薬種商の屋敷に建つ大正の離れ

大阪府貝塚市の旧寺内町には、瓦屋根を低く連ねた江戸時代以来の町家が今も筋ごとに残る。堀之町筋と御下筋が交わる角地に構えるのが、代々薬種問屋を営んだ利齋家の住宅である。当主は「孫左衛門」を名乗り、江戸時代を通じてほぼ途切れることなく北之町の町年寄役をつとめた。堀之町筋に南面する主屋の背後、中庭を隔てて建つのが、ここで取り上げる離れである。完成したのは大正13年(1924年)頃。江戸期の屋敷構えの奥に、時代の異なる一棟がひそやかに置かれている。

利齋家が貝塚に居を構えたのは戦国の終わりにさかのぼる。当家に伝わる「三宅氏系図」によれば、先祖の式部という人物は松尾寺(現在の和泉市にある天台宗寺院)に出家していたが、織田信長の兵乱(天正9年・1581年)の後に貝塚へ移り住んだという。以後、薬種を商いながら町政の一翼を担い続けた一族である。屋敷の構成にも、その長い在地のさまがあらわれている。主屋は原形が17世紀までさかのぼる可能性を持ち、西側の御下筋に面して土蔵が建ち、中庭を挟んだ奥に離れが控える。

離れそのものは建築面積91平方メートルほどの、けっして大きくない一棟である。木造で、平面の大部分は平屋。西寄りに小さな2階を載せ、屋根は瓦で葺く。1階は8畳と6畳の二室を続き座敷とし、日本家屋の作法どおりに仕立てている。ところが階段を上ると、室内の気配が一変する。

2階の洋間と装飾意匠

2階に置かれた一室は洋間である。来客をもてなすために設えられたことが、室内の造作からうかがえる。壁の一面には暖炉が据えられ、その周囲は装飾タイルで飾られる。窓にはステンドグラスが入り、外光が色を帯びて差し込む。当初からの照明器具も残されている。これらは、大正期に各地の富裕な家で広まった和洋折衷の好みを示すものだ。古い商家が、住まいの大部分を日本間のまま保ちながら、一室だけを当時の西洋風に整える。利齋家の離れは、その典型の一つにあたる。

残っているものと、改められたものは、正しく分けて記しておきたい。平成7年(1995年)の兵庫県南部地震の後、この建物にも修理の手が入った。外壁は仕上げを直し、洋間の壁のクロスは張り替えられている。一方で、室内の本格的な装飾意匠は失われずに残った。暖炉のタイル、窓のステンドグラス、照明器具。この部屋を成り立たせている要の造作は、いずれも当初のものである。仮にこの部屋に立つことができたなら、目にするのは復元ではなく、大正期の室内そのものということになる。

選択そのものに、時代の感覚が読み取れる。浄土真宗の寺院の住職が数百年にわたって治めた町に根を張った薬種商の家が、大正の世に、畳と木組みで構えた屋敷へ西洋風の一室を加えた。小さな離れだが、長く続いた商家がそのとき外へ目を向けた、その瞬間が刻まれている。

「登録」有形文化財という枠組み

日本の建造物の保護にはいくつかの段階があり、この離れを理解するうえで区別が要る。最も手厚いのは国宝や重要文化財で、国が建物を「指定」し、その保存を細かく監督する。利齋家の離れは、これとは別の、より緩やかな枠にある。平成8年(1996年)に設けられた制度のもとで、おおむね築50年を経て国土の歴史的景観に寄与する建物を対象とする「登録有形文化財」である。登録は、所有者が建物を使い続け、手を入れながら守っていける余地を残す点で、指定とは性格が異なる。

離れが登録されたのは平成15年(2003年)3月18日、登録番号は27-0228で、登録の基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。主屋と土蔵も同じ日に登録されており、利齋家の三棟はそろって登録の対象となった。さらに、この時期には寺内町の近隣の町家も数多く登録されている。歩いてみて町並みに一貫した印象を受けるのは、こうした面的な登録の積み重ねによるところが大きい。

貝塚寺内町を歩く

利齋家は現に人の住まう個人の住宅である。そのため、決まった公開はなく、離れは主屋の奥に控えているので、通りから眺めるたぐいの建物でもない。できるのは、四百年にわたって形を保ってきた寺内町の一部として、この一棟を文脈のなかで読むことである。

その町が貝塚寺内町であり、中心となるのが今に願泉寺と呼ばれる寺院、地元で「貝塚御坊」「ぼっかんさん」と親しまれてきた寺である。天文24年(1555年)に石山本願寺のもとで寺内に取り立てられ、その二十数年後には織田信長の戦火で焼かれた。天正11年(1583年)からの二年余りは、本願寺第十一世顕如が本拠を移したことで、浄土真宗の本山として機能した時期もある。慶長15年(1610年)、徳川家康が寺内諸役を免じる黒印状を下付し、以後、住持の卜半家が地頭として明治初年まで二百六十年以上にわたり町を治めた。どの藩にも属さず、幕府の直轄でもないという珍しい立場が、現在まで残る町割りや建物を方向づけた。

願泉寺は拝観でき、町歩きの起点に向く。そこから先は、登録文化財の商家や白壁の土蔵、表通りに並ぶ四つの寺院を見ながら、ゆっくり筋をたどるのがよい。町家の内部を見たいなら、旧商家を活用した「貝塚寺内町まちや館」に入ることができる。利齋家の主屋が保つのと同種の室内を、ここで体感できる。3月中旬に合わせて訪れれば、複数の旧家が雛人形を公開する催しに出会えることもある。一帯は南海本線貝塚駅から歩いてすぐで、駅前には旅の支度を整えられる観光案内の拠点もある。

Q&A

Q利齋家の離れの内部は見学できますか。
Aできません。利齋家住宅は個人の住まいで、一般には公開されていません。離れも主屋の奥に建ち、通りからは見えにくい位置にあります。保存された寺内町の景観の一部として外観の雰囲気を味わい、近くの公開町家や願泉寺で同種の室内をご覧になるのがよいでしょう。
Q2階の洋間は何が珍しいのですか。
A伝統的な和風の商家に、大正13年(1924年)頃に加えられた西洋風の一室である点です。タイル張りの暖炉、ステンドグラスの窓、当初からの照明器具が残り、和と洋を一軒のうちに併存させた大正期の折衷的な好みがうかがえます。
Q「登録」文化財は国宝や重要文化財とどう違うのですか。
A登録は指定より緩やかな保護の仕組みです。国宝・重要文化財は国が指定し、保存を厳しく監督します。これに対し登録有形文化財は平成8年(1996年)に設けられた制度で、おおむね築50年以上で歴史的景観に寄与する建物を対象とし、所有者が使い続けやすいよう義務は軽めに設定されています。
Q寺内町へのアクセスは。
A貝塚寺内町は南海本線の貝塚駅から徒歩5分ほどです。駅前には観光案内の拠点があります。利齋家住宅は町の歴史的な中心に近い北町に建っています。
Q訪れるのに良い時期はありますか。
A町並みの散策はどの季節でも楽しめます。特別な機会を求めるなら、3月中旬がおすすめです。複数の旧家が室内を開いて雛人形を公開する催しが毎年開かれます。

基本情報

名称利齋家住宅離れ(りさいけじゅうたくはなれ)
所在地大阪府貝塚市北町18-3
区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成15年(2003年)3月18日(登録番号 27-0228)
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
年代大正13年(1924年)頃
員数1棟
構造及び形式木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積約91平方メートル
所有者個人
アクセス南海本線 貝塚駅から徒歩約5分
公開状況個人の住宅のため非公開。周辺の町並みの一部として外観を望むことができる

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース(利齋家住宅離れ)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003283
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)利齋家住宅主屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/168592
貝塚市 文化財データ 利齋家住宅
https://www.city.kaizuka.lg.jp/bunkazai/bunkazaidata/bunkazai/kuni_sitei/tourokubunkazai/risaike.html
一般社団法人貝塚寺内町保存活用事業団 貝塚寺内町のなりたち
https://www.jinaicho.org/history/
願泉寺 願泉寺の歴史
https://gansenji.jp/history/

最終更新日: 2026.06.20