道筋に合わせて歪んだ蔵

塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)は、大阪府泉佐野市本町にある江戸時代末期の土蔵で、天保から慶応にあたる1830年から1867年ごろの建築とされ、平成20年(2008年)4月18日に国の登録有形文化財となった。

建つのは敷地の角地である。この一点が、建物の形をほぼ決めている。土蔵といえば矩形が通例だが、この蔵の平面は台形をなす。桁行は南側が13メートル、北側が12メートル、梁間は5.8メートル。壁は互いに直角を組むのではなく、二方の道筋に沿って立てられた。屋根の架構もそれに従っている。建築面積は73平方メートル。

土蔵造の2階建だが、2階床が張られているのは東半部だけで、内部は間仕切りのない1室である。屋根は切妻造本瓦葺。基礎は切込矧の石積で、切り整えた石材を目地を詰めずに密着させて積む工法をとる。

外壁の仕上げにも目を留めたい。土蔵の厚い塗壁は防火に優れる反面、吹き付ける雨に弱い。ここでは水平に張った下見板がその塗壁を覆い、犠牲層として風雨を受け止めている。泉南の海岸沿いに共通する処理で、内陸の白漆喰の蔵と比べると、この地域の蔵はより暗く、木の目立つ外観になる。

米と船、そして登録の理由

個人の蔵がなぜ国の文化財なのか。それを理解するには、この一帯にかつて何が建っていたかを知る必要がある。

泉佐野は瀬戸内海運の要地だった。佐野村を本拠とした商家、なかでも食野家と唐金家は、大坂と江戸を結ぶ航路や、諸藩の年貢米を運ぶ船で財を築いた。西回り航路が開かれた17世紀後半、食野家は100隻近い船を持っていたとも伝わる。両家とも井原西鶴の『日本永代蔵』に名が出るほどの富商である。18世紀半ばに北前船の交易が始まると、佐野の船主たちはいち早くこれに加わった。

その蔵は海岸沿いに連なって建っていた。土地の呼び名は「いろは蔵」。いろは四十八文字にちなむ通称である。泉佐野市の記録では最盛期に40棟を超え、現在残るのは10棟ほど。蔵が並んでいた道筋は今も「いろは蔵通り」と呼ばれている。

文化庁は塚本家住宅蔵を第59回登録の登録番号27-0461として登録した。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、告示は同年5月7日。データベースの解説は、廻船問屋の蔵が建ち並んでいた当時の様相を伝える土蔵と位置づけている。種別は住宅/建築物、員数は1棟、昭和33年(1958年)の改修が記録されている。

登録制度そのものが平成8年(1996年)に、こうした事例を想定して設けられた。土地に根ざしてはいるが重要文化財の水準には届かず、しかも私有のまま使い続けられなければ残らない建物。届出制の緩やかな保護は、その現実に合わせた仕組みである。

訪ね方と、周囲に残るもの

出かける前に一点だけ確認しておきたい。これは個人の建物である。文化庁のデータベースでも所有者名の記載はなく、受付も入場口もない。内部は公開されていない。できるのは前を通り、道路から外観を眺めることだけで、実際この建物はそのように見られることを前提としている。それでこの蔵の特徴は十分に読み取れる。

角に立って南側の軒の線をたどり、次に北側へ回り込む。台形の絞りは地面の高さでは分かりにくいが、屋根を見れば分かる。棟が両側の壁と同時に平行にはなり得ないからだ。石積と下見板が接するところも見ておきたい。二つの技法が、装飾的な取り合いを挟まずに直接出会っている。

蔵が建つのは「さの町場」と呼ばれる旧商家町で、細い道が格子状に走る。歩いて数分、本町5-29には泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)がある。江戸中期に二代目新川喜内が醤油業を営むために建てた町屋で、泉佐野市指定文化財として一般公開されている。観覧のための入館は午前9時から午後4時まで、休館は年末年始のみ。入館料は一般200円、高校・大学生等100円、中学生以下と65歳以上および障がいのある人は無料。土間シアターや帳場の再現があり、蔵の内部に入れない分をここで補える。

食野家の本宅は残っていない。屋敷跡は弘化2年(1845年)に佐野村が買い取ったと伝えられ、現在は市立小学校の敷地となって、松と井戸枠、石碑が残る。令和2年(2020年)6月には日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」の構成文化財に追加認定された。

これらはいずれも南海本線泉佐野駅から徒歩10分ほどの範囲に収まる。泉佐野駅は空港線が分岐する駅で、関西国際空港とは直結している。乗り継ぎに数時間の余裕があれば、旧市街まで足を延ばせる距離だ。

Q&A

Q塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)の内部は見学できますか。
Aできません。個人が所有する建物で見学設備がなく、内部は非公開です。外観は公道から常時無料で見ることができます。同時期・同地域の建物の内部を見たい場合は、徒歩数分の泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)が一般公開されています。
Q塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)はなぜ台形の平面をしているのですか。
A敷地の角地に建ち、壁が直角を組まず二方の道筋に沿って立てられているためです。桁行は南13メートル・北12メートル、梁間5.8メートルで、建築面積は73平方メートル。切妻の屋根もこの絞りに合わせて架けられています。
Q塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)はいつ建てられ、いつ登録されましたか。
A文化庁は建築年代を江戸末期とし、西暦では1830年から1867年の範囲を示しています。昭和33年(1958年)の改修が記録されています。登録有形文化財となったのは平成20年(2008年)4月18日で、告示は同年5月7日、第59回登録の登録番号27-0461です。
Q「いろは蔵」とは何ですか。塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)もその一つですか。
A泉佐野の海岸沿いに建ち並んでいた商家の蔵群の通称で、いろは四十八文字にちなみます。泉佐野市の記録では最盛期に40棟を超え、現存は10棟ほど。塚本家住宅蔵は同じ町域にあり、文化庁の解説も、廻船問屋の蔵が建ち並んでいた当時の様相を伝える土蔵と位置づけています。
Q塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)へのアクセスを教えてください。
A南海本線の泉佐野駅から徒歩10分ほどです。所在地の本町は、旧商家町「さの町場」にあたります。同じ徒歩圏に泉佐野ふるさと町屋館や食野家跡があり、まとめて歩けます。
Q塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)の「土蔵造」とはどのような構造ですか。
A木造の軸組を厚い土と漆喰で包み、防火性を高めた構造です。この蔵では切込矧の石積の上に2階建の躯体が載り、塗壁の外側に下見板を張って、海からの吹き付ける雨から壁面を守っています。

基本情報

名称塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)/つかもとけじゅうたくくら(きゅうかくひょうけじゅうたくこめぐら)
所在地大阪府泉佐野市本町4853-5
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 27-0461
指定年平成20年(2008年)4月18日登録、同年5月7日告示(第59回登録)
員数1棟
寸法土蔵造2階建、瓦葺、建築面積73平方メートル/台形平面(桁行 南13メートル・北12メートル、梁間5.8メートル)
所有者文化庁データベースに所有者名の記載なし
公開状況外観は公道から見学可。内部は非公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「塚本家住宅蔵(旧覚兵家住宅米蔵)」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007086
泉佐野市観光協会「さの町場(泉佐野ふるさと町屋館・いろは蔵・食野家跡)」
https://www.kankou-izumisano.jp/50on/sa/1569561601540.html
日本遺産 北前船寄港地・船主集落 公式サイト「大阪府 泉佐野市」
https://www.kitamae-bune.com/travel/izumisano/
文化庁「登録有形文化財(建造物)」制度解説
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html

最終更新日: 2026.08.20