蓮の葉を頭に乗せて踊れるほど、ゆるやかな盆踊り

大の阪は、新潟県魚沼市の堀之内地区に伝わる盆踊りである。毎年八月十四日から十六日までの三晩、地元の八幡宮の境内に丸木を組んだ高さ六メートルほどの櫓が立ち、その周りで人びとが輪になって踊る。動きは驚くほどゆるやかだ。かつては蓮の葉を頭に乗せたまま踊ったと伝わるほどで、葉が滑り落ちない速さ、と言えばその静けさが伝わるだろうか。

名は唄からきている。一番の歌い出しが「大の阪、七曲がり」で、この一句がそのまま踊りの名になった。現在に残る十五番の歌詞には、いずれにも「南無西方」の文句が織り込まれている。阿弥陀仏の西方浄土へ向けた祈りの言葉である。そのため大の阪は「念仏踊」とも呼ばれ、堀之内の人びとは今もこれを、はっきりと祖先の霊を供養する踊りとして受けとめている。

縮商人が持ち帰った踊り

大の阪がいつ、どのように堀之内へ伝わったのかを記す確かな資料はない。地元に語り継がれてきた由来は、商いと結びついている。江戸時代、堀之内は越後と江戸を結ぶ三国街道の宿場町であり、旅人が足を休める要地であった。さらに小千谷・十日町とともに、越後縮の集散地として知られていた。越後縮は、細やかな皺を寄せた上質の麻織物である。

この縮を扱う商人たちは、商用で上方としきりに行き来していた。彼らが京・大坂のあたりから踊りを持ち帰ったと伝えられている。経路はどうあれ、江戸時代の大の阪は町をあげての行事になっていた。盆の十三日から十六日まで、家々に提灯が掲げられ、本陣を中心に町じゅうを一晩中踊り流す。裕福な家では酒や食事をふるまい、夜明けまで踊りを盛り立てたという。

その後の歩みは平坦ではなかった。幕末の戊辰戦争の混乱と、明治初年に出された禁令により踊りは衰え、明治末から大正にかけては絶える寸前まで追い込まれる。これを惜しんだ人びとが昭和の初めに復興させたが、日中戦争から終戦までふたたび中絶した。戦後にまた復活し、今に続いている。現在踊られている大の阪は、絶やすまいとした人びとの手で組み直されたものだ。

なぜ指定されたのか

平成十年(一九九八年)十二月、国は大の阪を重要無形民俗文化財に指定した。理由は、この踊りが何を保ってきたかにある。各地の盆踊りは、時代とともに速く、華やかになっていったものが多い。そのなかで大の阪は、祖先の霊に直接語りかける供養の踊りという古い性格を残している。御詠歌調の節回し、全番に繰り返される祈りの文句、ゆったりとした拍子は、他の地ではあらかた失われた盆踊りの古層に属するものだ。雪深い魚沼盆地と街道がかたちづくった地域色も濃い。

令和四年(二〇二二年)十一月には、大の阪を含む「風流踊」がユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載され、その名はさらに広く知られることになった。風流踊は単一の踊りではなく、二十四都府県にわたる四十一件の民俗芸能をまとめた呼称で、いずれもすでに国の重要無形民俗文化財に指定されている。大の阪は、新潟のこの一角を代表する一件である。風流とは芸能における趣向や人目を引く意匠を指す言葉で、登録された踊りには勇壮な太鼓踊から、大の阪のような静かな念仏踊まで幅がある。

見どころ

境内の中央に立つ櫓は、近くでよく見たい。製材した角材ではなく丸木で組まれ、高さは六メートルほど。頂に太鼓を据え、四隅に提灯を吊るす。中央からは長さ二メートル近い六角灯籠が下がり、その側面には盆踊歌の詞章が書き記されている。灯籠は飾りであると同時に、歌詞を忘れた者のための覚え書きでもある。

唄には決まった形がある。音頭取りは二組に分かれて櫓の両側に立ち、一番ごとに歌詞を交互に掛け合う。一番を歌い終えるのに二分以上かかることもある。櫓上の太鼓は七拍の拍子を刻み、その上をゆっくりと唄が流れていく。祭りの賑やかな曲というより、巡礼の御詠歌に近い節回しである。

踊りそのものは、初めての人にも難しくない。足の運びも手振りも素朴で、同じ七拍に合わせるだけ。服装に厳しい決まりはない。浴衣に草履が基本だが、ふだん着のまま輪に加わってもかまわない。飛び入りはむしろ歓迎されている。何番か一緒に踊ってみることが、この踊りが長く町に愛されてきた理由を体で知る近道になる。

アクセスと周辺

堀之内へは鉄道で訪れやすい。JR上越線の越後堀之内駅から、八幡宮までは徒歩五分ほど。車なら関越自動車道の堀之内インターチェンジから七分前後で着くが、境内付近の駐車場は限られているため、魚沼市役所堀之内庁舎の駐車場を使うのが現実的だ。踊りは毎晩、日が暮れてから二時間ほど続き、おおむね十九時半ごろに始まる。

魚沼市は、一泊して巡る価値のある土地である。新潟県中越の雪国に位置し、八海山・越後駒ヶ岳・中ノ岳からなる越後三山に囲まれている。いずれも二〇〇〇メートル前後の山だ。周囲の田からは、全国でも指折りの人気を誇る魚沼産コシヒカリが穫れる。炊きたての一杯が、何よりの土地の馳走になるだろう。五月中旬には、丘の公園「花と緑と雪の里」が約二十万株の芝桜で淡く染まり、その背後にはまだ雪を残した山並みが控える。

Q&A

Q大の阪はいつ、どこで見られますか。
A毎年八月十四日・十五日・十六日に、新潟県魚沼市堀之内地区の八幡宮境内で行われます。踊りは日没後、おおむね十九時半ごろから二時間ほど続きます。
Q観光客も踊りに参加できますか。
A参加できます。飛び入りは歓迎されています。足運びは素朴で服装の決まりも厳しくないため、浴衣でもふだん着でも輪に加われます。はじめに何番か見てから入ると踊りやすいでしょう。
Qなぜ「念仏踊」とも呼ばれるのですか。
A唄の全番に、阿弥陀仏の西方浄土へ向けた「南無西方」の文句が入り、節回しも巡礼の御詠歌に近いゆるやかなものだからです。祖先の霊への供養として踊られてきたため、この別名があります。
Qふつうの盆踊りと何が違いますか。
A現代の多くの盆踊りに比べ、はっきりと速度が遅く、静かです。賑やかな踊りというより供養の儀礼という古い性格を保ち、掛け合いの唄と七拍のゆったりした拍子が特徴です。
Q会場へはどう行けばよいですか。
AJR上越線の越後堀之内駅から徒歩五分ほどです。車では関越自動車道の堀之内インターチェンジから七分前後。境内付近の駐車場は少ないため、魚沼市役所堀之内庁舎の駐車場の利用が便利です。

基本情報

名称大の阪(だいのさか)
所在地新潟県魚沼市堀之内 八幡宮境内
指定区分重要無形民俗文化財(民俗芸能・風流)
指定年月日平成十年(一九九八年)十二月十六日
ユネスコ令和四年(二〇二二年)十一月、「風流踊」四十一件の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載
開催期間毎年八月十四日〜十六日の夜
保護団体大の阪の会
アクセスJR上越線・越後堀之内駅から徒歩約五分/関越自動車道・堀之内ICから車で約七分

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「大の阪」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/643
文化遺産オンライン「大の阪」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/189402
魚沼市観光協会「盆踊り『大の阪』」
https://www.iine-uonuma.jp/activity/traditional_events/dainosaka/
外務省「『風流踊』のユネスコ無形文化遺産代表一覧表への登録」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press3_001008.html

最終更新日: 2026.05.25