斜面に築かれた登り窯
三重県伊賀市丸柱、窯元が点在する集落の斜面に、長谷園の登り窯が全長34mにわたって延びる。地面は下から上へ9.6m高くなり、燃焼室はその傾斜に沿って直線状に並ぶ。低い北端に主焚き口が開き、火はここから各室へと順に上っていく。斜面が落ち込む側は石垣で支える。
築造は江戸末期、およそ1830年から1868年ごろにあたる。長谷園が開窯した天保3年(1832年)に近く、伊賀の粗い耐火性の陶土を鍋や民具へと焼き上げはじめた時期と重なる。窯は、古い事務所建築である大正館の東南に位置する。
登録の理由
長谷園の登り窯は、国土の歴史的景観に寄与するものとして、平成23年(2011年)10月に登録有形文化財となった。この長さの連房式登り窯が、稼働時の姿を保ったまま現存する例は多くない。昭和40年代まで実際に焼成へ使われており、操業していた頃の記憶がまだ遠くない。
数について一点、知っておきたい食い違いがある。国の記録は「直線上に一五の燃焼室が並ぶ」と記す。一方、現地の案内や窯元自身の資料では「16連房」の呼称が用いられ、地域のガイドでも広く使われている。指すものは同じで、登録上の数は前者である。
見どころ
下から見上げると、燃焼室が斜面を段々と上っていき、単一の窯というより一連の城壁に近い。基部の石積み、低い焚口の開口、煤に黒ずんだ土肌は、斜面をゆっくり歩きながら眺めたい。柵で囲われた記念物ではなく本店・散策エリアの一部であるため、間近に寄って造りを読み取れる。
この窯を支えた耐火性は、伊賀の土そのものに由来する。伊賀は古琵琶湖の湖底だった地層の上にあり、そこから掘る陶土には古い動植物の痕跡が焼け残り、焼成後の器が多孔質になる。長谷園の代名詞である土鍋が直火に耐えるのも、この性質による。
Q&A
- 登り窯は見学できますか。
- できます。一般公開されている伊賀本店の本店・散策エリア内にあり、歩いて間近まで近づけます。
- 窯は今も焼成に使われていますか。
- 使われていません。昭和40年代ごろまで焼成に用いられ、現在は登録有形文化財として保存されています。
- 燃焼室はいくつありますか。
- 国の登録記録では直線状に15室とされます。地域の案内では「16連房」と呼ばれることが多く、両方の数字を目にする場合があります。
- なぜ伊賀の土は窯や調理器に向くのですか。
- 古琵琶湖層由来の陶土が多孔質に焼き上がり、耐火性に優れるためです。伊賀の土鍋が直火にかけられるのもこの性質によります。
- 長谷園の開窯はいつですか。
- 天保3年(1832年)、江戸後期です。登り窯も同じ時代、1868年ごろまでに築かれています。
基本情報
| 名称 | 長谷園登り窯(ながたにえんのぼりがま) |
|---|---|
| 所在地 | 三重県伊賀市丸柱字長谷569 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物・その他工作物/産業2次) |
| 登録年月日 | 平成23年(2011年)10月28日 登録番号 24-0119 |
| 員数 | 1基 |
| 時代 | 江戸末期(1830~1868年ごろ) |
| 構造 | 連房式登り窯、奥行34m、幅6.7m、石垣付。登録記録は燃焼室15室 |
| 公開 | 伊賀本店 本店・散策エリア内、見学可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース — Cultural Heritage Online (Agency for Cultural Affairs)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00009029
- 伊賀焼窯元 長谷園 公式サイト — 長谷園について
- https://igamono.co.jp/at-first/
- 観光三重 — 伊賀焼窯元 長谷園
- https://www.kankomie.or.jp/spot/33
最終更新日: 2026.07.11