友の建築部門で職業人生を送り、昭和8年(1933年)に竹腰健造と部員27名を連れて独立、長谷部竹腰建築事務所を設立した。後の日建設計である。代表作は企業建築で、まぎれもなく近代のものだ。大阪の住友ビルディング、日本生命保険本社、大阪証券取引所。大阪カテドラル聖マリア大聖堂も、中国古代青銅器を収める泉屋博古館も彼の手による。営業室と大聖堂と青銅器の館を設計できる人間が、コンクリートの土蔵の隣に納まって見える小さな木造事務所ごときで悩むはずがない。

敷地の四棟はすべて長谷部の設計である。事務所は、彼が肩の力を抜いているのが見える一棟だ。

事務所は何のためにあるか

近衞家は摂政・関白を出しうる五摂家の筆頭で、千年近くその歴代は朝廷の最高位に列した。その職務は紙を生み、散逸を禁ずる家憲がそれを縛った。二十世紀に届いたのは十数万点。朝儀の日記、書状、家政の記録、懐紙。国宝八件、重要文化財六十件ほどを含み、中心に藤原道長自筆の『御堂関白記』がある。

首相であり二十九代当主であった近衞文麿は、これを一括して守るために昭和13年11月、財団法人陽明文庫を発足させた。設立趣意書で彼は、一家の襲蔵を天下の公宝となすべきだと書き、有識が鍵庫を開いて資料するに便すべきだと書いた。

その後段のためにあるのが事務所棟である。誰も参照しないアーカイブは倉庫でしかない。十数万点を目録に起こし、研究者を受け、財団を運営し、書簡に答える人間がいる。隣の書庫は湿度管理された密閉の箱であって、その中で巻子を広げて六時間メモを取ることはできない。陽明文庫自身が敷地を説明するとき、書庫二棟、事務所棟、そして閲覧集会所を挙げる。機関が実際に動いているのは事務所である。159平方メートルは第一文庫の倍以上、書庫二棟の合計とほぼ同じ広さになる。

煙突の本当の理由も、そのあたりにあるのかもしれない。木造の建物で過ごす京都の冬は率直に寒く、千年前の日記に向かってじっと座っている人間は、あまり発熱しない。

ひとつだけ合わない年代

記録に小さな食い違いがある。均してしまうより、名指ししておく価値がある。

文化庁は事務所の年代を昭和13年、第一文庫と同年とする。陽明文庫自身の沿革は順序を別に語る。近衞文麿はまず書庫一棟を建てて同年11月に財団を発足させ、引き続き事務所棟・第二書庫を十四年・十五年に建立した、と。第二文庫について文化庁が示す昭和15年はこれと一致する。事務所については一致しない。

登録記録の典拠は文化庁のデータベースであり、下の基本情報にはその年代を採った。設計と着工と竣工のあいだの時間差を反映したものなのか、財団が自らの草創期をどう記憶したかの問題なのか、記録はそこまで語らない。

登録そのものに曖昧さはない。事務所は平成10年(1998年)10月9日に登録有形文化財となり、同月26日に告示、登録番号26-0029、基準は「造形の規範となっているもの」。第二文庫の26-0028と虎山荘の26-0030のあいだに入るから、四棟は建った順に、ひとまとまりとして登録されたことになる。

登録は日本の文化財制度のうち軽いほうの道具である。平成8年(1996年)、明治以降の膨大な建物が評価の追いつかない速度で消えていく事態に対して用意され、建物を記録し、大きな改変には届出を求めるが、重要文化財や国宝の指定に伴う強い制限は課さない。日々事務所として使われ続けている建物にとって、この違いは机上の話ではない。

陽明文庫の参観は年二期、おおむね3月から5月と9月から11月、電話申込、20名以上の団体、参観料一人1,500円から。見学は書庫内の展示と虎山荘が対象で、事務所は職場だから外から眺めることになる。格子を探し、それから見上げて煙突を探してほしい。

Q&A

Q事務所建築が登録される理由は何ですか。
A文化庁は、簡素な意匠・構成としつつ、玄関周りの格子状の意匠と暖炉の煙突を特徴として挙げ、全体を洋風とも和風ともつかない特色あるデザインと評価しています。登録基準は「造形の規範となっているもの」。長谷部鋭吉が陽明文庫のために設計した四棟の組を完結させる一棟でもあります。
Q中に入れますか。
A入れません。事務所は現役の職場です。陽明文庫の参観はおおむね3月〜5月と9月〜11月、電話申込で20名以上の団体、一人1,500円からで、書庫内の展示室と虎山荘が見学対象になります。事務所は外観のみです。
Q建築年代は本当に昭和13年ですか。
A文化庁のデータベースは昭和13年(1938年)とし、これが典拠となる年代です。一方、陽明文庫の沿革は、書庫一棟に続いて事務所棟・第二書庫を昭和14年・15年に建立したと記します。両者は一致せず、ここでは食い違いを解消せずに併記しています。
Q昭和13年の日本の建物になぜ暖炉があるのですか。
A組積の炉と煙道は洋風の要素で、文化庁がこの建物の折衷的な性格を示す特徴として挙げているものの一つです。実際的には、京都の山中の木造事務所は冬に寒く、目録作成の作業は長時間じっと座り続けることを意味します。
Q設計者は誰ですか。
A長谷部鋭吉(1885-1960)。東京帝国大学を出て住友の建築部門で経歴を積み、昭和8年に竹腰健造と独立して長谷部竹腰建築事務所を設立、これが日建設計の源流となりました。大阪の住友ビルディングや大阪カテドラル聖マリア大聖堂などで知られ、陽明文庫の登録四棟はすべて彼の設計です。
Q敷地の他の建物との関係は。
A収蔵庫である第一文庫・第二文庫と並んで配置されています。虎山荘は少し離れて建ち、所蔵品の閲覧と客の接遇にあてられます。事務所は財団の運営と目録作成の場です。159平方メートルは書庫二棟の合計とほぼ同じ規模になります。

基本情報

名称陽明文庫事務所(ようめいぶんこじむしょ)
所在地京都府京都市右京区宇多野上ノ谷町1-2
種別登録有形文化財(建造物)/登録番号 26-0029
登録年月日平成10年(1998年)10月9日(告示 同年10月26日、第14回登録)
登録基準造形の規範となっているもの
年代昭和13年(1938年)/文化庁データベースによる。陽明文庫の沿革は昭和14年建立とする
構造及び形式等木造平屋建、瓦葺、建築面積159㎡
員数1棟
設計長谷部鋭吉
所有者財団法人陽明文庫
公開状況外観のみ。敷地の参観は予約制で、おおむね3月〜5月、9月〜11月。電話申込、20名以上の団体、参観料一人1,500円から。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)陽明文庫事務所
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000876
文化遺産オンライン 陽明文庫事務所
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/177096
公益財団法人陽明文庫 陽明文庫の沿革
https://ymbk.sakura.ne.jp/enkaku.htm
公益財団法人陽明文庫 参観案内
https://ymbk.sakura.ne.jp/exroom.htm

最終更新日: 2026.07.18