日見トンネルとは:長崎の東の入口を貫く大正の道路トンネル

日見トンネルは、長崎県長崎市本河内町から芒塚町にかけての日見峠を貫く大正15年(1926年)完成のコンクリート造の道路トンネルで、平成14年(2002年)に国の登録有形文化財に登録された。

文化庁の記録によると、延長642メートル、幅員7.4メートル。長崎の陸路の表口にあたる日見峠に掘られた2車線の構造物で、石張りのアーチ環で囲んだ馬蹄形の坑口をもつ。所有者は国(国土交通省)である。

日見峠は江戸時代の長崎街道で最も急な坂として知られた難所だった。国土交通省長崎河川国道事務所によると、明治15年(1882年)には人力車や馬車に対応した日見新道が、峠を110尺(33メートル)切り下げて造られている。

登録の理由:自動車時代初期の本格的な道路トンネル

日見トンネルの登録番号は42-0011、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁は、目地を彫り込んだ壁面とピラスター(付柱)で飾った坑門を両端に構え、幹線道路でありながら近代の道路景観をいまに伝えていると評価している。

長崎県によると、自動車の普及で日見新道では対応できなくなったため、県が大正13年(1924年)に工事を始め、2年の歳月と約47万7000円の工費をかけて完成させた。当時の日本で最大級のトンネルで、日本が自動車交通時代を迎えた初期の本格的な道路トンネルとして、道路トンネル技術史のうえでも貴重だとしている。

国土交通省によると、日見トンネルは昭和に入って長崎へ通じる唯一の幹線として大きな役割を果たした。平成11年(1999年)には国道34号日見バイパスの新日見トンネル(全長1,055メートル)が開通している。

見どころ:大正様式の坑門

日見トンネルの見どころは両端の坑門である。石張りのアーチで縁取った馬蹄形の開口部の両脇にピラスターを立て、壁面には目地を彫り込んで石積みのように見せている。長崎県はこの坑門を、大正期の様式を色濃く残した水準の高い意匠と評している。

トンネルの上の日見峠には、江戸時代の長崎街道が往時の姿をとどめて残る。国土交通省によると、平成8年(1996年)に歴史国道に選ばれている。江戸の街道、明治の新道、大正のトンネル、平成のバイパスと、峠越えの道の変遷を一か所でたどれる。

日見トンネルの見学方法

日見トンネルは現在も道路として使われている。坑門は周辺から見ることができるが、車の通行があるため、見学するときは歩道や安全な場所から見るようにしたい。

長崎県によると、最寄りはバスの「芒塚」停留所で、徒歩約10分である。

Q&A

Q日見トンネルとは何ですか?
A長崎市の日見峠を貫く大正15年(1926年)完成のコンクリート造の道路トンネルで、延長642メートル、幅員7.4メートルです。平成14年(2002年)に登録有形文化財に登録されました。
Q日見トンネルが貴重とされるのはなぜですか?
A日本が自動車交通時代を迎えた初期の本格的な道路トンネルで、大正期の様式を残す装飾的な坑門をもつためです。
Q日見トンネルは誰が造りましたか?
A長崎県が大正13年(1924年)に工事を始め、2年かけて完成させました。現在の所有者は国(国土交通省)です。
Q日見トンネルは今も通れますか?
A現在も道路として使われています。見学するときは車の通行に注意してください。
Q日見トンネルへの行き方は?
A長崎県によると、バスの「芒塚」停留所から徒歩約10分です。

基本情報

名称日見トンネル(ひみとんねる)
所在地長崎県長崎市本河内町~芒塚町
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成14年(2002年)2月14日登録
員数1基
寸法コンクリート造、延長642メートル、幅員7.4メートル
所有者国(国土交通省)
公開状況現役の道路。坑門は周辺から見られる

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「日見トンネル」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002726
文化遺産オンライン「日見トンネル」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/178946
長崎県文化財データベース「日見トンネル」
https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/26
国土交通省長崎河川国道事務所「長崎街道・日見峠浪漫」
https://www.qsr.mlit.go.jp/nagasaki/road/drive/himi.html

最終更新日: 2026.09.27