棟束の裏に打たれていた一枚の札
竹ノ内家住宅(たけのうちけじゅうたく)は、長野県下伊那郡高森町吉田にある江戸時代後期の民家で、昭和48年(1973年)6月2日に国の重要文化財に指定された。建築年代は寛政11年(1799年)。桁行14.7メートル、梁間13.4メートル、切妻造、妻入、板葺で、東面に突出部が附属する。
年代が特定できている点が、この家の第一の価値である。正面の棟束(むなづか)の内側に棟札が打ち付けられており、そこに寛政11年の年号が記されていた。棟札には棟梁として木下吉之丞、施主として中塚八左衛門の名が見える。本棟造の民家で棟札が見つかる例は多くない。文化庁の解説も「棟札が残り、建てた年代の明らかなことは貴重である」と、その一点を評価の中心に置いている。
竹ノ内家は明治初年まで中塚を名乗っていた。地名を取って竹ノ内姓に改めたのは明治に入ってからで、棟札に記された施主名と現在の家名が異なるのはそのためである。天竜川を東に望む段丘の上に建ち、現在まで代を重ねている。
本棟造という信州の形
本棟造(ほんむねづくり)は、松本平から伊那谷にかけて分布する民家形式で、切妻の妻側を正面に向けて建てる。棟に直交する方向から入るのではなく、屋根の三角形が見える面に玄関を構える形である。屋根は緩勾配の板葺とし、押さえのために石を並べ置く。茅葺の民家が一般的な地域が多いなかで、この地方の民家が板と石で屋根を作るのは、木材の入手しやすさと気候の条件が重なった結果と考えられている。
竹ノ内家住宅の正面は、間口の全幅にわたって太い丸太の梁を一本通す。その梁より内側へ五尺(約1.5メートル)後退した位置に座敷の表側が引かれており、生じた奥行きが土庇(どびさし)になる。二階を前へ迫り出させて一階に庇を確保するこの形は、下伊那の本棟造に多く見られるものだが、竹ノ内家はそのなかでも古い遺構にあたる。下屋庇を別に付け足す大鹿村の松下家住宅(重要文化財)とは、正面の作り方が対照的である。
妻入なので、正面の幅は梁間の13.4メートルにあたり、奥行が桁行の14.7メートルになる。数字を尺貫法に戻せば間口七間半、奥行八間。白漆喰で仕上げた妻壁に、丸太梁の一本が横一線に走る。装飾は多くないが、面としての構成が整っている。文化庁が「正面の外観意匠が整ってきている」と記すのはこの点を指す。
間取りを復原すると、入口から奥へ土間が通り、居室部は中央に居間としてのヨコザとナカノマを置き、表側に客座敷を二室、裏側に内向きの居室を三室とる構成になる。江戸時代中期までの本棟造と比べると部屋の役割分化が進んでおり、構造の面では屋根裏を大きく取って養蚕に使う工夫が加わっている。竹ノ内家では昭和56年(1981年)まで、年に三回から四回の養蚕が続けられていた。
時代の重なりを読む
棟札のほかに、もう一枚の札がある。軒束の表側に文政2年(1819年)の祈祷札が打ち付けられており、上棟から二十年後に加えられたことになる。棟札と祈祷札が同じ建物に、しかも年代を明示した形で並んで残る例は珍しく、二種類の札がどのような時間差で打たれるものかを知る手がかりになる。建築史の研究者が高森町の本棟造をまとめて扱うとき、竹ノ内家住宅がしばしば基準として引かれるのは、こうした年代の物証が揃っているからである。
ただし、内部が建築当初のまま残っているわけではない。屋根の復原や修繕は行われてきたが、間取りは当初の形に戻されていない。南東隅にあった馬屋と風呂場の跡は一室にまとめられ、北東隅の土間は居間に改造され、炊事場と風呂場が後から加えられている。生きて使われ続けた家の常であり、そのこと自体も記録の一部と見るべきだろう。
訪問にあたって、まず押さえておきたいことがある。竹ノ内家住宅は個人が所有する住宅である。博物館や公開施設ではなく、常時見学を受け入れる体制は取られていない。国指定文化財等データベースの所有者欄も空欄で、法人ではなく個人の所有であることを示している。外観を道路側から眺めることはできるが、敷地内に立ち入る場合や内部を見たい場合は、高森町の教育委員会に事前相談するのが筋である。八十二文化財団も、県内の文化財について見学前に文化財保護行政の主管課へ問い合わせるよう案内している。撮影についても同様に、事前の確認が望ましい。
建物そのものに近づけない場合でも、高森町下市田の高森町歴史民俗資料館「時の駅」に竹ノ内家住宅の解説展示がある。また平成20年(2008年)には、飯田市歴史研究所の研究員の指導のもとで飯田長姫高校の生徒が三十分の一の構造模型を製作し、屋内に寄贈されている。段丘の上に建つ白い妻壁を遠望し、資料館で構造を確認する。この順序でも、本棟造という形式の輪郭はつかめる。
Q&A
- 竹ノ内家住宅はいつ建てられ、いつ重要文化財に指定されましたか?
- 建築年代は棟札により寛政11年(1799年)と判明しています。重要文化財の指定は昭和48年(1973年)6月2日で、指定番号は01899。棟札1枚が附として指定に含まれています。
- 竹ノ内家住宅は見学できますか?内部は公開されていますか?
- 竹ノ内家住宅は個人所有の住宅であり、常時公開されている施設ではありません。敷地内への立ち入りや内部見学を希望する場合は、事前に高森町教育委員会へご相談ください。道路側からの外観の眺めは可能です。
- 竹ノ内家住宅の「本棟造」とはどのような建築形式ですか?
- 本棟造は松本平から伊那谷にかけて分布する信州特有の民家形式で、切妻屋根の妻側を正面に向けた妻入とし、緩勾配の板葺屋根に押さえの石を置くのが特徴です。竹ノ内家住宅は正面全幅に丸太梁を通し、二階を迫り出して一階に土庇を設ける下伊那型の古い遺構にあたります。
- 竹ノ内家住宅の規模と間取りはどのようになっていますか?
- 桁行14.7メートル、梁間13.4メートル、尺貫法では間口七間半、奥行八間です。復原された間取りは、土間が奥へ通り、中央に居間、表側に客座敷二室、裏側に内向きの居室三室を配する構成でした。現状は後年の改造を経ており、当初の間取りには戻されていません。
- 竹ノ内家住宅の周辺で合わせて訪ねられる場所はありますか?
- 高森町下市田の高森町歴史民俗資料館「時の駅」に竹ノ内家住宅の解説展示があり、午前9時から午後4時30分まで開館しています(月曜、祝日の翌日、年末年始は休館)。天竜川西岸の段丘には他にも古い社寺が点在します。
基本データ
| 名称 | 竹ノ内家住宅(たけのうちけじゅうたく) |
|---|---|
| 所在地 | 長野県下伊那郡高森町吉田1987番地の1 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物・近世以前/民家) |
| 指定年 | 昭和48年(1973年)6月2日/指定番号 01899 |
| 員数 | 1棟(附 棟札1枚) |
| 寸法 | 桁行14.7メートル、梁間13.4メートル、切妻造、妻入、板葺、東面突出部附属 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 個人所有につき常時公開なし。見学は高森町教育委員会へ事前相談 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 竹ノ内家住宅(長野県下伊那郡高森町)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/992
- 文化遺産オンライン(文化庁)― 竹ノ内家住宅
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/174232
- 飯田・下伊那の文化財検索(飯田市美術博物館)― 竹ノ内家住宅
- https://bunkazai.iida-museum.org/竹ノ内家住宅/
- 高森町歴史民俗資料館 時の駅 ― 竹ノ内家住宅
- https://takamori-tokinoeki.com/?p=473
- 金澤雄記「高森町の本棟造と竹ノ内家住宅」飯田市歴史研究所年報 第11号(2013年)
- https://www.jstage.jst.go.jp/article/iihrab/11/0/11_163/_article/-char/ja/
最終更新日: 2026.08.20