野中氏庭園 ― 松代の城下に生きる泉水路の景

象山の北東、平地のなかに身を置いた一軒の旧家がある。野中邸である。すぐ南には象山神社の社殿が並び、その境内の池から流れ出た水は神社の西側の境界に沿って細い水路――松代でいう「セギ」――となって北へ走り、塀をくぐって庭の池に入る。導かれた水はまず三日月形の池を満たし、さらに洗い場の小池へ、敷地外の水路へ、そしてもう一度敷地内へ戻って祠の前の池へと続く。この一連の流れに、江戸の城下町が組み立てた水の論理が、そのまま残されている。

「野中氏庭園」(のなかしていえん) は平成20年(2008)7月28日、文化庁により国登録記念物(名勝地関係)に登録された。同じ日に旧山寺常山氏庭園、大木氏庭園、象山神社園池の三件もあわせて登録されており、いずれも松代旧城下に残る武家屋敷の庭園である。野中邸はその一画、象山神社の北に隣接して位置する。

真田の城下と、水のネットワーク

元和8年(1622)、真田信之が上田から松代へ移封されると、新たな城下町が松代城の南に開かれた。城の周囲には禄高に応じて武家屋敷が割り当てられ、上級武士は城近くに、中・下級の武家は周縁の町に配された。生活用水と灌漑用水を町中に行き渡らせるため、藩は象山の東麓を流れる神田川水系などから水を引き、道路沿いの「カワ」、屋敷地の間を流れる「セギ」、そして庭園の池と池を結ぶ「泉水路(せんすいろ)」という三層の水路網を整えた。

「泉水路」という呼び名は、昭和57年(1982)に東京大学工学部都市工学科・大谷幸夫教授らによる調査『庭園都市松代』のなかで使われたものである。それまで個別の屋敷の事情として語られていた庭池の水系が、町ぐるみの一つの仕組みであることを再認識させた。この調査が、平成5年(1993)の長野市伝統環境保存条例や、後の登録記念物登録の根拠となっていった。

野中家は、松代藩士として古くから当地に屋敷を構えた家柄である。母屋は江戸時代の建築で、内部に手は入っているが構えは旧来のまま。北側に残る腕木門も江戸期の遺構で、簡素ながら松代の中級武家屋敷の門としての品格を備える。

登録の理由 ― 「生活の場としての庭」が残る

登録に際して特に評価されたのは、観賞用の庭池と、鍋釜を洗うために使われた小池との連続性である。多くの近代化された武家屋敷では、池が埋められたり水路が暗渠化されたりして、生活と一体だった水の仕組みは早くから失われた。野中邸ではこの連続性が壊されることなく残っている。

象山神社園池から入った水が三日月池を満たし、奥の小池へ進み、屋敷地の北側でいったんセギに出てから北西の祠前の長方形の池に再び入る。この祠の前の池は、かつて門の周辺に建てられた二階家を借家として貸していた時期、住人たちの洗い場として用いられたという。観賞と労働、装飾と機能を一つの水脈の上で両立させた景は、平成16年(2004)の文化財保護法改正で新設された登録記念物制度がまさに守ろうとした類の文化遺産である。

見どころ

南庭が中心となる。三日月形に細く刳られた池には岩島が一つ。対岸にはマツが植えられ、視線を低く受け止めたのち、その向こうの山並みへとひらかれていく。借景の取り方が巧みで、池に入る水源――象山神社境内の池――は塀越しに見えないにもかかわらず、水だけが絶えず注がれてくる。池そのものは閉じた姿でありながら、町の水系のなかで一つの結節点となっている。

流れを西にたどると、低く据えられた洗い場の池がある。鍋釜の汚れを落とすために使われた素朴な構えで、池端には洗い物を置く石が残る。水はここからセギに抜け、屋敷地を回り込んで北西の祠の前の池に入り直す。お鎮守さんと天神様、二基の祠を前にした長方形の池である。借家人たちの生活水だった頃の表情がうかがえる。

北庭は雰囲気が一変する。水はなく、芝生が広がる。奥には三尊石組――中央に高い立石を据え、両脇に低い添石を配する仏教的構成――が組まれ、そこへ飛石が誘う。南庭が「動」だとすれば、北庭は「静」。同じ屋敷のなかに対照的な二つの場が共存している。

見学について

野中邸は現在も個人宅として使用されており、庭園は通常公開されていない。腕木門や塀越しの構え、象山神社との位置関係などは周囲の小路から見ることができる。秋の紅葉期などに松代の文化財ボランティアやNPO法人「夢空間 松代のまちと心を育てる会」などが企画する「武家屋敷お庭拝見」の催しで、登録記念物となっている各庭園が公開対象となる年もある。最新情報は信州松代観光協会の案内を確認されたい。同じ泉水路の上に作庭されている象山神社園池や、長野市が整備した旧山寺常山邸、旧樋口家住宅などは通年で見学可能で、野中氏庭園の構造を理解する手掛かりになる。

周辺の見どころ

松代の城下町は5キロ四方ほどの範囲に文化財が集まっており、徒歩での散策に向いている。野中邸のすぐ南には象山神社(佐久間象山を祭神とする昭和13年(1938)建立の神社)、東に少し歩けば真田邸(松代藩9代藩主・真田幸教が母貞松院のため元治元年(1864)に建てた新御殿、国指定史跡)、その先には松代城跡文武学校(松代藩の藩校)が並ぶ。

武家屋敷では、寛政6年(1794)築の主屋を残し国の重要文化財に指定された旧横田家住宅、目付役などを務めた旧樋口家住宅、藩政後期の三山の一人・山寺常山の旧山寺常山邸などがいずれも徒歩圏内である。湯治には鉄分の濃い黄金色の湯で知られる松代荘が便利で、朝夕の人の少ない時間帯に町を歩くと、用水路を流れる水の音が町並みの背景にいつもあることに気づく。

アクセスはJR長野駅からアルピコ交通の路線バスで松代方面、30〜40分ほど。屋代駅・須坂駅からの路線バスも利用できる。

Q&A

Q野中氏庭園はどのような文化財に指定されていますか。
A国登録記念物(名勝地関係)です。平成20年(2008)7月28日に登録されました。登録記念物は平成16年(2004)の文化財保護法改正で新設された制度で、国指定名勝に至らないものの保存・活用に意義のある記念物を文化庁が登録するものです。
Q見学はできますか。
A個人宅のため通常は公開されていません。塀越しの外観や象山神社からの位置関係は周辺の道路から確認できます。秋の特別公開などで開放される機会がある年もあるため、信州松代観光協会の催事情報を事前にご確認ください。同じ水系の象山神社園池や旧山寺常山邸、旧樋口家住宅は通年見学可能です。
Q「泉水路」とは何ですか。
A幅およそ30〜40センチ、深さ20〜30センチの細い水路で、松代の各武家屋敷の庭池をつないで流れます。江戸時代に整備された城下町の水系の一部であり、現在も水が通っています。「泉水路」の呼称は昭和57年(1982)の東京大学・大谷幸夫教授らによる調査で用いられて以来、定着しました。
Qなぜこの庭園は登録されたのですか。
A最大の理由は、観賞のための池と、鍋釜を洗うための小池との連続性が江戸時代以来の形のまま残っている点にあります。装飾と生活が一つの水の流れの中で結ばれた近世武家屋敷庭園の姿を伝える、貴重な事例とされています。
Q松代を訪れるのにおすすめの季節は。
A紅葉と用水の流れがあわさる晩秋が最も知られた季節です。春の松代城跡周辺の桜も人気があります。早朝や夕暮れは人通りが少なく、水路の音を聴きながら歩くにはむしろこの時間が向いています。

基本情報

名称野中氏庭園(のなかしていえん)
指定区分国登録記念物(名勝地関係)
登録年月日平成20年(2008)7月28日
所在地長野県長野市松代町松代
所管文化庁(国登録)/長野市教育委員会(地元管理)
時代江戸時代(母屋および腕木門)
庭園形式泉水路を取り入れた池泉式庭園。南庭(三日月形池・岩島・借景)、洗い場の小池、北西の祠前の池、北庭(芝生地・三尊石組)から成る
アクセスJR長野駅からアルピコ交通バス松代方面行きで約30〜40分、松代地区下車。象山神社の北に隣接
公開状況個人宅のため通常非公開。外観は周辺道路から見学可。特別公開時のみ内部見学の機会あり

参考文献

長野市文化財データベース「野中氏庭園」
http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1381.html
長野市文化財データベース「象山神社園池」(同時期に登録)
http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1380.html
長野市文化財データベース「野中家住宅主屋」
http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1360.html
文化遺産オンライン「野中家住宅主屋」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/185753
Wikipedia「登録記念物」
https://ja.wikipedia.org/wiki/登録記念物
松代商工会議所「松代について」
https://www.nagano-cci.or.jp/app/matsushiro/contents/about/index.php
信州松代観光協会「観光スポット」
https://www.matsushiro-kankou.com/spot/

最終更新日: 2026.05.15