上諏訪駅前、旧甲州街道に面した昭和三年の店構え

三村貴金属店店舗(みむらききんぞくてんてんぽ)は、長野県諏訪市諏訪の旧甲州街道沿いに建つ昭和初期の商店建築で、昭和3年(1928年)に竣工し、平成23年(2011年)10月28日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

木造2階建、鉄板葺、建築面積は約78平方メートル。上諏訪駅から歩いて三分から五分、本町の商店街に面している。足を止める理由は二つある。ひとつは、通りに向いた正面の壁が、その背後にある木造家屋とほとんど関係のない顔をしていること。もうひとつは、その壁を誰がつくったかである。

この種の建物を看板建築と呼ぶ。木造の町家の骨組みはそのままに、通りに面した一面だけを銅板やモルタル、タイルなどの不燃材で覆い、平らな洋風の面に仕立てる形式を指す。名づけたのは建築史家の藤森照信らで、昭和50年(1975年)10月11日、日本建築学会大会での発表が最初とされる。関東大震災の復興期に東京の下町で一気に広まった。防火という実利と、安価に近代的な外観を得るという二つの動機が重なっている。藤森は昭和21年(1946年)、この店から電車で数駅の茅野の生まれである。

諏訪で最初に登録された看板建築

文化庁のデータベースは、施工を諏訪建築株式会社、設計を同社取締役の小口平助と記録している。あわせて、諏訪には看板建築が数多く残るものの、登録はこの建物が第一号であったことにも触れている。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。

ところが、所有者側に伝わる話はこれと合わない。店の公式サイトは、正面の意匠を当主であった鍛金家の昌三郎と、その弟で宮内庁御用達の彫金作家であった府川開示の共作と伝えている。文化庁の記録と家伝は、素直には重ならない。訪ねる側としては、前者を文献上の記録、後者を家に伝わる言い伝えとして分けて受け取るのが妥当だろう。

意匠そのものについては争いがない。二階正面の中央に半円形のアーチを置き、そのなかに屋号を収める。アーチの内側には放射状のリブが扇の骨のように走り、上部には浅い庇が回る。公式サイトは、大正3年(1914年)竣工の東京駅の各入口上部との類似を指摘する。兄弟がともに東京でも仕事をしていた経歴を踏まえれば、少なくとも見当外れの見立てではない。道の反対側に立って眺めると、この読み方はかなり説得力を持つ。金属で小さなものをつくる職人が、家一軒の大きさで同じ仕事をした、そういう面構えなのである。

三村家が目立つ店構えを求めた背景には、この土地の来歴がある。家の由来は寛永3年(1626年)、徳川家康の六男・松平忠輝が流罪の身で諏訪へ移った際、家老として同道したことに始まると伝わる。忠輝の没後は町人として諏訪に暮らした。明治になって、諏訪の宮大工・立川流の系譜を引く昌三郎を養子に迎える。建築彫刻に長けた祖父と彫金職人の父のもとに育った昌三郎は鍛金に進み、文展・帝展と名を変えて続く官設美術展、現在の日展にあたる公募展で入選する腕になった。大正8年(1919年)には当時の皇太子、のちの昭和天皇にタバコ入れを献上した記録が残る。三村製作所の開業は明治40年(1907年)。場所は城下町から高島城へ向かう入口にあたる武家地で、三村家は江戸末期にここへ移り、料亭「正木屋」を営んでいた。

その料亭時代から引き継いだ町家形式の建物は、大正15年(1926年)4月の火災で焼失する。現在の建物が竣工したのは、その二年後の昭和3年。関東大震災から五年、看板建築という形式が流行の只中にあった時期である。文化庁の記録には昭和44年(1969年)と平成7年(1995年)の改修も記載されている。

更地の案から、二〇二四年の再生へ

隣には、同じ一族が営むブライダル染花みむらの店舗が建つ。こちらも登録有形文化財で、登録された商店建築が二軒並ぶことになる。通りをゆっくり歩けば、同じ年代の建物がほかにも目に入る。諏訪はこの規模の町としては、看板建築の残り方が際立って良い。

もっとも、建物の先行きは一時期かなり危うかった。更地にする案も出ていたと報じられている。結果として選ばれたのは残す道で、空きスペースを改装した複合施設として令和6年(2024年)に再出発した。一階はカフェビストロ「minerai(ミヌレ)」。鉱石を意味するフランス語から採った名前である。二階は高速ガスオーブンや冷凍コールドテーブルを備えた菓子製造も可能なレンタルキッチンと、ギャラリーやポップアップショップ、スタジオとして使えるイベントスペースになっている。

訪問を計画する人にとって、この変化の意味は大きい。内部に入れるようになったからである。公表されている営業時間は11時30分から22時、定休日は水曜と不定休。出かける前に公式サイトや店のSNSで確認しておきたい。外観は歩道からいつでも撮影できる。内部については通常のカフェとしての作法の範囲で、他の客が写り込む場合はひと声かけるのが無難だろう。博物館ではなく現役の店舗であるから、拝観料という考え方はない。

住所について一点だけ注意がいる。文化財の登録上の所在地は諏訪1-10101-1という地番表記だが、実際に使われている住居表示は諏訪1丁目5-20である。指しているのは同じ建物だ。

時間に余裕があれば、駅を挟んで反対側へ十分ほど歩くと諏訪湖に出る。この店が面していた道の行き着く先、高島城の跡は南西へ十五分ほどである。

Q&A

Q三村貴金属店店舗の内部は見学できますか。営業時間はありますか。
A見学できます。令和6年(2024年)の改装後、一階はカフェビストロ「minerai」、二階はレンタルキッチンとイベントスペースとして使われています。公表されている営業時間は11時30分から22時、定休日は水曜と不定休です。現役の店舗のため拝観料はありませんが、訪問前に公式サイトで営業状況を確認してください。
Q三村貴金属店店舗はなぜ看板建築と呼ばれるのですか。
A看板建築とは、木造の町家の骨組みを保ったまま、通りに面した一面だけを銅板やモルタルなどで覆って平らな洋風の面に仕立てる商店建築の形式です。建築史家の藤森照信らが昭和50年(1975年)に命名しました。三村貴金属店店舗はこの構成そのもので、半円アーチと放射状のリブを備えた装飾的な正面が、背後の木造2階建に取り付いています。
Q三村貴金属店店舗の設計者は誰ですか。
A文化庁のデータベースは、施工を諏訪建築株式会社、設計を同社取締役の小口平助と記録しています。一方、所有者側には、当主の鍛金家・昌三郎と弟の彫金作家・府川開示が正面意匠を共作したという言い伝えがあります。前者を文献上の記録、後者を家伝として区別して読むのがよいでしょう。
Q三村貴金属店店舗へは上諏訪駅からどう行けばよいですか。
AJR上諏訪駅から徒歩三分から五分です。駅を町側に出て、旧甲州街道(現在の国道20号)沿いの商店街を進みます。隣接して建つブライダル染花みむら店舗も登録有形文化財なので、二軒が並ぶ場所を目印にできます。
Q三村貴金属店店舗はいつ登録され、登録有形文化財とはどういう制度ですか。
A平成23年(2011年)10月28日に登録番号20-0387で登録されました。基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。登録有形文化財は、重要文化財や国宝の指定制度に比べて規制の緩やかな枠組みで、大きな改変にあたって所有者は許可申請ではなく届け出を行います。現役の店舗として使い続けられている理由のひとつがここにあります。

基本情報

名称三村貴金属店店舗(みむらききんぞくてんてんぽ)
所在地長野県諏訪市諏訪1-10101-1(住居表示では諏訪1丁目5-20)
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 20-0387
指定年平成23年(2011年)10月28日登録
員数1棟
寸法木造2階建、鉄板葺、建築面積約78平方メートル/昭和3年建築、昭和44年・平成7年改修
所有者個人(文化庁データベースには所有者名の記載なし)
公開状況外観は通りから常時見学可。内部はカフェビストロ・レンタルスペースとして営業(11時30分から22時、水曜定休および不定休)。拝観料なし

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「三村貴金属店店舗」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008990
文化遺産オンライン「三村貴金属店店舗」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/246090
三村貴金属店 公式サイト
https://mimura-royalmetal.com/
三村貴金属店 公式サイト「物語」
https://mimura-royalmetal.com/story.html

最終更新日: 2026.08.21