「第七号」という番号が示すもの
荏沢川第七号石堰堤は、長野県千曲市大字桑原にある明治17年(1884年)頃築造の砂防堰堤で、平成21年(2009年)1月8日に国の登録有形文化財(建造物)となった。
荏沢川で文化財となっている石堰堤は4基あり、その番号は第一号、第二号、第三号、そして第七号である。間の第四号から第六号は登録されていない。明治期の計画が少なくとも7基を数えたこと、そして一世紀余りの間に列が痩せたことがうかがえるが、欠けた堰堤がどうなったのかについて、ここで参照した資料は記していない。
第七号は現存4基の最下流に位置し、第三号の約80メートル下流にある。散策路を歩き始めた見学者が最初に出会う一基でもある。規模は堤長12メートル、堤高3.2メートルで、4基のうち最も小さい。堤体下端からは延長5.6メートルの水叩が続く。小さいことは軽いことを意味しない。列の末端に立つ以上、上流の3基が通した土砂はすべてここへ来る。
法律より先に立った施設
この堰堤が築かれた時点で、日本に砂防に関する法律はなかった。砂防法の施行は明治30年(1897年)である。長野県の資料によれば荏沢川の工事は明治15年から17年(1882〜1884年)にかけて行われ、内務省の直轄事業として実施された。文化庁の解説は本堰堤を「内務省の直轄によるわが国初期の砂防施設の一つ」と位置づけている。制度が整う前、技術者が山地の土砂とどう向き合ったかを実物で示す遺構である。
その解答は天端に現れている。堰堤の頂部は水平ではなく、中央がわずかに垂れ下がる曲線を描く。緩んだ縄の形になぞらえて「なわだるみ」と呼ばれる形状で、荏沢川の4基はいずれもこの形をとる。流れを流路の中央へ寄せ、水平な天端であれば端部から溢れて袖を洗掘するところを、あらかじめ避けている。
積み方は全体が空石積である。大きな石を噛み合わせ、生じた隙間に小石を打ち込んで固定する。接合材は用いない。この積み方の壁は水を堰き止めるのではなく通すため、背面に地下水が溜まらない。石が個々にわずかに動いても、構造全体が割れることはない。
旧桑原村に伝わったとされる竣功箇所の一覧図が、現存する遺構と一致すると報告されている。明治前期の土木構造物について、こうした図面と実物の対応関係が残る例は少ない。
登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、登録番号は20-0339である。
ここから歩き始める
荏沢川沿いには約1キロメートルの散策路が整備され、4基すべてを順にたどれる。入口には駐車場と現地案内板がある。長野県による整備・管理で、見学は無料、門扉も閉門時刻もなく、撮影の制限もない。県が挙げる見学時期は春から秋。トイレは経路上にない。千曲市役所からは県道小峰稲荷山線を経て車で約20分、入口付近では長野自動車道の高架が頭上を横切る。
第七号から歩き始めると、道行きが積み上がっていく。この一基が語彙を提示する。目地のない空石積、垂れ下がる天端、下流へ伸びる水叩。上流の各基はその変奏になり、差異のほうが見どころに変わる。第三号は堤長35メートルへ横に伸び、第二号は二段構えで堤高8.0メートルに達し、第一号は群中で最も緩い勾配で寝かせてある。
渓流そのものは小さく、雰囲気も山奥というより里に近い。人家が遠くなく、勾配も緩い。石積みが見える状態に保たれているのは、桑原地区の住民が県と協働して毎年草を刈っているからである。築造から140年余りを経てなお、この堰堤群は下流に暮らす人々のために土砂を受け止め続けている。
千曲市内には車で回れる立ち寄り先がある。北国西街道の宿場町で平成26年(2014年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定された稲荷山の町並みと、姨捨の棚田である。
Q&A
- 現存が4基なのに、荏沢川第七号石堰堤の番号が「七」なのはなぜですか。
- 登録されているのは第一号・第二号・第三号・第七号で、第四号から第六号は登録されていません。明治期の計画が少なくとも7基からなっていたことがうかがえますが、欠けた堰堤の経緯について参照可能な資料には記載がありません。
- 荏沢川第七号石堰堤は見学できますか。見学時間はありますか。
- 見学できます。長野県が整備した散策路の脇にあり、無料で時間の制約もなく、撮影も自由です。県は春から秋の見学を推奨しており、経路上にトイレはありません。
- 荏沢川第七号石堰堤へはどう行けばよいですか。
- 千曲市役所から県道小峰稲荷山線を経て車で約20分です。長野自動車道の高架をくぐった先に駐車場と案内板があり、散策路の最初に現れるのが第七号です。路線バスの便は限られるため、車またはタクシーが確実です。
- 荏沢川第七号石堰堤の天端が中央で下がっているのはなぜですか。
- 「なわだるみ」と呼ばれる形状で、荏沢川の4基に共通します。天端の中央を下げることで流れを流路中央へ集め、堰堤端部への水当たりと洗掘を抑える働きがあります。
- 荏沢川第七号石堰堤は日本の砂防史でどのような位置にありますか。
- 文化庁は本堰堤を内務省直轄によるわが国初期の砂防施設の一つとしています。工期は明治15年から17年で、砂防法制定の明治30年(1897年)より十数年早く、制度成立以前の砂防技術を伝える遺構として評価されています。
基本情報
| 名称 | 荏沢川第七号石堰堤(いざわがわだいななごういしえんてい) |
|---|---|
| 所在地 | 長野県千曲市大字桑原 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 20-0339 |
| 指定年 | 平成21年(2009年)1月8日登録、同年1月22日告示 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 石造堰堤、堤長12メートル、堤高3.2メートル、水叩付(延長5.6メートル) |
| 所有者 | 長野県 |
| 公開状況 | 常時見学可・無料。散策路約1キロメートル、駐車場・現地案内板あり、トイレなし。見学時期は春から秋が推奨 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)荏沢川第七号石堰堤
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007492
- 国指定文化財等データベース(文化庁)荏沢川第三号石堰堤
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007491
- 長野県「安全安心の信州を目指して 第9編 土木のお宝 砂防関係施設」(PDF)
- https://www.pref.nagano.lg.jp/sabo/siryou/documents/sono9.pdf
- 中部産業遺産研究会 会報 第68号(PDF)
- https://csih.sakura.ne.jp/kaihou/K68.pdf
最終更新日: 2026.08.04