寺田家住宅外蔵とは
寺田家住宅外蔵は、大阪府貝塚市新町にある蔵で、平成23年(2011年)7月25日に登録有形文化財となった。桁行6.0メートル、梁間4.0メートル、土蔵造2階建、切妻造本瓦葺、建築面積は24平方メートルである。
内蔵の東側に、主屋の方を向いて建つ。主屋とつながる内蔵に対し、寺田家住宅外蔵は庭を隔てて独立して建つ蔵で、西面を出入口として庇を付ける。日常の出し入れが少ない品を納める役割を担ってきたとみられる。
建築年代には二つの数字がある。文化庁の国指定文化財等データベースは他の6棟と同じ昭和11年(1936年)とするが、貝塚市は寺田家住宅外蔵を移築された建造物とし、入口の庇を支える部分の彫刻から、当初の建築年代を幕末から明治と考えている。つまり昭和11年は、この屋敷に移されて現在の姿になった年と理解するのが自然である。
寺田家住宅外蔵が登録された理由
寺田家住宅外蔵の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁の解説は、伝統的な土蔵造になる蔵であると端的に述べる。
屋敷の7棟のうち、主屋と新宅は和洋の複合や新しい構造で評価された。寺田家住宅外蔵はその対極にあり、古くからの蔵の作法をそのまま伝える建物として位置づけられている。洗出しモルタル仕上げの基礎、高く張った腰の竪板、漆喰で塗り込めた軒蛇腹という各部の納め方がその根拠になる。
登録番号は27-0545。移築されてきた建物が新築の建物群と一緒に登録されているのは、屋敷が一度にそろえられたのではなく、手に入るものを組み合わせて構えられたことの証拠でもある。
寺田家住宅外蔵の見どころ
入口の庇を支える部分の彫刻が、この建物のいちばんの手がかりである。貝塚市はこの彫刻の作風から、寺田家住宅外蔵の当初の建築年代を幕末から明治と推定している。移築された建物の年代を、部材の意匠から読む例といえる。
基礎の仕上げにも目を向けたい。洗出しは、モルタルが固まりきる前に表面を洗って骨材の石を露出させる技法で、洗い出しと呼ばれる。昭和初期に好まれた仕上げで、幕末から明治にさかのぼる上屋と、昭和の基礎が一棟のなかで重なっている。
壁の構成も見どころである。腰を竪板で高く覆い、その上を漆喰で塗り、軒蛇腹まで塗り込める。竪板は雨の跳ね返りから土壁を守るための工夫で、寺田家住宅外蔵ではその高さが通常より高くとられている。
寺田家住宅外蔵の見学方法
寺田家住宅外蔵は個人の所有で、内部は公開されていない。屋敷の東寄り、内蔵のさらに奥に建つため、通りから姿を見ることはできない。
屋敷の外から確認できるのは、樹木と主屋の屋根の間にのぞく本瓦葺の屋根だけである。府道204号堺阪南線の歩道からでは、内蔵の屋根と重なって判別しにくい。寺田家住宅外蔵の特徴である基礎や竪板の壁は、外部からは観察できない。
撮影は公道からに限られる。屋敷全体への行き方や見学の条件は、寺田家住宅(貝塚市)のページにまとめている。
よくある質問
- 寺田家住宅外蔵はいつ建てられましたか。
- 文化庁のデータベースは昭和11年(1936年)とします。貝塚市は移築された建物とし、当初の建築年代を幕末から明治と考えています。
- 寺田家住宅外蔵はどのような構造ですか。
- 桁行6.0メートル、梁間4.0メートルの土蔵造2階建で、切妻造本瓦葺です。建築面積は24平方メートル、西面が出入口です。
- 寺田家住宅外蔵の年代はどうやって推定されたのですか。
- 入口の庇を支える部分の彫刻が手がかりです。その作風から、当初の建築は幕末から明治と考えられています。
- 寺田家住宅外蔵はなぜ登録有形文化財になったのですか。
- 伝統的な土蔵造の蔵として、国土の歴史的景観に寄与しているものという基準で平成23年(2011年)に登録されました。
- 寺田家住宅外蔵は外から見えますか。
- ほとんど見えません。屋敷の奥に建つため、通りからは樹木と主屋の屋根の間に瓦屋根の一部がのぞく程度です。
基本データ
| 名称 | 寺田家住宅外蔵 |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府貝塚市新町213他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 平成23年(2011年)7月25日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 桁行6.0メートル、梁間4.0メートル、建築面積24平方メートル |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 非公開(外観のみ) |
参考文献
最終更新日: 2026.09.23