赤門と、階段状に下る煉瓦塀
新潟大学医学部(旧新潟医学専門学校)表門及び煉瓦塀は、新潟県新潟市中央区旭町通にある新潟大学旭町キャンパスの敷地北辺に位置する煉瓦造の門と塀で、それぞれ大正3年(1914年)と明治44年(1911年)の建設、平成17年(2005年)11月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された(告示は同年12月5日)。
学生はこの門を「赤門」と呼ぶ。大学のキャンパスマップにもその名で載っている。医学部の学部案内は、優雅で歴史を感じられることから記念撮影に利用する人が多いと記す。卒業式の日には行列ができる。
門と塀はいずれも官立新潟医学専門学校のものである。同校は明治43年(1910年)の設立。大正11年(1922年)に新潟医科大学へ昇格し、千葉・金沢・岡山・長崎・熊本と並ぶ旧六医科大学の一つに数えられた。昭和24年(1949年)に新潟大学へ統合される。医学部は専門学校時代から一貫して旭町通一番町のこの土地を使い続けており、門と塀はキャンパスで最も長く同じ場所にあり続けている構築物ということになる。
先に建ったのは塀のほうで、開校翌年の明治44年。門は3年遅れて大正3年である。
移設された門は、なぜ文化財のままなのか
この門は建設当初の位置に立っていない。昭和57年(1982年)にキャンパス内で移設されている。文化庁のデータベースはその事実を記したうえで、「形式は保持している」と付け加える。
移設された構築物がなぜ登録され続けるのか。この点は、登録という制度が何を守っているのかを説明してくれる。
重要文化財の指定は、建てられた場所との結びつきを重く見る。移築には文化庁長官の許可が必要で、実例は多くない。これに対し登録は実務的な制度である。平成8年(1996年)、使われなくなりつつある膨大な近代建造物を救うために設けられた仕組みであり、移設されていても形式が保たれていれば登録の対象となる。高さ2.7メートルの門柱二本を解体し、同じ形で少し離れた場所に組み直したものは、制度上は同じ文化財である。
用語について補足しておきたい。日本語の日常的な用法では、正しくは「登録」であるところを「指定」と書いてしまう例が多い。医学部の学部案内にもその表記が見られる。両者は義務の内容が異なる別の法的手段であり、海外向けの記述ではこの混同がそのまま持ち込まれやすい。この門と塀は「登録」である。
登録番号は15-0188、基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。隣接する旧新潟師範学校記念館(現・新潟大学旭町学術資料展示館)は同じ日に番号15-0187で登録されているが、こちらは「造形の規範となっているもの」というより厳しい基準が適用されている。
二つの材料と、段を持たない階段
門柱は煉瓦と白花崗岩の混合積である。赤煉瓦のなかに白い石の帯が一定の間隔で挟み込まれ、離れて見ると横縞として認識される。明治から大正の公共建築に散見される手法で、門柱のような小さな構築物に用いると、実寸の2.7メートル以上に背が高く、意図的に見える。近づけば、花崗岩の結晶質の面と焼成された煉瓦の肌の差がはっきり分かる。
ただし見どころとしては、塀のほうが上である。そして見落とされやすい。
延長149メートル。旭町と隣接する西大畑一帯は、海岸の砂丘地を近代に開発した土地で、地面は傾いている。施工者は勾配に合わせて笠木を斜めに流すのではなく、塀を階段状に構成した。一区画ごとに天端を水平に保ち、次の区画で一段落とす。笠木が平らな踏面を連ねて下っていく。段のない階段、あるいは誰も上らない階段と呼んでもよい。
理由は意匠だけではない。煉瓦は水平な目地の上でこそ強度を発揮する。傾けて積めば全ての目地にせん断力がかかる。階段式にすれば、地形に追随しながら各段の目地を水平に保てる。美的な選択に見えるものが、実は積み手の技術的解決である。
端から端まで歩けば、落差の刻みがそのまま地形の記録になる。新潟市街で砂丘の起伏をこれほど直接に読み取れる場所は、ほかにない。
訪問情報
塀はキャンパス北辺の公道に面しており、いつでも無料で見学・撮影できる。入場券も案内所もない。必要がないからである。
旭町キャンパスは医学部・歯学部と医歯学総合病院を擁する現役の教育・医療施設である。公道に沿って歩くぶんには問題ないが、観光地ではない。病院の患者エリアには立ち入らないこと。門と塀は敷地外から撮影し、病院の出入口付近は避けたい。
交通は、JR越後線白山駅から徒歩約10分。新潟駅から新潟交通バスで「市役所前」下車徒歩3分。塀が続くキャンパス北側へは「東中通」下車のほうが近い。新潟駅からタクシーで約10分。
同じ日に登録された新潟大学旭町学術資料展示館は隣の街区、旭町通2番町にある。開館は10時から12時、13時から16時30分、日曜・月曜休館、入館無料。二つを続けて見ると、登録基準の違いが言葉での説明よりはっきり分かる。昭和13年(1938年)建築の新津記念館も徒歩圏内である。
これらの戦前建築が残った理由にも触れておく。新潟市は原子爆弾投下の予定地候補5都市に含まれており、候補都市は焼夷弾による無差別爆撃の対象から外された。60キロメートル南の長岡市は候補ではなく、昭和20年8月1日の空襲で市街地の大部分を失っている。
Q&A
- 新潟大学医学部の表門と煉瓦塀は見学できますか。
- 見学できます。いずれも旭町キャンパスの北辺で公道に面しており、時間の制限なく無料で見学・撮影が可能です。ただしキャンパスは医学部・歯学部と医歯学総合病院を擁する現役の教育・医療施設です。観光施設ではありませんので、撮影は敷地外から行い、病院の出入口や患者エリアには立ち入らないでください。
- 新潟大学医学部の表門と煉瓦塀はいつ建てられたのですか。
- 煉瓦塀は明治44年(1911年)の建設で、延長149メートル。表門は大正3年(1914年)の建設で、煉瓦と白花崗岩の混合積とした高さ2.7メートルの門柱2本からなります。表門は昭和57年(1982年)にキャンパス内で移設されましたが、建設当初の形式は保持されています。
- 新潟大学医学部の煉瓦塀はなぜ階段状になっているのですか。
- 旭町一帯は海岸の砂丘地を近代に開発した土地で、地面に勾配があるためです。勾配に沿って笠木を斜めに流すのではなく、一区画ごとに天端を水平に保ち、次の区画で一段落とす階段式としています。煉瓦は水平な目地の上で最も強度を発揮するため、これは意匠であると同時に構造上の合理的な解決でもあります。
- 新潟大学医学部の表門はなぜ「赤門」と呼ばれるのですか。
- 門柱の主材が赤煉瓦であることによる通称です。大学のキャンパスマップにも「赤門(旧制新潟医学専門学校の正門)」として記載されています。医学部の学部案内は、この門が記念撮影の場として学生や来訪者によく利用されていると記しています。
- 新潟大学医学部の表門・煉瓦塀とあわせて見られるものはありますか。
- 同じ平成17年11月10日に登録された新潟大学旭町学術資料展示館(昭和4年建築の鉄筋コンクリート造)が隣の街区にあり、10時から12時、13時から16時30分、日曜・月曜休館、入館無料で公開されています。昭和13年建築で平成10年登録の新津記念館も徒歩圏内です。
基本情報
| 名称 | 新潟大学医学部(旧新潟医学専門学校)表門及び煉瓦塀 |
|---|---|
| 所在地 | 新潟県新潟市中央区旭町通1番町757 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 15-0188 |
| 指定年 | 平成17年(2005年)11月10日 登録(告示は同年12月5日) |
| 員数 | 1所(表門と煉瓦塀を一括で登録) |
| 寸法 | 表門:煉瓦造、門柱高さ2.7メートル、煉瓦と白花崗岩の混合積、大正3年建設・昭和57年移設。煉瓦塀:煉瓦造、延長149メートル、階段式、明治44年建設 |
| 所有者 | 国立大学法人新潟大学 |
| 公開状況 | 公道から常時見学可・無料。キャンパスは現役の教育・医療施設 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「新潟大学医学部(旧新潟医学専門学校)表門及び煉瓦塀」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004952
- 文化遺産オンライン「新潟大学医学部(旧新潟医学専門学校)表門及び煉瓦塀」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/170262
- 新潟大学「旭町キャンパス 交通アクセス」
- https://www.niigata-u.ac.jp/university/access/asahimachi/
- 新潟大学 医学部医学科案内「旭町キャンパス案内」
- https://web-pamphlet.jp/niigata-u/2023f6/pageindices/index22.html
- 新潟大学旭町学術資料展示館「交通アクセス」
- https://www.lib.niigata-u.ac.jp/tenjikan/information/access/
- 長岡市「長岡空襲について」(原爆投下予定都市が焼夷弾爆撃から除外された経緯)
- https://www.city.nagaoka.niigata.jp/kurashi/cate12/sensai/kuusyu.html
最終更新日: 2026.08.13