多賀城碑とは:多賀城の創建と修造を刻む奈良時代の碑

多賀城碑〈天平宝字六年十二月一日〉は、宮城県多賀城市の多賀城跡に立つ天平宝字6年(762年)建立の石碑で、令和6年(2024年)に国宝に指定された。

読みは「たがじょうひ」。多賀城は8世紀以来、陸奥国の国府が置かれた城柵で、奈良時代には東北経営の軍事拠点である鎮守府も置かれていた。碑は多賀城跡の外郭南門に近い小高い丘の上にあり、現在は小さな堂の中に納められている。

平成10年(1998年)6月30日に重要文化財に指定され、令和6年(2024年)8月27日に国宝となった。所有者は国(文化庁)である。多賀城市は、群馬県の多胡碑、栃木県の那須国造碑とともに日本三古碑のひとつに数えられる碑として紹介している。

碑文と国宝指定の理由:偽作説を越えて

碑は花崗岩質砂岩で、高さ248センチメートル(地上部196センチメートル)、最大幅103センチメートル、最大厚72センチメートル。上端を半円形に整え、ほぼ真西に碑面を向けて立つ。碑面の上部に大きく「西」の字を刻み、その下の長方形の枠の中に11行140字を彫り込む。

内容は、京(平城京)や蝦夷国・常陸国・下野国・靺鞨国から多賀城までの距離、神亀元年(724年)に大野東人が多賀城を設置したこと、天平宝字6年(762年)に藤原恵美朝狩が修造したこと、そして天平宝字6年12月1日という建立の日付である。

碑は江戸時代初めに存在が知られるようになり、歌枕の「壺碑(つぼのいしぶみ)」と結びつけられて広く関心を集めた。元禄2年(1689年)には松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で訪れている。一方、明治時代になると江戸時代の偽作とする説が出され、論争は決着のつかないまま大正期にいったん収まった。

転機は、昭和44年(1969年)以降の多賀城跡の継続的な発掘調査である。明らかになった創建の時期や規模・構造は碑文と矛盾せず、再検討の結果、文字が同時に彫られていること、書風が正倉院文書や木簡と一致することなどが確かめられ、近世の偽作ではないと認識されるに至った。文化庁は、数少ない奈良時代の金石文として、また多賀城と古代東北を解明する資料として価値が高いと評価している。

見どころ:「西」の一字と、据え直しの痕跡

碑の前では、まず上部の大きな「西」の字を探したい。碑面がほぼ真西を向いていることと合わせて、この字が何を示すのかは碑の読み解きの入口になっている。その下に並ぶ140字は、距離の記述と、城の創建・修造の記事という二つの部分に分かれている。

覆屋の解体修理に伴って碑のまわりを発掘したところ、近世の初めに碑が据え直されたことを示す掘り方とともに、古代建築の礎石の据え付けと同じ技法の跡が確認された。文化庁は、これによって碑が建立当初からこの場所にあった可能性が強まったとしている。

芭蕉がこの碑の前に立ったのは元禄2年(1689年)。偽作説をめぐる論争も、発掘による再評価も、すべてこの同じ石を前にして行われてきた。碑文の全文は多賀城市のページで釈文が公開されているので、読みながら見ると理解が深まる。

見学方法:アクセスと見学の心得

多賀城碑は多賀城市市川の多賀城跡にあり、外郭南門の近くに立つ。鉄道の最寄りはJR東北本線の国府多賀城駅である。碑は小さな堂の中に納められているので、見学は堂の外から行う形になる。

見学の時間や料金について、多賀城市のページに記載はなかった。多賀城跡は特別史跡として整備された屋外の遺跡で、南門周辺とあわせて歩いて見て回ることができる。

撮影の可否についての公式の案内は確認できなかった。国宝の碑を納めた堂であるため、堂に手を触れたり身を乗り出したりせず、現地の掲示に従ってほしい。問い合わせ先は多賀城市の文化財課である。

Q&A

Q多賀城碑には何が書かれていますか?
A京や蝦夷国などから多賀城までの距離、神亀元年(724年)の多賀城の設置、天平宝字6年(762年)の修造、そして天平宝字6年12月1日という建立の日付が刻まれています。
Q多賀城碑はいつ国宝に指定されましたか?
A令和6年(2024年)8月27日です。それ以前、平成10年(1998年)6月30日に重要文化財に指定されていました。
Q多賀城碑は偽物だという説があったのですか?
A明治時代に江戸時代の偽作とする説が出されましたが、昭和44年(1969年)以降の発掘調査の成果と碑文の再検討により、近世の偽作ではないと認識されるようになりました。
Q多賀城碑へのアクセス方法は?
A多賀城跡の外郭南門の近くにあり、鉄道の最寄りはJR東北本線の国府多賀城駅です。
Q多賀城碑の大きさは?
A高さ248センチメートル(地上部196センチメートル)、最大幅103センチメートル、最大厚72センチメートルです。

基本情報

名称多賀城碑〈天平宝字六年十二月一日〉
所在地宮城県多賀城市市川(多賀城跡)
指定区分国宝(古文書)
指定年令和6年(2024年)8月27日国宝指定(重要文化財指定は平成10年(1998年)6月30日)
員数1基
寸法高さ248センチメートル(地上部196センチメートル)、最大幅103センチメートル、最大厚72センチメートル
所有者国(文化庁)
公開状況屋外の堂の中に立つ。料金・時間の公式案内なし

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「多賀城碑」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/10264
文化遺産オンライン「多賀城碑〈天平宝字六年十二月一日〉」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/159771
多賀城市「国宝『多賀城碑』」
https://www.city.tagajo.miyagi.jp/bunkazai/shiseki/bunkazai/shitebunkazai/kunishite/tagajohi.html

最終更新日: 2026.09.27