佐藤家住宅奥土蔵 ― 通りに顔を向けない蔵と、その味噌部屋
佐藤家住宅の4件の解説文を順に読むと、一つだけ書き出しが違う。三つは建物の位置を通りから語る。石垣の上、通り沿い、三棟が連続する、と。四つ目はそこから始まらない。奥土蔵を「主屋の西に位置する」と置き、最後をひとことで締める。屋敷の一構成要素。
この建物の性格はそこに尽きている。家の外の人間が見ることを前提にしていない蔵である。
奥土蔵は土蔵造の二階建で、桁行6.6メートル、梁間3.7メートル。この寸法比は一度立ち止まる値打ちがある。ほぼ二対一、奥行きは四メートルを切る。裕福な農家の蔵としては細身である。何でも入れるために建てたのではない。決まったものを、台所に近く、雨のかからない場所に、家の裏で保つために建てている。
文化庁の国指定文化財等データベースは時代を明治期、西暦1868年から1912年の幅で記録し、建築面積を味噌部屋を含めて約31平方メートルとする。2011年(平成23年)10月28日に登録有形文化財(建造物)となり、登録番号は20-0401。佐藤家の4件では末尾にあたる。
付設する味噌部屋
蔵には木造平屋建の味噌部屋が付く。二十世紀に入ってしばらくのあいだまで、ある程度の規模の農家は味噌を自家で仕込んだ。年に一度、桶に仕込み、そのまま数か月から一年、発酵にまかせる。そのあいだ涼しく、暗く、邪魔にならない場所が要る。味噌部屋はそのための一室である。
屋根は招屋根。棟を中心からずらし、片方の流れを長く低くとる形式で、日本の下屋や附属屋にはきわめてよく現れる。既存の建物の屋根を触らずに増築を覆う、いちばん安上がりな解だからだ。片側を既存壁に立て掛け、もう片側を流す。葺材は桟瓦で、屋敷内の他の建物とそろう。
壁の構成は、この屋敷で繰り返される定型をなぞる。足元に腰下見板張、その上を漆喰仕上げの真壁として柱を見せる。蔵本体のほうは同じく腰下見板張の上に漆喰を仕上げるが、柱は現さない。土蔵造の壁は分厚い土であり、切れ目のない耐火面を保つことが目的だからである。
同じ材料で腰を接いだ二棟が、別々のことを言っている。片方は持ちこたえるために、片方は間に合わせるために建っている。
土間ではなく、板床
奥土蔵の内部は板床である。解説文のこの一語には情報が入っている。
農村の蔵の床は、収めるものが決める。道具や重量物なら土間でよい。地面から浮かせた板床は、湿気を嫌うものに要る。織物、証文、漆器、食品の類である。主屋のすぐ裏、味噌部屋の隣に建つ蔵の床が板であるという事実は、この蔵が農作業の道具ではなく家のものを収めていたことを示唆する。
いずれも外からは見えない。2011年の登録に先立つ調査が中に入り、書き留めたから公開資料に残っている。
裏の建物がなぜ登録されるのか
奥土蔵の登録基準は、他の三棟と同じ「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。主屋の裏に建つ蔵にこの基準を当てるには、景観という語をもう少し広く読む必要がある。
1996年(平成8年)に始まった登録の制度は、重要文化財の水準には届かないが、失われれば国土の建物の層が薄くなる建物のためにある。所有者は外観の大きな変更前に届け出をすればよく、そのかわり建物を使い続け、直すたびに許可を申請せずに済む。目の粗い網を、意図的に広く投げている。
農家の屋敷は、建物の寄せ集めではなく一つの仕組みである。通りに向いた側が見せ、裏側が働く。見せる建物だけを登録すれば、残るのは書き割りになる。解説文の最後の一句、屋敷の一構成要素という言い方は、それを最短で述べたものだ。
訪ねる前に
佐藤家住宅は個人の住まいである。国のデータベースに所有者名も管理団体もなく、公開の制度は存在しない。登録は立ち入る権利を生まない。
通り沿いの三棟は公道から眺められる。奥土蔵は主屋の西にあるから、四棟のうち最も目に入りにくく、きちんと見ようとすれば入ってはいけない場所に踏み込むことになる。道路上にとどまり、そこから撮るなら撮り、住まいはそのままにしておいていただきたい。
同時代の蔵や屋敷構えを実際に歩いてみたい方には、佐久市内に行き先がある。旧中込学校は重要文化財かつ国史跡で、公開されている。茂田井の武重本家酒造及び武重家住宅は、中山道沿いの町並みに三十数棟の登録有形文化財を残し、そのなかには味噌蔵や各種の蔵も含まれる。造り酒屋として営業を続けているので、訪問前に見学の可否を確認していただきたい。
Q&A
- 奥土蔵はどこに建っていますか。
- 佐藤家住宅の主屋の西です。伴部屋・勘定部屋・東土蔵が並ぶ通り沿いからは離れています。「奥」は屋敷の内側、裏手を指します。
- 味噌部屋は何のための建物ですか。
- 味噌は桶で自家に仕込み、数か月にわたって発酵させます。そのあいだ涼しく暗い場所が必要でした。ここの味噌部屋は蔵に付設する木造平屋建です。
- 見学できますか。
- できません。個人住宅で公開されておらず、この蔵は主屋の裏にあたります。通り沿いの建物を公道から眺めるにとどめてください。
- 4棟のうち最も古い建物ですか。
- いいえ。文化庁は奥土蔵を明治期(1868年〜1912年)としています。最も古いのは江戸後期(1751年〜1830年)の東土蔵です。
- 招屋根とはどんな屋根ですか。
- 棟を中心からずらし、一方の流れを長く低くとる屋根です。既存の建物に付け足す部分を覆うのに適した、経済的な形式として広く使われます。
基本データ
| 名称 | 佐藤家住宅奥土蔵(さとうけじゅうたくおくどぞう) |
|---|---|
| 所在地 | 長野県佐久市協和字上三井225-1 |
| 種別 | 登録有形文化財(建造物)/種別1:住宅、種別2:建築物 |
| 登録番号 | 20-0401(第71回登録) |
| 登録年月日 | 2011年(平成23年)10月28日 |
| 登録基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 時代 | 明治期(1868年〜1912年) |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式等 | 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積31平方メートル、味噌部屋付 |
| 規模 | 桁行6.6メートル、梁間3.7メートル(蔵本体) |
| 内部 | 板床 |
| 味噌部屋 | 木造平屋建、招屋根・桟瓦葺。腰下見板張、漆喰仕上げの真壁 |
| 位置 | 主屋の西。屋敷の一構成要素 |
| 所有 | 個人(国のデータベースに所有者名の記載なし) |
| 公開状況 | 非公開。見学施設なし |
| 交通 | 佐久市西部の協和地区。最寄り駅は佐久平駅(北陸新幹線・JR小海線)、望月方面から車または路線バス |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「佐藤家住宅奥土蔵」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009004
- 文化遺産オンライン「長野県・佐久市の文化財を見る」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/region/20/20217
最終更新日: 2026.07.16