金剛山の麓にまつられた水の社、建水分神社
建水分神社は、大阪府南河内郡千早赤阪村水分にある神社で、建武元年(1334年)に後醍醐天皇の命を受けた楠木正成が社殿を山の下から現在の高台へ移したと伝わり、室町時代中期の本殿が重要文化財、摂社南木神社の社殿など4件が登録有形文化財になっている。
社名は「たけみくまりじんじゃ」と読む。地元では「水分神社(すいぶんじんじゃ)」の通称で呼ばれ、古くは「水分大明神」「上水分宮」とも称した。神社の説明によれば、「みくまり」は水を公平に配ることを意味し、「水配り」が転じた語だという。金剛山の総鎮守で、周辺18か村の産土神であり、この地を本拠とした楠木氏の氏神でもあった。
主祭神は天御中主神で、天水分神・国水分神・罔象女神・瀬織津媛神をあわせてまつる。創建は崇神天皇5年と社伝にあり、金剛・葛城の山麓に水の神としてまつったのが始まりとされる。10世紀の『延喜式』神名帳に名が見える式内社である。
楠木氏の氏神から楠公顕彰の社へ、建水分神社の歩み
神社の由緒によると、建武元年の遷座の際に本殿・拝殿・鐘楼などが建て直され、延元2年(1337年)には神階の最高位である正一位が授けられた。同じ年、前年に湊川で戦死した正成をしのんで後醍醐天皇が尊像を刻ませ、ゆかりの深いこの境内にまつったのが摂社南木神社(なぎじんじゃ)の起こりとされる。神社は南木神社を、正成をまつる最古の神社と伝えている。
戦国時代には織田信長の河内攻めで社領を失い、境内も焼き討ちに遭ったが、豊臣秀吉が田地を寄進して持ち直した。元禄10年(1697年)、領主の石川総茂が、建水分神社本殿の裏にあって傾いていた南木神社の社殿をいまの場所へ移して再興している。
近代に入ると、正成を顕彰する機運がこの社を大きく変えた。大正9年(1920年)ごろ、楠公ゆかりの品を見せる展示施設として宝庫が建てられ、建設費は氏子から一般まで広く募られた。南木神社の社殿は昭和9年(1934年)の室戸台風で倒れた老松に押しつぶされたが、摂社としては破格の官幣社建築に準じた設計で再建され、昭和15年(1940年)に竣工した。
建水分神社の重要文化財と登録有形文化財
重要文化財の本殿は3棟からなる。中央の中殿が一間社春日造、左右の左殿・右殿が二間社流造で、3棟を渡廊がつなぎ、屋根はいずれも檜皮葺である。文化庁は建築年代を室町時代中期とし、神社は建武元年に正成が造営した本殿と伝える。本殿は明治33年(1900年)4月7日に指定を受けた古い指定物件で、神社によれば大阪府の神社建築として初めて特別保護建造物になり、昭和25年(1950年)の文化財保護法の施行で重要文化財となった。
登録有形文化財の4件は、令和3年(2021年)2月4日に第97回登録でそろって登録された。登録番号は南木神社本殿が27-0814、拝殿及び幣殿が27-0815、築地塀が27-0816、宝庫が27-0817と続く。文化庁のデータベースによる建築年は、南木神社の本殿と築地塀が昭和13年(1938年)、拝殿及び幣殿が昭和15年(1940年)、宝庫が大正9年(1920年)ごろである。
文化庁の答申は、神域を囲む築地塀と境内下段に建つ宝庫がともに社叢の景観をつくっていると評価した。南木神社の本殿と拝殿及び幣殿は「造形の規範となっているもの」、築地塀と宝庫は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録されている。
建水分神社の境内を歩く順序
境内は斜面に段を重ねてつくられ、文化庁の解説も下段・中段という言葉で建物の位置を示している。参拝者は北側から境内に入る。入口近くの下段には社務所があり、その向かいの野面積の石垣の上に、参道へ正面を向けて宝庫が建つ。
坂道を上った中段の南側が南木神社の一画である。北を向いた拝殿の奥に幣殿と本殿が続き、本殿の両脇と背後を築地塀が囲う。南木神社の近くには手水舎があり、そこから石段を上がると建水分神社の拝殿に出る。重要文化財の3棟の本殿はさらにその上にある。
大鳥居は元禄3年(1690年)の石造で、神社によれば高さ7.1メートル、笠木の長さ10.6メートルあり、近代以前の石造鳥居として全国有数の規模という。万延元年(1860年)の狛犬もあわせて見ておきたい。各建物の見どころと見え方は、それぞれのページで紹介している。
建水分神社の参拝と行き方
建水分神社の境内は参拝自由で、拝観料はかからない。大阪観光局の案内では、社務所の受付は午前8時30分から午後5時まで、休日はない。通常の参拝は本社の拝殿までで、重要文化財の本殿の前までは入れない。
公共交通では、近鉄長野線の富田林駅から金剛ふるさとバス白木線に乗り、約25分の「水分」で降りると歩いて1分ほど。便数は1日に数本と少ないので、帰りの時刻を先に確かめておきたい。富田林駅からタクシーなら約15分。神社は、地元の人や運転手に尋ねるときは通称の「水分(すいぶん)神社」と言うほうが通じやすいと案内している。
参拝者用の無料駐車場は普通車25台分で、境内北側から入ってすぐの社務所前、坂を上がった南木神社と手水舎の間などに分かれている。神社の案内住所は千早赤阪村水分357で、文化庁の登録所在地(大字水分1060)とは地番が異なる。
行事の日はにぎわう。4月25日の春祭は正成の誕生日と伝わる日に営まれ、地元では「くすのきさん」と呼ばれる。秋祭は毎年10月の第3土曜日で、神輿が約1キロ下の御旅所へ渡り、20台近い地車が集まる。問い合わせは建水分神社(電話0721-72-0534)。
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):建水分神社本殿(中殿)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2232
- 国指定文化財等データベース(文化庁):建水分神社摂社南木神社本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013610
- 国指定文化財等データベース(文化庁):建水分神社摂社南木神社拝殿及び幣殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013611
- 国指定文化財等データベース(文化庁):建水分神社摂社南木神社築地塀
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013612
- 国指定文化財等データベース(文化庁):建水分神社宝庫
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013613
- 文化遺産オンライン:建水分神社本殿(中殿)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/201159
- 文化庁:文化審議会の答申(登録有形文化財(建造物)の登録)令和2年7月17日(PDF)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/93206101_02.pdf
- 千早赤阪村:建水分神社(本殿は重要文化財)
- https://www.vill.chihayaakasaka.osaka.jp/kakuka/kyoiku/syakaikyoiku/bunnkazai/9114.html
- 千早赤阪村:【国登録有形文化財】南木神社
- https://www.vill.chihayaakasaka.osaka.jp/kakuka/kyoiku/syakaikyoiku/bunnkazai/9098.html
- 千早赤阪村:【国登録有形文化財】建水分神社旧宝庫
- https://www.vill.chihayaakasaka.osaka.jp/kakuka/kyoiku/syakaikyoiku/bunnkazai/9137.html
- 建水分神社 公式サイト:御由緒
- https://takemikumari.com/history/
- 建水分神社 公式サイト:境内案内
- https://takemikumari.com/visit/
- 建水分神社 公式サイト:御祭礼
- https://takemikumari.com/festival/
- 建水分神社 公式サイト:アクセス・お問い合わせ
- https://takemikumari.com/contact/
- 金剛ふるさとバス(富田林市ほか地域公共交通活性化協議会)
- https://www.city.tondabayashi.lg.jp/site/furusato-bus/
- 大阪観光局 OSAKA-INFO:建水分神社
- https://osaka-info.jp/spot/takemikumarijinja/
最終更新日: 2026.10.04
基本情報
| 名称 | 建水分神社 |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分1060 |
| 所有者 | 宗教法人建水分神社 |
| 指定 | 重要文化財 1件・登録有形文化財 4件 |
| 座標 | 34.46018, 135.63159 |