琉球石灰岩で築いた五つの築山——文政期の八重山に遺された枯山水
石垣市大川、市街地のただ中に琉球石灰岩の石垣で囲まれた一区画がある。南面の薬医門をくぐり、目隠しの築地塀「ひんぷん」を回り込むと、本瓦葺き平屋の母屋に行き着く。その母屋の東側に広がる枯山水庭園が、国指定名勝・宮良殿内庭園である。
作庭は1819年(文政2年)頃。松茂氏八代・宮良親雲上当演(みやらぺーちんとうえん)が八重山頭職に任ぜられたのを機に、首里の庭師・城間親雲上(ぐすくまぺーちん)の設計指導のもとで築かれた。指定は1972年(昭和47年)5月15日、種別は名勝、指定基準は「公園、庭園」。沖縄県下にあって、近世琉球の上流階級が屋敷の中に営んだ庭園として最も良好に残るもののひとつである。
松茂氏八代・当演の代に建てられた屋敷
琉球王府時代の八重山は、宮良・大浜・石垣の三間切に区分されていた。それぞれの間切の頭職(かしらしょく)の邸宅は敬称として「殿内(どぅんち)」と呼ばれ、その家柄を指す場合にも同様に用いられた。松茂氏は代々宮良間切の頭職を勤めた家筋にあたる。
八代当演は嘉慶24年(1819)に八重山頭職へ昇任、これを機に屋敷一切を整備したと伝わる。ただし、宮良家側の家伝では、七代当克(1794年没)の存命中から当演の采配により建造が始まっていたともされる。建物は首里の上級士族屋敷の構えを模したもので、王府の住宅規定(家屋の規模・格式は身分に応じて厳格に定められていた)からすれば、宮良間切頭職の格には不相応との判断が下された。
取り壊しの命令は五度に及んだが、宮良家はこれを拒み続けた。明治8年(1875)、検使の譴責によりついに茅葺へ葺き替えるよう命じられ、赤瓦は一旦失われる。瓦葺が復したのは明治32年(1899)のことだった。第二次世界大戦の戦災で沖縄本島の士族屋敷がほぼ全焼するなか、八重山に位置していたこの屋敷は地上戦を免れた。明治期に屋根材を入れ替えはしたものの、石垣・門・ひんぷん・母屋・庭園が当初の配置のまま残り、文政期の屋敷構えを今に見ることができるのは、その経緯による。
名勝に指定された理由
1972年の指定にあたって文化庁が示した評価は、大きく二点に整理できる。ひとつは、庭園の地割が内地の寺院枯山水の伝統様式を踏襲している、という点である。築山と枯滝、石橋と砂地を組み合わせる構成は、京都を中心とする本土の禅院庭園が確立した語彙であり、それを亜熱帯の島で素材を置き換えながら再現していることは、庭園文化の伝播を考えるうえで重要とされた。
もうひとつは保存状態である。同時代に作庭された琉球の名勝庭園は本島・八重山にいくつか現存するが、囲い石垣からひんぷん、母屋、庭園までの一連の屋敷構えを当初の位置関係のまま残す例は限られる。文化庁の解説は、宮良殿内庭園を「近世琉球の地方における上流階級の屋敷構えの中における庭園として最もよく保存されているもののひとつ」と位置づけている。
作庭を担った城間親雲上は、同じ石垣島の名勝・石垣氏庭園も手がけたとされる首里の庭師である。彼が文政期の八重山で京都の語彙を翻訳しつつ展開した二つの庭園は、いずれも国指定名勝として今日まで残されている。
築山、枯滝、石橋——庭の見どころ
庭の正対位置は、母屋の客間にあたる一番座の縁側である。そこに座すと、目の前には平らな砂地が広がり、その奥に五つの築山が北から南へと次第に低くなりながら並ぶ。
主材料は地元産の琉球石灰岩(サンゴ石灰岩)。北端の一の築山には石段が設けられ、登り切ったところは平場となる。二の築山と三の築山の間には枯滝が落ち、その中ほどを弧状の石橋が渡る。三と四の築山は二脚の石橋で結ばれ、四と五の築山は岩島風に仕立てられている。北から南へと高さを落とす配列は、見手の視線を奥へと導きながら、限られた敷地に奥行きを与えるための工夫である。
植栽は石組を引き立てる構成となっている。築山の上にはソテツ、シュロ、ハイビャクシン。背後にはフクギの濃い緑が屏風のように立つ。白い石灰岩と深い緑のコントラストは盛夏の日差しのもとでは強く、冬場の曇天には穏やかに沈む。
縁先の左右にも見落としやすい仕掛けがある。庇下の左手には一群の立石が組まれ、右手には蹲踞(つくばい)が据えられている。蹲踞は本来、茶庭で身を清めるために置かれるものであり、内地の庭園作法をそのまま採り入れた要素として注意してよい。
拝観について
公開時間は9時から17時まで、定休は火曜日(年末年始は休館)。拝観料は大人200円、小・中・高校生150円。母屋は宮良家の私邸として現在も使用されているため、内部に上がることはできないが、縁側に並ぶ漆器・陶器・幟立などの所蔵品は外から自由に見られる。
滞在時間は30〜45分ほどを見ておけば充分だろう。築山の高さを北から南へ落とした構成は縁側の一定位置からしか正しく把握できないため、歩いて回るより、座って眺める時間を長く取ることをすすめたい。
石垣港の離島ターミナルから徒歩約15分。新石垣空港からは市街地行きのバスで約30〜40分、市役所前付近で下車して東へ歩く。専用駐車場はないため、車で訪れる場合は周辺のコインパーキングを利用する。
周辺の見どころ
宮良殿内は石垣市街地の古い街区にあり、徒歩圏に見どころが集まる。東へ徒歩5分の石垣市立八重山博物館は、八重山の民俗資料を体系的に収める基幹館で、宮良家ゆかりの文書や調度の展示もある。北側には南嶋民俗資料館。
南へ歩けばユーグレナモール。100店を超える商店・飲食店が並ぶアーケード商店街で、土産物から生鮮食品までひととおり揃う。さらに先には石垣港離島ターミナルがあり、竹富島・西表島・小浜島など八重山諸島の島々への定期船が発着している。
徒歩10分ほどの距離には、同じく城間親雲上の作と伝わる国指定名勝・石垣氏庭園もある。通常は非公開だが、琉球石灰岩の石垣と赤瓦の門構えは外からも観察できる。両庭園を一日で組み合わせて訪ねれば、文政期の八重山で展開された琉球様式枯山水の幅を実感できる。
Q&A
- 「殿内」とはどう読み、何を意味するのか。
- 八重山方言で「どぅんち」と読み、宮良殿内は「みやらどぅんち」となる。古い在地読みでは「めーらどぅぬじぃ」とも呼ばれた。「殿内」は王府時代に間切頭職を勤めた家筋やその邸宅に対する敬称で、邸宅を指す場合と家柄を指す場合のいずれにも用いられた。
- 母屋には上がれるのか。
- 母屋は宮良家の私邸として現在も使われているため、屋内には上がれない。縁側からの見学と、庭園・前庭の散策が拝観の中心となる。
- どの季節に訪ねるのが適しているか。
- 常緑の樹木中心の庭のため、季節による表情の変化は本土の名勝庭園ほど大きくない。光の柔らかい晩秋から冬(11月〜2月)は石組の質感が見やすい。夏は午前10時頃までの早い時間帯が見学しやすい。
- 撮影は可能か。
- 個人での記念撮影は庭園・建物外観とも自由。三脚やドローン使用、商業撮影は事前許可が必要となる。
- 同じ城間親雲上の作とされる石垣氏庭園との違いは。
- 石垣氏庭園は大浜間切頭職を勤めた石垣家の邸宅に作庭された名勝で、宮良殿内庭園とほぼ同時期の作とされる。素材・様式は共通するが、現在も常時公開されているのは宮良殿内のほうで、石垣氏庭園は基本的に非公開である。
基本情報
| 名称 | 宮良殿内庭園(みやらどぅんちていえん) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定名勝(指定基準:一.公園、庭園) |
| 指定年月日 | 1972年(昭和47年)5月15日 |
| 作庭年代 | 1819年(文政2年・嘉慶24年)頃 |
| 作庭 | 城間親雲上(ぐすくまぺーちん/首里の庭師) |
| 施主 | 松茂氏八代 宮良親雲上当演(八重山頭職就任を記念して建造) |
| 様式 | 枯山水(琉球様式に翻案された) |
| 主材料 | 琉球石灰岩(サンゴ石灰岩) |
| 所在地 | 沖縄県石垣市大川178番地 |
| 公開時間 | 9:00〜17:00 |
| 休館日 | 火曜日、年末年始 |
| 拝観料 | 大人 200円/小・中・高校生 150円 |
| アクセス | 石垣港離島ターミナルから徒歩約15分 |
| 関連指定 | 旧宮良殿内(附 石牆・ひんぷん・東築地塀)は国指定重要文化財(建造物)として同日指定 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|宮良殿内庭園
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3034
- 石垣市|市内の文化財(P7・国指定記念物・名勝)
- https://www.city.ishigaki.okinawa.jp/material/files/group/41/P7_bunkazai.pdf
- 石垣市|市内の文化財(P4・重要文化財建造物・旧宮良殿内)
- https://www.city.ishigaki.okinawa.jp/material/files/group/41/P4_bunkazai.pdf
- 石垣市観光交流協会|宮良殿内(みやらどぅんち)
- https://yaeyama.or.jp/宮良殿内(みやらどぅんち)/
- コトバンク|日本歴史地名大系「宮良殿内」(平凡社)
- https://kotobank.jp/word/宮良殿内-3108141
最終更新日: 2026.05.18