令和7年に登録された、昭和4年の鉄筋コンクリート発電所

南向発電所本館は、長野県上伊那郡中川村葛島にある昭和4年(1929年)竣工の鉄筋コンクリート造平屋建の発電所建物で、令和7年(2025年)8月6日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された(登録番号20-0672)。

登録からまだ日が浅く、現地の案内看板や観光冊子の記載が追いついていない。ただし建物自体は、県道からほぼ一世紀にわたって見えている。河岸段丘を一段下がったところに横たわる白い箱で、天竜川に面した側に背の高い窓が一列に並ぶ。伊那谷を南下する車が、理由もわからないまま速度を落とす場所である。

建築面積は976平方メートル。現在も発電を続けており、中部電力の水力発電所一覧では、天竜川水系の水路式発電所として最大出力28,800キロワット、運転開始は昭和4年4月と記載されている。

アーチが決めている外観

登録基準は「造形の規範となっているもの」。文化庁は本建物を天竜川水系に築かれた最初期の水力発電施設と位置づけ、その解説文は構成についてかなり具体的に踏み込んでいる。

正面側は発電機室で、間仕切りのない一室の大空間を、半円アーチ形の長大な縦長窓が取り囲む。その背後に事務室と機械室が配される。二つの領域は外からでも読み取れる。大きなアーチ窓が刻む長い律動があり、そこから先は普通の窓が並ぶ静かな帯に変わる。

産業建築として手堅いだけでは終わらないのが、放物線アーチ形の窓である。文化庁の解説はこれを前衛的意匠と表現する。昭和4年の日本で放物線アーチを採るのは、意図的な選択だった。鉄筋コンクリートはまだ新しい材料で、それで建てる近代建築がどんな姿であるべきかを、設計者たちは手探りで決めていた時期にあたる。中川村はかつてこの建物をアールデコ調と紹介していた。文化庁の言い回しより緩い括り方ではあるが、受ける印象としては外れていない。

福澤桃介が最後に関わった発電所

建設したのは大正15年(1926年)3月に発足した天竜川電力で、代表取締役は福澤桃介(1868〜1938)。福澤諭吉の婿養子であり、木曽川の電源開発によって電力王と呼ばれた人物である。

工程の組み立ては周到だった。まず上流の大久保発電所を大正15年11月に着工し、昭和2年(1927年)9月に完成させる。出力1,500キロワット。これを22キロボルトの送電線で南向へ送り、工事用電源とした。南向発電所の着工は昭和2年7月。取水は上流の南向ダム(吉瀬ダム、現在の駒ヶ根市中沢)で、高さ7.57メートルの重力式コンクリート堰。ここから約11.7キロメートルの水路で本館まで水を導く。この取水堰堤は平成27年(2015年)に土木学会選奨土木遺産に認定されており、選奨理由ではローリングゲートとそれに調和するゲートピアの個性が挙げられている。

送電は154キロボルト。伊那谷では初の試みで、電力は大同電力へ供給された。その後、事業者は矢作水力、日本発送電を経て中部電力へと引き継がれる。福澤桃介は昭和3年(1928年)に実業界を退いており、南向発電所の完成を見ていない。彼が最後に手がけた水力発電所とされるのはこのためである。

外から見る建築

門は閉ざされており、内部は非公開である。稼働中の発電所であって、見学施設も受付もない。見えるものはすべて柵の外から見ることになる。

それが思うほど物足りなくない。入口脇の一帯は「みなかた広場」として開放されており、足を止めるだけの内容がある。

ひとつは福澤桃介の胸像。角帽姿で造られている。この像自体に来歴があり、昭和5年(1930年)に建立されたものの、昭和19年(1944年)に金属供出で失われ、昭和43年(1968年)に復元された。

ふたつめは、完成70周年を記念して平成12年(2000年)6月に建てられた詩碑で、「水然而火」の四字が刻まれている。「みずもえてひ」と読み、水から起こした電気が火と同じように人々の暮らしを支える、という意味だという。福澤桃介が好んで用いた語で、同じ文字は建物の上方、河岸段丘を上がった水槽の頂部にもレリーフとして残ると伝わる。

みっつめが屋外に展示された水車ランナである。出力16,412キロワット、回転速度毎分300回転のフランシス水車で、直径はおよそ2.5メートル、重量5トン。昭和47年(1972年)から昭和63年(1988年)までこの建物の中で回っていた実物だ。隣に立つと、壁の向こうで起きていることの規模が急に手触りを持つ。

立つ位置と季節

柵に沿って道路を歩いてみたい。途中から柵の高さが下がり、そこから正面が開けてアーチ窓の連なりが読み取れるようになる。公道からの撮影に問題はないが、門の内側にレンズを向けるのは避けたい。

最寄り駅はJR飯田線の伊那大島駅で約3キロ。中央自動車道の松川インターチェンジからは約6キロ。中川村の村営巡回バスには発電所前の停留所があり、降りればすぐである。現地に関する問い合わせ先は中部電力の飯田水力センター(0265-54-6907)。

季節を選ぶなら二つ。広場まわりの桜は4月に咲く。11月の中旬から下旬には、発電所の南西、放水路沿いに植えられた約30本のイチョウ並木が黄に変わる。使い道のなかった土地に地元の有志が植えたもので、背景には中央アルプスが入る。なお木曽川の読書発電所は同じ福澤桃介が関わった施設で、平成6年(1994年)に重要文化財に指定されている。似た性格の建物が指定と登録という別の枠組みで扱われている例として、並べて見ると制度の輪郭がわかりやすい。

Q&A

Q南向発電所本館の内部は見学できますか。
Aできません。稼働中の発電所で門は閉ざされており、建物内部は非公開です。入口脇の「みなかた広場」は自由に立ち入れ、外観は県道や柵沿いから見ることができます。問い合わせ先は中部電力 飯田水力センター(0265-54-6907)です。
Q南向発電所本館はいつ文化財に登録されましたか。
A令和7年(2025年)8月6日に登録有形文化財(建造物)として登録されました。登録番号は20-0672です。登録から日が浅いため、現地の看板や既存の観光資料には反映されていない場合があります。登録は指定(重要文化財等)とは別の制度です。
Q南向発電所は今も発電しているのですか。
A稼働中です。中部電力の水力発電所一覧では、天竜川水系の水路式発電所として最大出力28,800キロワット、運転開始は昭和4年(1929年)4月と記載されています。発電機は年代とともに更新・集約されてきましたが、昭和4年の建物の外観は竣工時の姿を保っています。
Q南向発電所本館の周辺では何を見ることができますか。
A入口脇のみなかた広場に、福澤桃介の胸像、平成12年(2000年)建立の「水然而火」の詩碑、昭和47年から63年まで実際に使われた重量5トンのフランシス水車ランナが展示されています。アーチ窓の連なりは、柵の高さが下がる地点まで歩くとよく見えます。
Q南向発電所本館へのアクセスを教えてください。
A最寄り駅はJR飯田線の伊那大島駅で約3キロ、中央自動車道松川インターチェンジからは約6キロです。中川村の村営巡回バスには発電所前の停留所があり、下車してすぐの位置にあります。

基本情報

名称南向発電所本館(みなかたはつでんしょほんかん)
所在地長野県上伊那郡中川村葛島933-2
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号20-0672
指定年令和7年(2025年)8月6日登録
員数1棟
寸法建築面積976平方メートル、鉄筋コンクリート造平屋建。昭和4年(1929年)竣工
所有者中部電力株式会社
公開状況内部非公開。外観見学およびみなかた広場は自由。問い合わせは中部電力 飯田水力センター(0265-54-6907)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)南向発電所本館
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015449
中部電力 中部電力の水力発電所一覧
https://www.chuden.co.jp/energy/renew/ren_setsubi/water/wat_chuden/wat_list/
土木学会 選奨土木遺産 南向発電所取水堰堤
https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/866
Concent 長野・天竜川の南向発電所 現地レポート
https://www.concent-f.jp/enetry/entori_05
ウィキペディア日本語版 南向ダム(伊那谷の電源開発史ほかに基づく記述)
https://ja.wikipedia.org/wiki/南向ダム

最終更新日: 2026.08.21