台風が掘り起こした、平安末期の祈りの跡

昭和34年(1959年)9月、伊勢湾台風が東海地方を襲い、朝熊山の山中でも数えきれないほどの木々がなぎ倒された。伊勢市の背後にそびえるこの山の、経ヶ峯と呼ばれる尾根で倒木の片づけが進むうち、八百年あまり地中に眠っていたものが次々と姿を現した。銅の筒、仏の姿を線で刻んだ鏡、そして石を組んだ小さな室の中に納められた写経の巻物である。

この偶然の発見をきっかけに、古くから「何かが埋まっている」と地元で語り継がれてきた一帯で、初めて本格的な調査が行われた。調査の結果、尾根に沿って43基の経塚が確認されている(文化庁の記録では「約40基」とされる)。これらをまとめて朝熊山経塚群と呼び、昭和41年(1966年)4月15日に国の史跡へ指定された。

ここに壮麗な建築はない。細い石塔が点在する静かな山腹であり、その価値は地中と、麓の寺の宝物館の中にある。それでも、平安末期の人々が何を恐れ、その不安にどう向き合ったのかを、これほど率直に示す場所は多くない。

倒木の下から現れたもの

経ヶ峯が手がかりを見せたのは、これが初めてではなかった。明治27年(1894年)、斜面から陶製の経筒が一つ出土しており、そこには承安3年(1173年)の銘が記されていた。ただ、このときは学術的な調査につながらず、発見はおよそ60年のあいだ顧みられないままだった。

状況を一変させたのが伊勢湾台風である。昭和34年から35年(1959〜1960年)にかけ、倒れた木の整理作業のなかで見つかった品のひとつに、平治元年(1159年)の銘を持つ銅製の経筒があった。明治期に出土した陶製経筒よりも古い。そのそばには経巻、阿弥陀如来を刻んだ銅鏡、青白磁の小さな盒子(蓋付きの容器)が伴っていた。出土品の多さがついに本格的な発掘調査を促し、尾根に分布する経塚の全体像が明らかになっていく。

銘のある出土品のおかげで、造営の年代をかなり正確に絞り込むことができた。年代を確認できる経塚は保元元年(1156年)から文治2年(1186年)まで、約30年のあいだに収まる。出土品全体から見れば、その前後にもう少し広がる可能性も指摘されている。考古遺跡としては時期の幅が狭く、この経塚群を平安末期という不安定な時代の一点に結びつけている。

末法の世に経典を地中へ託す

なぜ人々はこの山に登ってまで経典を埋めたのか。その背景には「末法思想」がある。平安時代後期、仏教徒の多くは、世は仏の教えが力を失っていく末法の世に入ったと考えていた。やがて経典そのものも失われるという危機感が、社会に広く行き渡っていた。

その不安に対するひとつの答えが、埋経という行いだった。願主は法華経をはじめとする経典を書写させ、銅や陶の経筒に納めて地中へ埋める。遠い未来に弥勒菩薩が現れるそのときまで、経典が損なわれずに残ることを願ったのである。同時に、自らの極楽往生や子孫の繁栄といった、より個人的な祈りも込められていた。

朝熊山での造営の手順は一定していた。穴を掘り、底に石を敷き詰め、副葬品とともに経筒を据えたうえで、大きな石を蓋として室を閉じる。文化庁の解説は、これを山の石で築いた小石室と表現している。

朝熊山の経塚が史跡として重んじられる理由は、その造営技術だけにとどまらない。記録に残る願主には、伊勢の神宮に仕える祠官や僧侶の名が見える。伊勢は古来の神祇信仰の中心地であり、その神職は本来、仏教とは一線を画す立場にあった。その禰宜層までもが仏教の埋経に関わっていた事実は、12世紀には神と仏の信仰がいかに深く結びついていたかを示している。日本でもっとも重い格式を持つ神宮のすぐ膝元で進んだ、神仏習合の確かな証拠として、この史跡は読み解かれている。

出土品それ自体の評価も高い。史跡指定に先立つ昭和38年(1963年)、これらの出土品は「伊勢国朝熊山経ヶ峯経塚出土品」として一括で国宝(考古資料)に指定された。三重県内の国宝はわずかしかなく、この素朴な銅筒や線刻の鏡は、希少な顔ぶれのなかに名を連ねている。

尾根で目にするもの

発掘の現場を思い描いて訪れると、もっと穏やかな光景に出会う。経塚群があるのは、史跡を管理する金剛證寺の本堂から北西へ少し上がった芝山である。出土品が保存のために運び出されたのち、どの場所から何が見つかったかを後世に残すため、寄進者によって出土地点に石塔が建てられた。木立のあいだに立つこの細い石塔こそ、多くの人が実際に歩いて目にするものだ。

登ってくる甲斐のひとつは、その立地そのものにある。経ヶ峯は朝熊山の南峰にあたり、尾根からは伊勢湾が広く見渡せる。空気の澄んだ日には、紀伊半島の山並みや太平洋の方角まで視界が届く。しばらく立ち止まって眺めると、平安の人々がなぜここを経典を託すにふさわしい場所と考えたのか、その感覚が自然と腑に落ちてくる。

地中に納められていた品そのものに会うには、金剛證寺の宝物館へ足を運びたい。国宝の出土品が収められている。なかでも4面の線刻鏡は、時間をかけて見たい。3面は阿弥陀如来と両脇侍の菩薩を、1面は阿弥陀如来だけを刻む。このうち2面は、阿弥陀が信者の魂を浄土へ迎えに来る来迎の場面を描いている。細い線で刻まれた図像は、日常の道具であったはずの銅鏡を、室が閉じられれば二度と人目に触れることのない私的な祈りの像へと変えている。

朝熊山と、伊勢を守る寺

経塚群は金剛證寺の懐に抱かれている。臨済宗の寺院であるこの寺は、それ自体に時間を割く価値がある。本尊は智慧をつかさどる虚空蔵菩薩で、寺は古くから伊勢神宮の鬼門、すなわち縁起のよくない北東の方角を守る存在とされてきた。伊勢音頭の一節には、朝熊に登らなければ伊勢参りも片参りにすぎない、とうたわれている。

寺の奥之院へ向かう道沿いには、この地方でも目を引く光景が広がる。高さ数メートルに達するものもある木製の卒塔婆が立ち並ぶ参道である。これは岳参り(たけまいり)と呼ばれる供養の風習によるもので、葬儀ののちに遺族が山へ登り、故人を弔う。過去の遺風ではなく今も続く営みであり、山頂に静かで厳かな空気を添えている。

朝熊山は標高555メートルで、歩いて登りたい人にも無理のない山である。麓からは古い参詣道がいまも続いている。一方、多くの訪問者は伊勢志摩スカイラインを使う。山を越えるこの有料道路は金剛證寺のすぐ近くを通る。土日祝には伊勢神宮内宮の周辺から季節運行のバスも出ている。山頂付近には売店や展望スペースのある休憩所があり、経塚を見て回る前後の一息に向いている。

Q&A

Q経塚とは何ですか。
A書写した仏教の経典を、金属や陶の筒に納め、副葬品とともに地中へ意図的に埋めた場所です。仏の教えが衰えていくと恐れられた末法の世に、経典を未来へ残そうとした人々のあいだで、平安時代後期に広まりました。
Q出土品の実物を見ることはできますか。
A国宝の出土品は金剛證寺の宝物館に収められています。尾根にある経塚の現地では、何がどこから見つかったかを示す石塔を見ることができます。宝物館の公開日や時間は限られる場合があるため、訪問前に寺の最新情報を確認してください。
Qどうやって行けばよいですか。
A最も分かりやすいのは、金剛證寺の近くを通る伊勢志摩スカイラインを車で利用する方法です。土日祝には伊勢神宮内宮の周辺から季節運行のバスが出ています。健脚の方は、朝熊山の古い参詣道を歩いて登ることもできます。
Qなぜ神宮の神職が仏教の遺跡に関わっているのですか。
A12世紀には、神と仏の信仰が日々の暮らしのなかで深く混ざり合っていました。朝熊山の経塚の記録には願主として神宮の祠官や僧侶の名が見えます。日本有数の神社のすぐそばまで神仏習合が及んでいたことを示す例として、この史跡は重んじられています。
Qなぜ多くの経塚が一度に見つかったのですか。
A陶製の経筒は明治27年(1894年)に一つ見つかっていましたが、調査には至りませんでした。昭和34年の伊勢湾台風が尾根の木々をなぎ倒し、その整理作業中に出土品が現れたことで発掘調査が行われ、経塚群の全体像が明らかになりました。

基本情報

名称朝熊山経塚群(あさまやまきょうづかぐん)
所在地三重県伊勢市朝熊町
立地朝熊山(標高555メートル)南峰の経ヶ峯、金剛證寺本堂の北西
指定区分国指定史跡(昭和41年〈1966年〉4月15日指定)
規模経塚 約40基(調査では43基を確認)
造営時期平安時代後期。年代を確認できる例は保元元年〈1156年〉から文治2年〈1186年〉
関連する国宝「伊勢国朝熊山経ヶ峯経塚出土品」(昭和38年〈1963年〉指定)。金剛證寺が保管
管理団体金剛證寺
アクセス伊勢志摩スカイラインを車で利用。土日祝は伊勢神宮内宮周辺から季節運行バスあり

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「朝熊山経塚群」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1525
文化遺産オンライン「朝熊山経塚群」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191012
伊勢市公式ホームページ「朝熊山経塚群」
https://www.city.ise.mie.jp/cul_spo_edu/culture/bunkazai_shiseki/bunkazai/kinenbutsu/1002154.html
公益社団法人 伊勢市観光協会「朝熊山経塚群」
https://ise-kanko.jp/purpose/asamakyouzuka/
三重県「巡ろう!三重の文化観光:お伊勢参り(金剛證寺)」
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/646580347590008.htm

最終更新日: 2026.05.25