桁行25メートル、奥行きわずか8メートルの家
那須家住宅は、棟の端から端まで約25メートルの長さがありながら、奥行きはおよそ8.6メートルしかない。横一列に並んだ四つの部屋が一続きの縁側に面し、東端には土間が付く。この極端に細長い間取りには理由がある。平地に乏しい椎葉の山中で、斜面のわずかな平坦地に家を載せるには、奥へ広げるのではなく横へ伸ばすしかなかった。建物そのものが、山村の土地条件への解答になっている。
宮崎県北部の山深い椎葉村に建つこの民家は、江戸後期の文政6年(1823年)の建築として登録されている。所有してきたのは代々の那須家である。ただし地元での通称は別にある。「鶴富屋敷」――村に語り継がれてきた源平の世の言い伝えにちなむ呼び名で、訪れる人の多くはこちらの名で記憶している。
椎葉型――山に横向きに建てる家
建築史の分類では、この家は「並列型民家」にあたる。部屋を横一列に配し、いずれも同じ前面の縁側に開く形式で、椎葉地方に典型的なことから「椎葉型」とも呼ばれる。奥行きの深い四角い敷地を確保しようとすれば大規模な造成が必要になる斜面でも、奥行き一間の細長い家であれば、薄い段地に載せたまま一通りの生活空間を収めることができた。地形への工夫が、そのまま平面形式になっている。
昭和31年(1956年)に国の重要文化財に指定された理由は、こうした適応の巧みさだけにとどまらない。一続きの縁側の背後に部屋を並べる構成には、平安貴族の寝殿造に通じる空間の考え方が残されている。宮廷の建築様式が、山間の村の木と茅へと置き換えられているのである。用材は太く大ぶりで、この規模の民家としては重厚なつくりになっている。
屋根にも注目したい。又首を組んだ寄棟造で、棟の上には九本の千木が立つ。千木は神社の屋根を飾る部材として知られ、これが民家の棟に並ぶのは珍しい。屋根はもともと茅葺で、指定当時もそのように記録されている。昭和38年(1963年)に防火のため表面を銅板で覆ったため、現在は茅葺の急な勾配を保ったまま、火の粉に強い姿になっている。
縁側を歩く――部屋ごとの見どころ
縁側に上がると、間取りは左から右へと読み解ける。最初は仏間にあたる「こざ」で、古い習わしでは女性が入らない部屋とされた。次が客を迎える「でい」、続いて寝間の「つぼね」、そして家族が囲炉裏を囲んで過ごす「うちね」が並ぶ。その先に作業や収納のための土間が控える。端に立って一列を見通せば、家一軒の暮らしぶりが一目で見渡せる。
建物に結びついた言い伝えは、十二世紀末、源平の争乱で平家が敗れた後の出来事にさかのぼる。落ち延びた平家の残党が椎葉の山中に隠れ住み、農耕で静かに暮らしていた。鎌倉方は那須与一に追討を命じたが、病のため弟の那須大八郎宗久が代わって椎葉へ向かう。大八郎は、再興の意志もなく貧しく暮らす落人の姿を見て追討を断念し、討伐を果たしたと鎌倉へ報告したうえで村に留まった。そして農耕を指導し、平家の守護神を勧請して社を建てたという。
やがて大八郎は、平清盛の末裔とされる鶴富姫と恋に落ちる。鎌倉から帰還を命じられたとき、姫は子を宿していた。大八郎は太刀と系図を残し、生まれた子が男児なら下野の那須家へ寄越すよう言い置いて村を去る。生まれたのは女児であったため、鶴富姫はそのまま椎葉に残った。子孫は那須姓を名乗り、現在も村民のおよそ二割がこの姓を持つという。屋敷の敷地内には鶴富姫の墓と伝わるものがある。なお、現存する建物は江戸期の建築であり、言い伝えの時代よりはるか後のものである点は押さえておきたい。これは言い伝えに名を残す家系の住居であって、伝説の二人がともに暮らした家そのものではない。
周辺の見どころ
隣には椎葉民俗芸能博物館があり、言い伝えと村の生きた伝統をより深く知ることができる。資料と映像で紹介されるのは、村内の各地区に受け継がれてきた夜通しの神楽である椎葉神楽や、大八郎と鶴富姫の別れを歌った民謡「ひえつき節」などである。屋敷と博物館の共通券も用意されている。
大八郎が勧請したと伝わる厳島神社も村に残り、12月には神楽が奉納される。また毎年11月には椎葉平家まつりが開かれ、平家の落人と、彼らを助けることを選んだ源氏の使者をめぐる同じ言い伝えを題材にした行列や催しで村がにぎわう。
椎葉村へ足を運ぶには相応の覚悟がいる。一般的なのは海沿いの日向市駅から村の中心部まで2時間を超えるバスの道のりで、深い谷をたどって登っていく。屋敷のかたわらには那須家の子孫が営む旅館があり、宿泊できるほか、事前に予約すれば歴史ある建物の中で食事をとることもできる。
Q&A
- 那須家住宅と鶴富屋敷は同じ場所ですか。
- 同じ建物です。那須家住宅は重要文化財として指定された際の正式名称で、鶴富屋敷は地元の言い伝えにちなんだ通称です。両者は同一の家を指します。
- 伝説の二人は実際にこの建物に住んでいたのですか。
- いいえ。言い伝えは十二世紀末のものですが、現存する建物は文政6年(1823年)の建築です。伝説に連なる那須家の住居であって、伝説に登場する人物そのものの住まいではありません。
- なぜ屋根は茅葺ではなく銅板なのですか。
- もとは茅葺で、指定当時もそのように記録されています。昭和38年(1963年)に防火のため表面を銅板で覆いましたが、茅葺時代の急な寄棟の形は保たれています。
- 建物の中に入れますか。
- 入館料を払えば見学できます。隣接する椎葉民俗芸能博物館との共通券もあります。11月の椎葉平家まつりの期間は庭からの見学に限られる日があるため、事前の確認をおすすめします。
- 間取りのどこが珍しいのですか。
- 桁行約25メートルに対し奥行きは一間ほどしかなく、すべての部屋が一続きの縁側の背後に横一列に並びます。この並列型、すなわち椎葉型の平面は、平地の乏しい急な地形への工夫として生まれました。
基本データ
| 名称 | 那須家住宅(なすけじゅうたく)/通称 鶴富屋敷 |
|---|---|
| 所在地 | 宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良1818番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(昭和31年〔1956年〕6月28日指定) |
| 時代 | 江戸後期・文政6年(1823年) |
| 種別 | 近世以前/民家 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式 | 桁行25.1メートル、梁間8.6メートル、寄棟造、茅葺形銅板葺(昭和38年に銅板葺へ)、東面庇附属 |
| アクセス | JR日向市駅から宮崎交通バスで椎葉村中心部まで約2時間20分 |
| 公開 | 日中公開。隣接の椎葉民俗芸能博物館との共通券あり(11月のまつり期間は時間・見学方法が変わる場合あり) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3626
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191463
- 椎葉村教育委員会「鶴富屋敷」
- https://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/education/culture/turutomi.php
- 椎葉村観光協会「鶴富屋敷」
- https://www.shiibakanko.jp/tourism/spot-3/spot1
- 椎葉村観光協会「平家落人伝説」
- https://www.shiibakanko.jp/history/history2
最終更新日: 2026.06.02