運河の両岸に続く二キロの石積み
堀川運河護岸(ほりかわうんがごがん)は、宮崎県日南市の油津地区を貫く堀川運河の石積護岸で、明治期から昭和前期にかけて築かれ、平成16年(2004年)2月17日に国の登録有形文化財となった。総延長2058メートルに及び、石段7所と斜路2所を含む。
この総延長は両岸を合わせた数字である。運河そのものの長さがおよそ1450メートルであるのに数値が上回るのはそのためだ。登録上の所在地も一点ではなく、春日町・油津・材木町・園田・西町の各地先という町名の列挙になっている。建物ではなく街区の単位で捉える文化財と言ってよい。
石材は日南海岸の砂岩。外面の一面を長方形のほぼ同一規格に加工し、谷積み、つまり石を斜めに落とし込む積み方で仕上げてある。壁面には所々に排水口が穿たれている。干潮時に水位が下がると見つけやすい。
運河の開削 ― 貞享三年までの二年四か月
油津は天然の良港をもちながら、ひとつの困難を抱えていた。飫肥藩の財は内陸の山で育つ飫肥杉にあり、その材を港へ運ぶには外洋に突き出た岬を海路で回らねばならない。高波が筏をさらうことが繰り返された。
5代藩主・伊東祐実は、迂回ではなく掘り抜くことを選ぶ。天和3年(1683年)12月5日、中村與右衛門と田原権右衛門にそれぞれ10人の部下をつけ、7日交替の堀川奉行として工事に着手させた。ところが乙姫神社から林光寺までの数十間はすべて岩石で、工事は難航する。貞享2年(1685年)6月、中村を郡代に転出させて平部長右衛門俊英を堀川奉行に据え、連日休みなく工事を続けて、貞享3年(1686年)3月25日にようやく完成した。着工から2年4か月であった。
完成した堀川は長さ15町、約1500メートル。広い所で20間(約36メートル)、狭い所で12から13間(約22メートル)、水深は2から4仞(約3から6メートル)。広渡川からの水門口には、洪水時の水流を和らげる石堰堤が築かれた。油津は名実ともに飫肥藩の外港となり、江戸時代前期には藩主の参勤交代もここから船出している。
護岸を築いたのは誰か
護岸は運河より二世紀ほど新しく、しかも藩や国の事業ではない。明治から大正、昭和初期にかけて、堀川運河の両岸は飫肥杉の弁甲材、すなわち船材用に角取りした材の貯木場となった。岸沿いの土地を持っていたのは河野家や川越家といった木材業者である。彼らが県の許可を得て、自ら石積みを築いた。貯木の重みで岸が崩れるのを防ぐためだった。
石段と斜路も同じ商いの論理から生まれている。当時の主な交通機関は運河の舟運だったから、街路が水際に達する地点に石段が設けられた。等間隔ではなく道の線形に従っているのはそのためである。斜路は傾斜したスロープで、弁甲材を水から揚げ、また降ろすために使われた。
この石積みが支えた商いは国内にとどまらない。江戸時代から昭和30年代まで、飫肥杉は日本のみならず朝鮮半島・台湾・中国における木造船の主要な船材だった。ここに石を積んだ人々の取引先は、三つの国の造船業者だったことになる。
埋め立て計画から、コンクリートの下の石へ
戦後の数十年は護岸にとって厳しい時期だった。補強工事が進むなかで石積護岸はコンクリートで覆われ、多くの区間で姿を消していく。昭和50年代には運河そのものを埋め立てる計画が決定された。
これを止めたのは地元だった。昭和63年(1988年)に市民による運河保存運動が起こり、埋め立て計画は見直される。平成5年(1993年)からは宮崎県による堀川運河の保存整備が始まり、石積護岸を覆っていたコンクリートは撤去され、伝統的工法で修復された。現在見ることのできる石積みはこの成果である。後年の被覆の下から取り戻された歴史的構造物、という前提で眺めるとよい。
登録は平成16年、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」の基準による。登録有形文化財は平成8年(1996年)に始まった制度で、許可制の重要文化財とは異なり、築50年以上を経てなお使われている建造物を届出制で保護する。堀川運河はどちらの条件も満たす。台風が来れば今も漁船の避難場所として機能している。
運河沿いを歩く
水際には遊歩道が通り、全区間が時間の制限なく無料で歩ける。料金所や受付の類はどこにもない。JR日南線の油津駅から徒歩約10分で堀川橋に着く。明治36年(1903年)架設のこの石造アーチ橋も登録有形文化財で、散策の起点として都合がよい。
橋から見下ろすと、干潮時には排水口の位置や、当初材と修復材の継ぎ目が判別しやすくなる。中町通りを東へ少し歩けば、大正11年(1922年)に木材商・河野家によって建てられた油津赤レンガ館があり、こちらは内部を無料で見学できる。運河では往時の材木輸送を再現する弁甲筏流しが行われ、橋の近くには堀川資料館もある。
公道および遊歩道からの撮影に制限はない。油津地区には登録有形文化財が14件残っており、半日はゆうに過ごせる。この石積みを支えた杉を産した城下町・飫肥は、内陸へ7キロ、車で10分ほどの距離にある。
Q&A
- 堀川運河護岸は自由に歩いて見学できますか。
- できます。運河沿いに遊歩道が整備されており、時間の制限も料金もありません。石積みは干潮時にもっとも見やすく、壁面に穿たれた排水口も水位が下がると確認できます。JR日南線の油津駅から堀川橋まで徒歩約10分です。
- 堀川運河護岸は誰がいつ築いたのですか。
- 明治期から昭和初期にかけて、河野家や川越家など岸沿いの土地を所有する木材業者が、県の許可を得て築造しました。両岸が飫肥杉の貯木場となり、貯木の重みで岸が崩れるのを防ぐ必要があったためです。運河そのものは貞享3年(1686年)完成と、はるかに古いものです。
- 堀川運河護岸の総延長はどれくらいですか。
- 登録上の総延長は両岸あわせて2058メートルで、石段7所と斜路2所を含みます。運河そのものは広渡川と油津港のあいだをおよそ1450メートルで結んでいます。員数は1所として登録されています。
- 堀川運河護岸にある石段と斜路は何のためのものですか。
- 当時の主な交通手段が舟運だったため、街路が水際に達する地点に石段が設けられました。間隔が不均等で道の線形に従っているのはそのためです。斜路は傾斜したスロープで、飫肥杉の弁甲材を水面から揚げ降ろしするために使われました。
- 堀川運河護岸が失われかけたことはありますか。
- あります。戦後の補強工事で石積みの多くがコンクリートに覆われ、昭和50年代には運河の埋め立て計画が決定されました。昭和63年の市民による保存運動を受けて計画は見直され、平成5年から宮崎県がコンクリートを撤去し、伝統的工法で石積みを修復しています。登録はその後の平成16年です。
基本情報
| 名称 | 堀川運河護岸(ほりかわうんがごがん) |
|---|---|
| 所在地 | 宮崎県日南市春日町・油津・材木町・園田・西町地先 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 45-0011 |
| 指定年 | 平成16年(2004年)2月17日登録(同年3月4日告示) |
| 員数 | 1所 |
| 寸法 | 石造、総延長2058メートル、石段7所及び斜路2所付。砂岩の切石を谷積みとする。明治期から昭和前期 |
| 所有者 | 宮崎県、日南石油株式会社 他 |
| 公開状況 | 運河沿いの遊歩道は常時開放、無料。受付なし |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)/堀川運河護岸
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004095
- 日南市文化遺産ミュージアム/堀川運河護岸
- https://www.city.nichinan.lg.jp/museum/tourokubunnkazai/kennzoubutsu_sekizoubutsu/8/4000.html
- 日南市観光協会/堀川運河
- https://www.kankou-nichinan.jp/tourisms/316/
- 一般社団法人 九州地方計画協会/油津と堀川運河の歴史
- https://k-keikaku.or.jp/%E6%B2%B9%E6%B4%A5%E3%81%A8%E5%A0%80%E5%B7%9D%E9%81%8B%E6%B2%B3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/
- 土木遺産 in 九州/堀川運河
- https://dobokuisan.qscpua2.com/heritage/miyazaki/miy18_horikawaunga/
最終更新日: 2026.08.06