泉佐野の住宅地に建つ、設計者自身の家
池田谷家住宅主屋は、大阪府泉佐野市大西にある昭和2年(1927年)頃建設の木造平屋建住宅で、平成16年(2004年)3月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。設計したのは泉佐野出身の建築家、池田谷久吉(1897〜1956)。他人のためではなく、自らの住まいとして建てた一棟である。
池田谷久吉は市立大阪工業学校(現在の大阪市立都島工業高等学校)を卒業後に大阪府庁へ入り、退職後は大阪市西区に池田谷建築事務所を構えた。仕事の中心は寺社建築である。河内長野市の観心寺恩賜講堂は移築設計を手がけたもので、のちに重要文化財となった。金光教玉水教会会堂、成田山不動尊、鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された岸和田城天守閣なども彼の設計による。郷土史家としての顔も持ち、古建築の調査に長く関わっている。
その人物が、自邸には二階を積まなかった。
建物は寄棟造、桟瓦葺の平屋で、建築面積は156平方メートル。昭和24年(1949年)に増築を受けており、竣工後も手を入れながら住み継がれてきたことが年代表記から読み取れる。外から目を引くのは、軒下の漆喰塗小壁が通常より高くとられている点である。深い軒の下に白い帯が長く伸び、瓦の重さと白壁の明るさが上下で分かれる。平屋でありながら立面が間延びしないのは、この比率の操作によるところが大きい。
登録有形文化財としての位置づけ
登録有形文化財は、平成8年(1996年)10月1日に施行された改正文化財保護法によって始まった制度である。重要なものを厳選して許可制の強い規制をかける「指定」とは性格が異なり、届出制と指導・助言を基本とする緩やかな保護措置をとる。開発や生活様式の変化で失われやすい近代の建造物を幅広く後世へ継承することを狙った仕組みで、所有者が住み続けながら守れる点に大きな意味がある。
池田谷家住宅主屋の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。登録番号は27-0272、第41回の登録にあたる。登録年月日は平成16年3月2日、官報告示は同年3月29日である。同じ敷地内の池田谷家住宅蔵(登録番号27-0273)も同日付で登録され、二棟一組で評価された。
評価の芯にあるのは、社寺を本業とした設計者が住宅へ何を持ち込んだのか、という点だろう。深い軒、高い漆喰小壁、寺院の古材を転用した茶室。いずれも社寺の現場で扱ってきた語彙である。それが平屋一戸の規模におさまり、泉佐野の町並みのなかで浮かずに建っている。近代の職能建築家が地方都市で残した住宅の実例として、資料的な価値は小さくない。
見どころ ― 三畳の茶室と、北から南への流れ
平面の組み立ては明快である。玄関は北側にあり、そこから南へ向かって接客用の和室が並ぶ。中央部が日常の居室、西側に水回りをまとめる。客は北から入って南の座敷へ通され、家族の生活は建物の真ん中で営まれる。動線と用途が素直に対応した配置で、設計者が自邸で技巧に走らなかったことがうかがえる。
玄関の東脇には三畳の茶室が設けられ、ここに寺院の古材が使われている。社寺の修理や移築に関わる建築家であれば、解体の現場で良材に触れる機会がある。それを自宅の最も小さな部屋へ納めたわけで、職能と私生活が重なる場所と言っていい。三畳は茶室として最小に近い規模だが、柱や梁の来歴を知って座れば、その密度は面積と釣り合わない。
訪問にあたっては前提を確認しておきたい。池田谷家住宅主屋は現在も個人の住宅であり、内部は公開されていない。見学は公道からの外観にとどめ、敷地内へ立ち入らないこと。撮影についても居住者のプライバシーへの配慮が求められる。
場所は南海本線泉佐野駅の西、直線距離でおよそ350メートル。徒歩なら5分ほどの住宅地である。泉佐野駅は関西国際空港から南海空港線で2駅、所要10分前後で着くため、空港利用の前後に立ち寄れる距離にある。北へ500メートルほど歩けば、江戸時代の町割が残る「さの町場」に入る。ここには泉佐野市指定文化財の旧新川家住宅を活用した泉佐野ふるさと町屋館があり、こちらは一般公開されている(開館日時は変動するため事前確認が望ましい)。近代の建築家の自邸と、近世の醤油醸造家の町屋。徒歩圏で二つの時代の住まいを見比べられる。
Q&A
- 池田谷家住宅主屋は見学できますか。内部は公開されていますか。
- 個人の住宅であり、内部は公開されていません。公開に関する情報も確認できないため、見学は公道からの外観にとどめてください。敷地内への立ち入りはできません。撮影も居住者のプライバシーに配慮し、門扉や窓越しに室内を写すことは避けてください。
- 池田谷家住宅主屋へのアクセスは。最寄り駅からどのくらいですか。
- 所在地は大阪府泉佐野市大西1-1640で、南海本線泉佐野駅の西側、直線距離で約350メートル、徒歩5分前後です。泉佐野駅は南海空港線で関西国際空港駅から2駅、所要10分ほどのため、空港からのアクセスは良好です。
- 池田谷家住宅主屋を設計した池田谷久吉とはどのような建築家ですか。
- 池田谷久吉(1897〜1956)は泉佐野生まれの建築家で、郷土史家でもありました。市立大阪工業学校を卒業して大阪府庁に入り、退職後は大阪市西区に池田谷建築事務所を開設。観心寺恩賜講堂の移築設計、金光教玉水教会会堂、成田山不動尊、岸和田城天守閣などを手がけています。この建物は彼自身の住まいでした。
- 池田谷家住宅主屋の「登録有形文化財」は、重要文化財とどう違うのですか。
- 登録有形文化財は平成8年(1996年)に始まった制度で、届出制と指導・助言を基本とする緩やかな保護措置をとります。許可制の強い規制と手厚い保護を伴う重要文化財の「指定」とは制度上の性格が異なり、所有者が住み続け、使い続けながら保存できる点が特徴です。池田谷家住宅主屋は平成16年(2004年)に登録されました。
- 池田谷家住宅主屋の周辺に、あわせて訪ねられる文化財はありますか。
- 同じ敷地内に、同日登録の池田谷家住宅蔵(登録番号27-0273)が主屋の北面西端へ接続しています。北へ500メートルほどの「さの町場」には、泉佐野市指定文化財の旧新川家住宅を活用した泉佐野ふるさと町屋館があり、こちらは一般公開されています。開館日時や入館料は変更されることがあるため、訪問前に泉佐野市または運営団体へ確認してください。
基本情報
| 名称 | 池田谷家住宅主屋(いけだやけじゅうたくおもや) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府泉佐野市大西1-1640 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 27-0272(第41回登録) |
| 指定年 | 平成16年(2004年)3月2日登録、同年3月29日告示 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積156平方メートル |
| 所有者 | 個人(国指定文化財等データベースに所有者名の記載なし) |
| 公開状況 | 非公開。個人住宅のため公道からの外観見学のみ |
参考文献
- 国指定文化財等データベース ― 池田谷家住宅主屋(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00003996
- 文化遺産オンライン ― 池田谷家住宅主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/180216
- 登録有形文化財(建造物)― 制度の概要(文化庁)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
- 大阪文化財ナビ 用語集 ― 池田谷久吉(大阪府建築士会)
- https://osaka-bunkazainavi.org/glossary/池田谷久吉
- さの町場(泉佐野ふるさと町屋館ほか)― 泉佐野市観光情報
- https://www.kankou-izumisano.jp/50on/sa/1569561601540.html
最終更新日: 2026.08.19