阿武山古墳とは:盛土のない7世紀の墓

阿武山古墳(あぶやまこふん)は、大阪府高槻市奈佐原と茨木市安威にまたがる阿武山の中腹にある古墳時代終末期の古墳で、昭和58年(1983年)に国の史跡に指定された。

高槻市によると、古墳は阿武山の中腹、標高約210メートルの尾根の上にある。昭和9年(1934年)、京都大学の地震観測施設を建設した際に偶然発見された。

指定の理由:夾紵棺と玉枕をもつ貴人の墓

高槻市によると、阿武山古墳には盛土がなく、尾根の小高いところに幅2.5メートルの浅い溝を円形にめぐらせて、直径82メートルの墓域を区画している。中央には、花崗岩の切石と厚い素焼きのタイルを組み上げ、内側を漆喰で仕上げた墓室がある。

墓室には、漆で麻布を何枚も貼り固めた夾紵棺が安置されていた。棺の中には、銀線で青と緑のガラス玉をつづった玉枕を用い、錦をまとった60歳ほどの男性の遺体があった。遺体や副葬品は元どおり埋め戻されたが、当時撮影されたX線写真などの分析から、男性が亡くなる数か月前に肋骨などを折る事故に遭っていたことや、金糸で刺繍した冠帽が添えられていたことが分かっている。

葬られた人物については、『多武峰略記』が安威山に埋葬したと伝える大織冠・中臣(藤原)鎌足とする説が有力だと高槻市は説明している。

見どころ:墓域を区画する円形の溝

阿武山古墳の地表には、一般的な古墳のような墳丘はない。見るべきは、尾根の上を円く区画した墓域の広がりである。直径82メートルという範囲を意識して歩くと、盛土をせずに墓の場所を示した終末期の古墳の姿がつかみやすい。

墓室は埋め戻されており、見ることはできない。復元された冠帽や玉枕などの展示は、高槻市の歴史施設で紹介されている。

阿武山古墳の見学方法

高槻市によると、阿武山古墳へはJR摂津富田駅から高槻市営バスで「消防署前」まで行き、そこから徒歩約30分(約2キロメートルの坂道)である。駐車場はないので、公共交通機関を使ってほしいとしている。

山道を歩くので、歩きやすい靴と飲み水を用意したい。問い合わせ先は高槻市の埋蔵文化財調査センター(072-694-7562)である。

Q&A

Q阿武山古墳とは何ですか?
A大阪府高槻市と茨木市にまたがる阿武山の中腹にある古墳時代終末期の古墳で、昭和58年(1983年)に国の史跡に指定されました。
Q阿武山古墳に葬られたのは誰ですか?
A高槻市は、『多武峰略記』が安威山に埋葬したと伝える中臣(藤原)鎌足とする説が有力だと説明しています。
Q阿武山古墳はいつ発見されましたか?
A昭和9年(1934年)、京都大学の地震観測施設の建設の際に偶然発見されました。
Q阿武山古墳の中を見ることはできますか?
A墓室は埋め戻されており、見ることはできません。現地では円形に区画された墓域を見学できます。
Q阿武山古墳への行き方は?
AJR摂津富田駅から高槻市営バスで「消防署前」まで行き、徒歩約30分(約2キロメートルの坂道)です。駐車場はありません。

基本情報

名称阿武山古墳(あぶやまこふん)
所在地大阪府高槻市奈佐原、茨木市安威
指定区分史跡
指定年昭和58年(1983年)8月30日指定
員数1件
寸法直径82メートルの墓域、標高約210メートルの尾根上
所有者文化庁データベースに記載なし
公開状況屋外の史跡。駐車場なし

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「阿武山古墳」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1837
文化遺産オンライン「阿武山古墳」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/191272
高槻市「史跡阿武山古墳」
https://www.city.takatsuki.osaka.jp/site/history/4566.html

最終更新日: 2026.09.27