旧山寺常山氏庭園 ― 松代の水を引く、武家屋敷の泉水

長野市松代町の旧城下を南へ歩くと、町並みが象山の麓にぶつかる手前で、街路に沿って長く伸びる門に行き当たる。全幅およそ二十二メートル、松代城下に現存する門のなかでは最大級という長屋門。これが旧山寺常山氏邸の表門であり、その奥に広がる池泉と水路が、平成二十年に国登録記念物(名勝地関係)として登録された。

正式名称は「旧山寺常山氏庭園」。指定の理由は、庭そのものの意匠というより、この庭が松代城下に張りめぐらされた「泉水路」の最上流に位置するという立地にある。神田川から直接取水し、池を満たし、下流の屋敷へと水を分けてゆく ― 城下町ぐるみの水の循環の起点に、中級武士の屋敷地がひっそりと据えられている。

松代三山と山寺常山という人

山寺常山(一八〇七―一八七八)は、儒者の鎌原桐山、幕末の思想家として知られる佐久間象山と並び「松代三山」と称された松代藩士である。三人の雅号がいずれも「山」の字で終わる偶然から生まれた呼び名だが、その背景には、松代藩が幕末期に輩出した知的人脈の厚みがあった。

山寺家は知行百六十石。下級武士の上、上士の下という、いわゆる中級武士の家格にあたる。常山は江戸詰めの折に兵学を平山行蔵に、経学を古賀侗庵に学び、佐藤一斎や中村正直らとも交友を結んだ。第八代藩主・真田幸貫が天保十二年(一八四一)に老中となり海防掛を兼ねるや、常山は藩士たちに兵学を講じて防備の充実に努め、寺社奉行・郡奉行・軍奉行などを歴任している。明治三年(一八七〇)の松代騒動の際には知藩事真田幸民の命で民政を委ねられ、騒擾の鎮撫にあたった。晩年は長野県学校に教授として迎えられ、皇漢学を講じている。

今に残る屋敷地は、しかし常山の生きた江戸期のままではない。主屋は大正期に失われ、書院は彼の没後しばらく経って建てられた。それでも、ここを歩いて感じるのは、ひとつの学問の家がゆっくりと残してきた空間の手触りである。

表門 ― 城下随一の長屋門

来訪者がまず目にするのは、街路に長々と腰を据えた表門である。江戸時代後期から明治初期にかけての建立と推定され、形式は長屋門。本来であれば中・上級武家にこそ許される格式の高い門の様式で、中央の門扉の両側に長屋が連なる構成をとる。全幅約二十二メートル、間口の中央扉が約二・一メートル。松代城下に現存する門のなかでは最大級というのは伊達ではない。

近づいて細部を見ると、扉の両脇には出格子と与力窓が並び、腰板には下見板張りが施されている。装飾を抑えながら、武家屋敷の正面構えとしての格を示す姿である。

長く風雨にさらされ、一時は荒廃に近い状態にあった表門は、平成十四年度から十六年度にかけての解体保存修理を経て、現在の落ち着いた姿に整えられた。

書院「対竹廬」と円窓

表門と渡り廊下で連なる書院は、「対竹廬」(たいちくろ)と名付けられている。大正末期から昭和初期に建てられたと推定され、表門よりも一段高い位置に据えられているのは、庭園を見下ろす視線を意識した配置と考えられている。

平面は東西二列、計六室。東列の座敷を東南面に並べて広縁を回し、庭を真正面に望ませる一方、西列には円窓を持つ茶室を仕立てている。池と石組、その向こうに迫る象山の山並みを、丸い窓ひとつで一枚の画のように切り取る ― 数寄の意匠としてはむしろ古典的な手法だが、近代和風建築の秀作と評価される理由のひとつである。

敷地北東隅には、もうひとつ小ぶりな門が立つ。間口一・九メートルの棟門で、切妻造桟瓦葺。これが昭和十五年(一九四〇)に建てられた頌徳門である。大正末に主屋が失われた後、敷地北側に山寺常山の頌徳碑が立てられ、その正面にあたる門として整えられた。

庭園を読む ― 神田川から引かれる水

庭は一目で見渡せる広さだが、しばらく腰を下ろせば、構成の細部に気づき始める。中央に据えられた池は、ここでは「泉水」と呼ばれる。屋敷地のすぐ脇を流れる神田川から直接取水し、石組で囲まれた水路が水を導き入れ、ためた水は反対側から流れ去って、下流の屋敷の池へと続いてゆく。

この水路網こそが、当庭園の登録の根拠である。松代城下には、神田川から引いた水を「泉水路」と呼ばれる細い水路で街区にめぐらせ、武家屋敷の庭の池を順に通過させてゆく独自の水利の仕組みがあった。山寺邸はその最上流にあたる起点で、ここから流れ出した水が下流の象山神社園池などへと連なっていく。庭の出口にかかる小さな石橋を渡ると、足元の水がこれから旅をしてゆくという感覚が静かに立ち上がる。

屋敷の背後にそびえる象山を借景にとり、庭内にはカシワ・カキ・アンズなどが植えられている。地割そのものは大正期の整備によるものだが、平成期の修復で石積みを積み直した際、既存石積の下部に江戸期の胴木が確認されており、池と水路の位置自体は常山が暮らした頃から大きく動いていないと推測されている。

登録の意味するもの

日本の文化財制度では、「名勝」が指定文化財の高位に位置するのに対し、平成十七年(二〇〇五)の制度創設で生まれた「登録記念物」は、より柔軟な保護の枠組みとして用いられている。旧山寺常山氏庭園が「国登録記念物(名勝地関係)」として登録されたのは平成二十年七月二十八日。指定文化財に比べると規制は緩いが、その分、地域の生活景として残されてきた価値を尊重する性格が強い。

文化庁の評価は端的にこう述べる ― 一つの泉水路で連続する一群の庭園のうち、中級武士の質素な生活を物語る事例として意義深い、と。城下町・松代を一つの水のネットワークとして捉えたとき、その上流に据えられた、決して豪奢ではない屋敷地。この控えめさこそが、近世武家社会の実像をいまに伝えるという考え方である。

周辺の見どころ

松代は中部日本でもとくに保存状態のよい武家屋敷の町並みを残しており、山寺邸を起点とした半日散策は内容に事欠かない。北へ少し戻れば、復元整備された松代城跡、真田家の収蔵品を伝える真田宝物館、藩主の住まいであった真田邸、そして藩校・文武学校が立ち並ぶ。文武学校は江戸期の藩校建築が現存する数少ない事例である。

松代三山つながりでは、佐久間象山の旧宅跡が徒歩五分ほどの位置にあり、同じ神田川の水路網に連なる象山神社の園池も同じ通り沿い。山寺邸の裏手には「思索の小径」と呼ばれる細い遊歩道が水路に沿って続き、秋には木々の色づきがことに美しい。

長野駅まで戻れば善光寺門前まで一足。松代を午前にあて、午後に善光寺、というのが長野市内に滞在する旅行者の自然な組み立てとなる。

Q&A

Q入場料は必要ですか。
A無料で見学できます。表門・書院・庭園のほか、敷地内には無料休憩所も置かれており、松代に関する資料に目を通すことができます。
Q見ごろの季節はいつですか。
Aそれぞれの季節に趣があります。春は庭木の新緑が清々しく、秋は借景となる象山と庭木の紅葉が呼応し、冬は葉を落とすことで表門の架構の美しさが際立ちます。来訪者の少ない平日の午前中が落ち着いて鑑賞できる時間帯です。
Q他の松代の庭園とどのように関わっていますか。
A旧山寺常山氏庭園は、神田川から引かれた松代城下の泉水路の最上流に位置しています。ここで池に蓄えられた水は下流の武家屋敷へと水路で結ばれて流れていきます。同じ水系の象山神社園池をはじめ、複数の庭園が国の登録記念物となっています。
Q書院の中に入ることはできますか。
A書院は自由に見学できます。庭園に面した広縁から座敷、円窓を備えた茶室まで歩いて回ることができ、近代和風建築の意匠を間近に確認できます。建物に上がる際は靴を脱いでご見学ください。
Q所要時間はどれくらいですか。
A門・書院・庭園をじっくり見て、二十分から三十分ほど。裏手の「思索の小径」を歩き、近隣の象山神社まで足をのばすと、合わせて一時間程度の散策となります。

基本情報

名称旧山寺常山氏庭園(きゅうやまでらじょうざんしていえん)
所在地〒381-1231 長野県長野市松代町松代1493-1
指定区分国登録記念物(名勝地関係)
登録年月日平成20年(2008年)7月28日
主な建造物表門(長屋門形式・江戸後期~明治初期、全幅約22m)、書院「対竹廬」(大正末期~昭和初期)、頌徳門(昭和15年)
庭園の特徴池泉と泉水路、神田川からの取水、象山を借景、カシワ・カキ・アンズ等の植栽
入場料無料
開館時間4月~10月:9:00~17:00(入場は16:30まで)/ 11月~3月:9:00~16:30(入場は16:00まで)
休館日12月29日~1月3日
アクセス長野駅善光寺口3番乗り場よりアルピコ交通「松代行き」(30番)約30分、八十二銀行前下車徒歩約10分。長野ICより車で約15分。
駐車場象山東駐車場(徒歩約5分)、市営駐車場(松代城跡前、徒歩約12分)
問い合わせTEL:026-278-0260

参考文献

文化遺産オンライン 旧山寺常山氏庭園
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163278
長野市文化財データベース「頭感」 旧山寺常山氏庭園
http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1378.html
長野市文化財データベース「頭感」 山寺常山邸建造物
http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page4694.html
真田宝物館 山寺常山邸
https://www.sanadahoumotsukan.com/facility_detail.php?n=8
信州松代観光協会 山寺常山邸
https://www.matsushiro-kankou.com/spot/spot-615/

最終更新日: 2026.05.15