御殿の資材から起こした民家

旧田場家住宅主屋は、沖縄民家の定型からはずれる点にこそ見どころがある。桁行およそ15メートル、梁間6.8メートル、南北棟、寄棟造本瓦葺の木造平屋建である。西面の縁側に沿って、南から板間、一番座、二番座を並べ、北側に土間台所を置く。雨端は西面と南面にまわる。

平面には二つの際立った特徴がある。一つは、格式ある一番座に隣接して、一間分の広い板間が取られていること。もう一つは、沖縄の伝統的民家がほぼ例外なく備える裏座を持たず、かわりに東面へ廊下を通していることである。この定型からの逸脱は、もとの敷地の形状や屋敷の配置、規模との関係によるものと考えられている。

首里から、そして戦争を経て

建築は明治後期、1868年から1911年の間で、旧王都首里の石嶺町(現・那覇市首里石嶺町)に建っていた。用いられた材は転用材であった。那覇市内で御殿を取り壊した際に出た資材を田場家が買い取り、それを用いてこの家を建てたと伝わる。転用材と敷地の制約が、標準からはずれた間取りを生んだ一因と見られる。

柱には二十世紀の痕跡が刻まれている。戦時中に日本軍が使用した際についた刀傷が今も残る。戦後は米軍が軒の瓦を一部落とし、テントを張って用いた。内部の柱には、化粧板張りの下に無数のくぎ穴が残り、この家が経てきた多様な用途を静かに示している。

建物は平成7年(1995年)におきなわワールドへ移築された。平成20年(2008年)4月18日に登録有形文化財(建造物)として登録され、告示は同年5月7日、登録番号は47-0067である。登録基準は「造形の規範となっているもの」。平成8年の文化財保護法改正で設けられた登録制度は、活用を通じて建物を守ることをねらいとする。

見どころ

首里ゆかりの家にふさわしく、現在は紙すきの工房として使われている。糸芭蕉や月桃といった沖縄の植物を素材とする紙をここで漉き、かつて王都を中心に営まれた紙漉の文化を受け継ぐ。来訪者は制作を体験できる。

一番座の脇に広がる板間と、裏座を欠く構成に注目したい。城下町の他の民家、標準的な間取りをもつ家を先に見ておけば、この家が例外であることがはっきりと読み取れる。あわせて、刀傷やくぎ穴の残る柱を探してほしい。沖縄の戦中・戦後の重なりをこれほど直接に手でたどれる建物は多くない。

旧田場家住宅主屋は、平成20年に一括して登録された5件、旧民家4棟とフール1基のうちの一つであり、いずれも異なる地域から運ばれている。

Q&A

Q旧田場家住宅主屋はなぜ特異とされるのですか。
A沖縄民家の定型からはずれた間取りをもつためです。格式ある一番座の隣に広い板間を取り、裏座を持たず、東面に廊下を通します。これらはもとの敷地の形状に由来すると考えられています。
Q御殿の資材で建てたというのは本当ですか。
Aはい。明治後期に那覇市内の御殿が取り壊された際、田場家がその資材を買い取り、首里石嶺町にこの家を建てたと伝わります。
Q内部を見学できますか。
Aはい。おきなわワールド(南城市)内で紙すきの工房として公開されています。入園は有料で年中無休、紙すきの体験も行われています。
Q戦争にまつわる痕跡は残っていますか。
A戦時中に日本軍が使用した際の刀傷が柱に残り、戦後は米軍が軒瓦を一部落としてテントを張りました。内部の柱には多数の古いくぎ穴も見られます。

基本情報

名称おきなわワールド旧田場家住宅主屋
所在地沖縄県南城市玉城字前川1384他(おきなわワールド内)
移築前所在地沖縄県那覇市首里石嶺町
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号47-0067
登録年月日平成20年(2008年)4月18日(告示同年5月7日) 基準:造形の規範となっているもの
年代明治後期(1868–1911) 平成7年(1995年)移築
構造・形式木造平屋建、南北棟、寄棟造本瓦葺、建築面積約117平方メートル 桁行約15メートル 裏座を持たず東面に廊下を通す
所有者株式会社南都
公開状況おきなわワールド内で公開(紙すきの工房として活用)。那覇空港から車で約30分。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「おきなわワールド旧田場家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007159
おきなわワールド公式サイト「国・登録有形文化財の古民家紹介」
https://www.gyokusendo.co.jp/okinawaworld/culturalproperties/
日本文化財情報サイト「沖縄県南城市の文化財一覧」
https://nanjo.hiddenheritage.jp/

最終更新日: 2026.07.02