本谷のトラフダケ自生地

岡山県北部、津山市南方中(みながたなか)の幻住寺山北側、標高およそ180メートルの山中に、面積約198平方メートルほどの小さな竹藪がある。生えているのはヤシャダケ。高さ3〜5メートル、太さ1センチほどの細身の竹である。その稈(かん)に、長さ1〜6センチほどの黒褐色の楕円形の斑紋が、規則的な間隔で散らばっている。模様は虎の毛皮を思わせる縞ではないが、虎の張子人形の胴に描かれた紋様によく似ている。これがトラフダケ、すなわち虎斑竹である。

1976年(昭和51年)6月16日に国の天然記念物に指定された「本谷のトラフダケ自生地」は、植物の指定としては珍しく「珍奇又は絶滅に瀕した植物の自生地」基準に基づくものである。実はトラフダケという品種の竹があるわけではない。

菌類がつくる模様

トラフダケの正体は、ヤシャダケ(Semiarundinaria yashadake)に虎斑菌(とらふきん、学名Chaetosphaeria fusispora)というカビが寄生した状態を指す。この菌が稈の表面に着生し、菌糸を稈組織の中まで伸ばすことで、表皮の下から黒褐色の模様が浮き上がる。斑紋の大きさは稈の太さに比例し、本谷では長さ10〜60ミリメートル、幅7〜50ミリメートルほどの楕円形になる。

古くから虎斑竹が珍重されてきたのは、表皮を磨き込むほど模様が深く、艶やかになるためである。菌糸が稈の奥まで入り込んでいるので、表面を研いでも模様は消えない。江戸時代にはキセルの羅宇(らう)や筆軸、装飾細工の材料として愛された。正倉院に残る17本の筆のうち8本に斑竹が用いられていることからも、その評価の古さがうかがえる。

津山に生まれた菌類学者

本谷のトラフダケと津山の関わりは、自生地があることだけではない。トラフダケを日本で初めて学術的に研究したのは、津山上之町(かみのちょう)出身の植物学者・川村清一(かわむら せいいち)である。津山中学校(現・津山高校)の第一期生として卒業した川村は、第三高等学校を経て東京帝国大学理学部植物学科で菌類研究に取り組み、明治40年(1907年)、稈の黒い斑紋が特定の菌類の感染によるものであることを論文で発表した。

この発見は当時の植物学の権威であった松村任三、伊藤篤太郎、三好学らの注目を集め、明治44年(1911年)、岡山のトラフダケを保護すべきとする建白書が内務省に提出された。これは大正8年(1919年)に「史蹟名勝天然紀念物保存法」が制定される8年前にあたり、川村の研究は日本の天然記念物保護制度の先駆けとなる業績の一つと位置づけられている。虎斑菌の学名にも、命名者として川村の名が刻まれている。

指定までの道のり

トラフダケ自生地の保護は、まず西隣の真庭市域にある3か所が大正13年(1924年)に「虎斑竹自生地」として国の天然記念物に指定されたことから始まる。本谷の自生地はそれより後に存在が知られるようになり、昭和16年(1941年)に岡山県の天然記念物に指定された。

太平洋戦争を挟んで山林の管理が滞り、トラフダケ自生地は荒廃した時期もあった。昭和33年(1958年)頃から、当時の久米町教育長・牧野邦次らが中心となって環境改善が進められ、私有地であった指定地は町有地に移管された。地道な保全の末、菌・竹ともに再び繁殖を取り戻し、昭和51年(1976年)6月16日、県指定から国指定へと昇格した。平成13年(2001年)11月の調査では、約5メートル×30メートルの範囲に約600本のヤシャダケが確認され、そのうち30本の稈に虎斑紋の出現が認められている。

自生地の現状

自生地は林道からやや沢筋へ下ったところにあり、周囲をスギの植林地に囲まれている。背の高いスギが直射日光を遮り、湿度を保つ環境は、虎斑菌の発生にとって理想的だ。アカメガシワやサルトリイバラが混生し、下草にはツルウメモドキ、リョウメンシダ、フユイチゴ、アケビなどが繁茂する。比較的若い稈にも虎斑菌の着生が認められ、現在も全般的に良好な状態を保っている。

入口には、昭和16年の岡山県指定当時に建てられた石碑が今も残る。文字は風化が進みつつあるが、ロープで囲われた指定地の輪郭は、この場所が長らく静かに守られてきた証である。

訪問について

本谷の自生地は観光地として整備された場所ではない。学術的に貴重な保全地であり、容易に辿り着けるところでもない。JR姫新線坪井駅から国道181号線を東へ数百メートル進み、長谷バス停付近から南側の山道に入る。標識が分かりにくく、地元住民や津山市役所の案内なしに訪れた場合、迷う可能性が高い。実際の紀行記録でも「案内人がいなかったら引き返した」との言葉が残されているほどである。

指定地そのものはロープで囲われており、内部への立ち入りや竹の採取はできない。文化財保護法により、稈や落ち葉も含めて持ち出しは禁じられている。訪問を計画する場合は事前に津山市役所へ問い合わせるのが確実である。

周辺の見どころ

津山市の中心部には、桜の名所として知られる津山城跡(鶴山公園)と、津山藩を支えた洋学者たちの足跡をたどれる津山郷土博物館や津山洋学資料館がある。津山は江戸後期から幕末にかけて、宇田川玄随・玄真・榕菴ら西洋医学・化学の翻訳者を多く輩出した町でもあり、自然系の文化財と洋学史を組み合わせた旅程が組める。

西へ車で40分ほどの真庭市には、大正13年に指定された方の「トラフダケ自生地」が3か所ある。勝山・久世エリアでは虎斑竹を用いた工芸品の例を見られる施設もあり、江戸時代の宿場町・勝山の町並み保存地区とあわせて巡るとよい。

Q&A

Q自生地に立ち入って観察できますか?
A指定地内への立ち入りはできません。ロープで囲われた外側からの観察となります。現地までの道も整備された遊歩道ではないため、訪問前に津山市役所への問い合わせをおすすめします。
Q虎斑菌に寄生されると竹は枯れてしまうのですか?
A虎斑菌は寄生しますが、宿主のヤシャダケを枯死させることはありません。本谷の自生地でも竹・菌ともに繁殖を続けており、規模は徐々に広がりつつあると報告されています。
Qなぜ岡山県北部にしか自生しないのですか?
A明確な答えは現在も解明されていません。宿主となるヤシャダケの生育条件、湿度、日照、標高、土壌など複数の要因が重なる必要があると考えられていますが、なぜ美作地方の限られた範囲だけに菌が定着しているのかは、植物病理学的にも興味深い未解明の問題です。
Q本谷のトラフダケ自生地と真庭市のトラフダケ自生地は別物ですか?
A別の指定物件です。真庭市域の3か所は大正13年(1924年)に「トラフダケ自生地」として国指定されており、本谷の自生地はその後発見され、昭和51年(1976年)に「本谷のトラフダケ自生地」として国の天然記念物に指定されました。
Qトラフダケを使った工芸品はどこで見られますか?
A奈良の正倉院宝物には斑竹を用いた筆が伝わっており、東京の「たばこと塩の博物館」にもトラフダケ細工のキセル類が収蔵されています。岡山県内では、真庭市勝山・久世エリアの観光案内施設で工芸品の展示を見られることがあります。

基本情報

名称本谷のトラフダケ自生地(ほんだにのとらふだけじせいち)
種別国指定天然記念物(指定基準12 — 珍奇又は絶滅に瀕した植物の自生地)
指定年月日1976年(昭和51年)6月16日。1941年(昭和16年)の岡山県指定からの昇格
面積約198平方メートル
宿主ヤシャダケ(Semiarundinaria yashadake)。高さ3〜5メートル、太さ約1センチメートル。2001年調査時点で約600本
寄生菌虎斑菌(Chaetosphaeria fusispora (Kawamura) Hino)
所在地岡山県津山市南方中236-2(旧久米郡久米町)。幻住寺山北側、標高約180メートル
アクセスJR姫新線坪井駅より国道181号線を東へ数百メートル、長谷バス停付近から南側の山へ。事前に津山市役所への問い合わせを推奨
公開状況指定地は囲い込まれ、内部立ち入り不可。竹・落葉等の採取も禁止

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「本谷のトラフダケ自生地」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2296
文化遺産オンライン「本谷のトラフダケ自生地」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/162128
岡山県公式サイト「本谷のトラフダケ自生地」(PDF)
https://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/260902.pdf
津山瓦版「本谷の虎斑竹(トラフダケ)自生地(国指定天然記念物)」
https://www.e-tsuyama.com/report/2016/08/post-1184.html
津山の歴史 あ・ら・か・る・と「トラフダケと川村博士」
https://mykoho.jp/article/332038/10186907/10350722

最終更新日: 2026.05.18