松本街道 ― 姫川を越えた塩の道
越後の糸魚川から信州松本まで、姫川の谷に沿って約120キロメートル。日本海でとれた塩を内陸へ運ぶため、牛とボッカ(歩荷)が幾度も往復した山越えの道が松本街道である。糸魚川市域に残る区間は平成14年(2002年)3月に国の史跡に指定され、その後の追加指定を経て、令和7年(2025年)3月にも指定範囲が広げられた。
指定の対象は一つの建造物ではなく、約5キロメートルの古道そのものと、沿道の石仏群、茶屋跡、ボッカ宿跡などの関連遺跡である。海の集落と山の集落という性格の異なる二つの世界を、塩や海産物がどのように越えていったのか。実際に歩くと、その仕組みが道の地形から読み取れる。
一つの地域を支えた脇街道
松本街道は、日本海沿いの幹線である北陸道の脇街道にあたる。呼び名は土地によって変わり、信州側では糸魚川街道、ほかに信州街道、千国街道とも呼ばれた。糸魚川側でとりわけ強く結びついていたのが塩である。
塩は内陸ではつくれない。松本盆地やその周辺の谷あいに暮らす人々は海から運ばれる塩に頼っており、もっとも現実的な供給地が、山をはさんで真北にあたる糸魚川の海岸だった。海側からは塩と海産物が南へ、信州側からは大豆・煙草・生薬・綿・麻などが北へ運ばれた。糸魚川領の口留番所に残る「扱い荷駄記録」を見ると、その偏りがはっきりとわかる。安政5年(1858年)12月から翌6年11月までの間、信州へ送られた荷と信州から入った荷の割合はおよそ10対1で、南へ向かう荷のほとんどを塩と海産物が占めていた。
運搬は過酷な労働だった。ボッカや牛方と呼ばれた人々は、平均でおよそ50キログラムの荷を背負い、一日に約30キロメートルを歩いたという。峠では100メートル、白池の周辺では300メートルにも及ぶ高低差を越えなければならず、近道はなかった。
上杉謙信と「義塩」の故事
この道は、戦国時代のよく知られた逸話の舞台でもある。越後を治めた上杉謙信は、街道沿いに番所を設け、信州問屋という公認の問屋制度を整えて交易を管理しながら、塩そのものの流通は止めずに保障した。太平洋側からの塩の供給を敵対する勢力に断たれ、塩不足に苦しんでいた信州の武田信玄のもとへ、謙信が塩を送ったと伝えられる。
「敵に塩を送る」。真に困っている相手の弱みにつけ込まず、かえって助けるという意味のこのことわざは、この故事に由来するとされる。逸話をどこまで史実とみるかは研究者の間でも見方が分かれており、伝承として受けとめるのが穏当だろう。一方で街道そのものは確かに存在し、そこを行き交う交易は厳しく統制されていた。慶長9年(1604年)には6軒の問屋が公認され、番所の制度は明治2年(1869年)に番所と信州問屋がともに廃止されるまで続いた。
古道が残った理由
明治25年(1892年)に新道が開通すると、古い山越えの道は交易路としての役割を終えた。本来ならそのまま忘れられてもおかしくない。松本街道を残したのは、日常の利用だった。区間によっては林業用の道として、また集落と集落を結ぶ生活の道として使われ続けたため、道型が舗装でつぶされることも、荒れて消えることもなかった。
二十世紀の終わりには、この道は調査の対象になっていた。新潟県教育委員会による「歴史の道」調査が平成2年(1990年)に行われ、文化庁の補助事業による「歴史の道整備事業」が平成4年度から11年度(1992〜1999年)にかけて実施された。糸魚川市域の松本街道は約20キロメートルに及ぶが、大野地区と根知地区を通る約10キロメートルが旧状をよくとどめている。このうち境界を確定できた約5キロメートルと、沿道の石仏群や遺跡が史跡に指定された。指定は、この道が交通の仕組みと地域の生業を示すものであることに基づいている。
古道で目をとめたいもの
もっとも特徴的なのが「ウトウ」である。長い年月をかけた人と牛の往来が、道をU字形に深く掘り下げた。両側が頭の高さを越えるほど切り通された場所もある。この形は、通行者がただ我慢して受け入れたものではない。掘り下げられて壁に囲まれた道は風をさえぎり、雪もたまりにくく、牛が道筋をたどりやすい。大野のウトウはとりわけよく残った例として知られ、この街道が史跡に指定された大きな理由になっている。
道沿いには石造物が点在する。六地蔵の列、駄獣の安全と結びつく馬頭観音、道祖神といった石仏群があり、すり減った文字で行先を刻んだ古い道標も残る。大野の道標には「右ハ井ノ口村人」「左ハ志ん志やう(信州)」とある。お堂のそばに立つカンパ地蔵は、かつて皮膚の病に効くと信じられた石仏で、その傍らには兜岩と呼ばれる岩がある。謙信が信玄に塩を送ったとき、重臣がこの岩に兜を置いたという言い伝えから付いた名である。
もっと静かな痕跡もある。日向茶屋の跡は、旅人が足を休めた場所を示している。文政7年(1824年)の戸倉山の大雪崩で倒壊したボッカ宿2軒に代わって建てられた、間口およそ7.2メートル、奥行き4.5メートルほどの建物だった。道の途中には、行き倒れた旅人を仁王堂の集落の人々が葬った素朴な墓もある。峠越えがどれほど厳しかったかが、そこからうかがえる。
いま街道を歩く
糸魚川市域の区間は、海岸から根知までの約10キロメートルを日帰りで歩くことが多い。両端とも鉄道で行ける。JR糸魚川駅は塩の道の海側の起点に近く、JR大糸線が内陸へ伸びて頸城大野駅・根知駅に至る。糸魚川駅と内陸の集落を結ぶ路線バス(根知線)もあり、片道だけ歩く計画が立てやすい。
道には標識が多く、迷いにくい。ウトウがもっともよく残る中山峠の登りが見どころで、片側に日本海、もう片側に越後と信州の国境の山並みを望む。注意すべき点が二つある。峠の一帯はクマの出没地帯で、道沿いの看板もそれを知らせている。鈴を携え、音を立てて歩くのが賢明である。また姫川の西側を通る道は12月から5月にかけて積雪で歩行が難しく、夏は草が茂って一部が不明になるため、この区間は地元のガイドと歩くことが強くすすめられている。毎年5月2日には、糸魚川市が海岸から根知駅まで塩の道を歩くイベントを開き、これは南隣の長野県側で開かれる塩の道祭りへとつながっている。
塩の道のまわり
糸魚川の市街地では、海側の起点に道路の原標や塩の道広場があり、寺の境内には、休憩の折に牛をつないだ牛つなぎ石が残る。街道沿いの古い民家を利用した塩の道資料館では、ボッカや牛方が使った道具や衣服、荷を運ぶための用具を見ることができる。
糸魚川はユネスコ世界ジオパークでもあり、街道の近くには寄り道したい場所がいくつもある。フォッサマグナミュージアムは、この地域を貫く大断層を解説する施設で、塩の道がたどる谷もその断層に沿っている。館内では、先史時代にこの地で加工されたヒスイも展示される。近くの長者ケ原遺跡には、縄文時代中期の大きな集落跡が保存されている。市街地を見下ろす高台の美山公園も、それ自体が見晴らしのよい場所である。
Q&A
- 糸魚川市域の区間を歩くと、どのくらいかかりますか。
- 海岸から根知までの定番の日帰りコースは約10キロメートルで、中山峠の登りを含め、ゆっくり歩いて一日仕事になります。さらに南の長野県側へ歩き通す長距離トレイルもあります。
- 道は険しいですか。
- 糸魚川市域の区間は技術を要する登山ではなく、中級程度の山歩きです。ただし実際の登り下りや未舗装の道があり、しっかりした靴が必要です。姫川の西側の道はより難しく、季節によっては歩けません。
- 訪れるのによい時期はいつですか。
- 春の終わりから秋にかけてです。5月2日の歩くイベントは新緑の頃にあたり、秋には谷が色づきます。冬は積雪で標高の高い区間と西側の道が閉ざされます。
- ガイドは必要ですか。
- 標識のよく整った中山峠越えの東側区間は、準備の整った歩き手なら単独でも歩けます。西側の道や、状況に不安がある場合は、地元のガイドと歩くことが強くすすめられます。道筋の確認のためでもあり、クマの出没地帯であるためでもあります。
- 「ウトウ」とは何ですか。
- 長い年月の人と牛の往来によって、道がU字形に深く掘り下げられた区間を指す土地の言葉です。大野のウトウがもっともよく残り、史跡の見どころになっています。
基本情報
| 名称 | 松本街道(まつもとかいどう) |
|---|---|
| 別称 | 信州街道、千国街道、糸魚川街道。通称「塩の道」 |
| 所在地 | 新潟県糸魚川市 |
| 種別 | 史跡(国指定) |
| 指定年月日 | 平成14年(2002年)3月19日。追加指定 平成19年(2007年)7月26日、令和7年(2025年)3月10日 |
| 指定面積 | 12,868.89平方メートル |
| 指定基準 | 交通・通信施設、経済・生産活動に関する遺跡 |
| 指定区間 | 約5キロメートルの古道。中山峠の道筋および市道山口白池線を含み、石仏群・茶屋跡・ボッカ宿跡などの関連遺跡を伴う |
| アクセス | 海側の起点はJR糸魚川駅。内陸はJR大糸線の頸城大野駅・根知駅。糸魚川駅から根知線の路線バス |
参考文献
- 文化遺産オンライン 松本街道
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/173855
- 国指定文化財等データベース 松本街道
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3321
- 糸魚川観光ガイド 塩の道資料館
- https://www.itoigawa-kanko.net/spot/shionomichi_museum/
- 糸魚川ユネスコ世界ジオパーク 塩の道コース
- https://geo-itoigawa.com/tourism/course/course2/
最終更新日: 2026.05.25