堀川運河に架かる単アーチの石橋
堀川橋(ほりかわばし)は、宮崎県日南市油津1にある明治36年(1903年)8月竣工の石造単アーチ橋で、平成10年(1998年)12月11日に国の登録有形文化財となった。長さ21.0メートル、幅員5.7メートルを測る。地元では「乙姫橋」の名で親しまれている。
橋は油津上町と対岸の材木町を結び、同時に吾平津神社の参道橋を兼ねる。この神社が土地の人々に「乙姫さん」と呼ばれてきたことが、別名の由来である。現存する石橋としては南那珂地区で最大の規模をもつ。
架けたのは飫肥の石工・石井文吉。着手は明治32年(1899年)で、完成まで4年を要した。単アーチとしては長い工期である。石を切り出し、形を整え、支保工の上に据え、要石で閉じる。真のアーチでは目地のモルタルではなく石同士の圧縮が構造を成立させるため、支保工を外す前に幾何が正確でなければならない。
なぜ石でなければならなかったか
ここに以前あったのは「油津板橋」と呼ばれる木橋で、風波にきわめて弱かった。たびたび破壊され、そのつど旧油津の一帯は堀川によって切り離され、陸の孤島のようになった。
永久橋の架設は行政の計画である以前に、地元の悲願だった。記録に残る言葉づかいも、計画というより願望に近い。石井文吉のアーチはその願いに応え、以来百二十年余りその場に立ち続けている。
この橋は周囲の街路をも変えた。石橋を架ければ取付道路を嵩上げしなければならない。結果として堀川運河沿いの家々は、1階が新しい道路面より下になった。住人が採った解決策は、2階を入口とする造りである。橋の近くの路地を歩くと、その痕跡を建物に読み取ることができる。一本の橋が周囲の住宅の形式を書き換えた例は、そう多くない。
橋のたもとの吾平津神社
吾平津神社の祭神は吾平津媛命。神武天皇の妃とされる神で、油津という地名はこの名に由来すると伝わる。明治維新後に乙姫大明神から吾平津神社へと改称されたが、古い呼び名は日常語の中に残り、今も使われている。
この神社が乗る岩盤こそ、運河の開削を頓挫させかけた難所だった。天和3年(1683年)に5代藩主・伊東祐実が掘削を命じたとき、乙姫神社から林光寺までの区間はすべて岩石で、工事は行き詰まる。奉行を交替させてようやく貞享3年(1686年)に完成にこぎつけた。橋と神社と運河は、この川筋の岩と水をめぐる同じ経緯の三つの局面にあたる。
橋の性格を決めているのは欄干である。低く、簡素に切り出され、道路橋というより参道の意匠として読める。それが意図されたことだった。
登録有形文化財としての位置づけ
堀川橋の登録番号は45-0007、第15回の登録による。官報告示は平成10年12月25日。登録有形文化財の制度は平成8年(1996年)に創設され、築50年以上を経てなお使われている建造物を対象に、許可制ではなく届出制で保護する。橋が交通を担いながら文化財であり続けられるのは、この枠組みによる。
適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。所有者は日南市で、員数は1基。国指定文化財等データベースは構造を石造単アーチ橋、長さ21.0メートル、幅員5.7メートルと記載する。一方、日南市の文化財情報は長さを欄干の両端間で21メートル、幅を5.65メートルとしており、両者のあいだにはわずかな差がある。
橋の両側に続く堀川運河護岸は、平成16年(2004年)に別件として登録されている。橋の中央に立てば、二件の登録有形文化財が一度に視野に入ることになる。
訪ねるにあたって
堀川橋は現役の公道であり、時間の制限も通行料もなく、撮影の制限もない。JR日南線の油津駅から徒歩約10分。日南へは宮崎から鉄道の便があり、宮崎市内から海岸沿いを車で走れば1時間はかからない。
石積みそのものを見たいなら干潮時を狙うとよい。アーチが立ち上がる基部の石積みは水位が下がると読み取りやすく、左右へ延びる運河の護岸についても同じことが言える。西日が差す夕方遅くには上流側の面がよく浮かび上がる。
橋の近くには堀川資料館があり、中町通りを東へ少し歩けば大正11年(1922年)建築の油津赤レンガ館が建つ。入館は無料で、平成4年(1992年)にこの橋周辺で撮影された映画「男はつらいよ」シリーズの一作に関する資料も展示されている。この撮影によって橋は全国的に知られるようになった。なお日南市の文化財情報は撮影年を平成5年と記しており、資料間で1年の差がある。油津地区には登録有形文化財が14件残り、城下町・飫肥は内陸へ車で10分ほどの距離にある。
Q&A
- 堀川橋(乙姫橋)は渡ることができますか。
- 渡れます。現役の公道橋で、通行時間の制限も料金もなく、撮影の制限もありません。JR日南線の油津駅から徒歩約10分の位置にあります。
- 堀川橋を架けたのは誰で、いつ完成したのですか。
- 飫肥の石工・石井文吉が明治32年(1899年)に着手し、明治36年(1903年)8月に完成させました。それ以前は「油津板橋」と呼ばれる木橋で、風波によってたびたび破壊されていました。
- 堀川橋はなぜ乙姫橋とも呼ばれるのですか。
- 橋が吾平津神社の参道を兼ねているためです。この神社はかつて乙姫大明神と称し、現在も「乙姫さん」の名で呼ばれています。その通称が橋の別名として定着しました。
- 堀川橋の架設は周囲の町並みにどんな影響を与えましたか。
- 石橋を架けるにあたり取付道路が嵩上げされ、周辺の家々は1階が道路面より低くなりました。そのため2階を入口とする造りが生まれ、運河沿いの路地では今もその形式を見ることができます。
- 堀川橋の寸法と文化財区分を教えてください。
- 国指定文化財等データベースでは石造単アーチ橋、長さ21.0メートル、幅員5.7メートル、員数1基。平成10年12月11日登録(同月25日告示)、登録番号45-0007の登録有形文化財です。日南市の資料は長さを欄干両端間で21メートル、幅を5.65メートルとしています。所有者は日南市です。
基本情報
| 名称 | 堀川橋(乙姫橋)(ほりかわばし・おとひめばし) |
|---|---|
| 所在地 | 宮崎県日南市油津1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 45-0007 |
| 指定年 | 平成10年(1998年)12月11日登録(同年12月25日告示) |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 石造単アーチ橋、長さ21.0メートル、幅員5.7メートル。明治36年(1903年)8月竣工(日南市資料では幅5.65メートル) |
| 所有者 | 日南市 |
| 公開状況 | 現役の公道橋。常時通行可、無料。撮影制限なし |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)/堀川橋(乙姫橋)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001023
- 文化遺産オンライン/堀川橋(乙姫橋)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/180933
- 日南市文化遺産ミュージアム/堀川橋(乙姫橋)
- https://www.city.nichinan.lg.jp/museum/tourokubunnkazai/kennzoubutsu_sekizoubutsu/8/3991.html
- 日南市観光協会/堀川橋
- https://www.kankou-nichinan.jp/tourisms/349/
- 土木遺産 in 九州/堀川橋
- https://dobokuisan.qscpua2.com/heritage/miyazaki/miy19_horikawabashi/
最終更新日: 2026.08.06