医師にして弓道家、髙木棐が自邸に建てた射場

本多流洗心洞(髙木道場)弓道場は、埼玉県久喜市下清久にある木造平屋建の弓道場で、昭和7年(1932年)頃の建築、令和5年(2023年)2月27日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

建築面積49平方メートル。切妻造、金属板葺。中心を占めるのは板敷の射場で、天井を高く取る。弓を頭上へ打ち起こし、矢を南へ放つという一連の動作が、そのまま断面寸法の要求になっている。住宅の座敷では成立しない高さである。

射場のまわりには下屋が巡る。西に床構えを備えた畳敷の上座、東に弓置場、北に畳敷の控え。玄関は北東の隅に切妻造で開く。上座から射を見るという視線の配置が先にあり、その周囲に必要な部屋が付いた。道場でありながら座敷の格式を備えているのは、この上座の存在が大きい。

建てたのは髙木棐(たかぎ・たすく)。清久村大字下清久、現在の久喜市下清久の生まれである。医師を業とし、東京大学弓術部の師範を務め、のちに郷里の清久村長となった。道場は公共の施設ではなく自邸の敷地内に建てられており、以後一貫して個人の所有にある。

年代については資料に幅がある。久喜市は道場の開設を昭和8年(1933年)とし、文化庁の国指定文化財等データベースは年代を「昭和7年頃/平成23年改修」、西暦を1932年と記す。建築の完了と道場としての開場を分けて読めば整合するが、他の記述に当たる際は留意しておきたい。

洗心洞という号の付け方は、施設名というより文人の書斎名の系譜に属する。洗心に、隠棲の場を指す洞を添えた組み合わせで、弓を引く場所を私的な修養の場として位置づける意識がうかがえる。

本多流は、日本の弓の流派としては新しい。祖の本多利實(1836年-1917年)は徳川幕府の旗本の家に生まれ、三十歳で日置流尾州竹林派の印可を受けた。幕府に歩兵制度が置かれ、弓が正式な武器から外れると修業を離れ、明治十年代の矢場復興期を挟んで、明治二十年代に再び弓に戻っている。従来の斜面打起を正面打起に改め、大三を経て引き分ける射法を立てたのがこの再開後の仕事である。東京帝国大学、第一高等学校、東京美術学校などで師範を務め、門人は東北から九州、さらに海外にまで散った。ただし利實自身は本多流を名乗っていない。大正6年(1917年)の没後、嫡孫の利時が生弓会を起こした段階ではじめて流名が定まった。

髙木棐は利實最後の愛弟子と伝わる。利實没後は代々の宗家を補佐し、日本弓道連盟(現・全日本弓道連盟)副会長、日本学生弓道連盟会長などの要職に就いた。戦後の混乱期に流派の枠を越えて弓道界の再建に関わった人物であり、洗心洞には全国から門人が集まった。埼玉県立久喜高等学校や春日部高等学校の生徒が定期的に通ったという記録もあり、地域の弓道の拠点として機能していたことがわかる。

登録有形文化財という枠組み ― 造形の規範という基準

指定と登録は、名称が似ているだけで制度が異なる。国宝・重要文化財は「指定」による保護で、対象は限られ、修理や現状変更に強い制約がかかる。一方の登録有形文化財は平成8年(1996年)に導入された「登録」の制度で、原則として建設後50年を経た建造物を対象とし、所有者が住み続け、改修しながら活用することを前提に設計されている。所有者の変更や外観の大きな変更に際して届出を求める代わりに、修理費用の一部補助や文化庁からの技術的助言が受けられる。髙木道場の二棟は登録であって指定ではなく、重要文化財と記すのは誤りになる。

弓道場の登録番号は11-0219、第104回の登録である。令和4年(2022年)11月18日の文化審議会答申を受け、令和5年2月27日付け文部科学省告示第6号で正式に登録された。登録基準は三つあり、そのいずれかに該当すればよい。本件に適用されたのは二つめの「造形の規範となっているもの」である。

評価の柱は二本ある。ひとつは類型としての典型性で、文化庁の解説文は本建物を木造の近代弓道場の典型と位置づけている。近代の弓道場そのものは学校や神社、県の武道施設に少なからず残るが、個人が自らの敷地に建て、射場・上座・弓置場・控え・玄関という一連の構成を当初のまま保っている例は多くない。

もうひとつは用途の継続である。この道場は現役で、今も弓を引く場として使われている。近代和風建築の形をほぼ保ったまま、同じ目的で使い続けられている点が審議会で評価された。建物が残ることと機能が残ることは別の話で、両方が揃う例は思うより少ない。

地域から見た意味も小さくない。弓道場と、射場の南に立つ的場の二棟は、久喜市内で最初の国の登録有形文化財(建造物)となった。市内には県指定・市指定の文化財が数多くあるが、国のリストに載った建造物はこれが最初である。

矢羽根の窓桟と、弓なりに曲げた竿縁

解説文が名指しする意匠は二つある。どちらも外からは見えない。

ひとつは控えの窓桟。北側の畳敷の控えで、窓を割る桟が矢羽根の形に仕上げられている。矢羽根文様は着物の柄として長く定着してきたが、それを建具の桟という構造材に持ち込み、しかも実際に射手が順番を待つ部屋に置いた点が違う。図案が図案のままで終わっていない。

もうひとつは上座の床の間、その天井の竿縁である。竿縁は天井板を受ける細い部材で、通常はまっすぐであることに技術上の意味がある。ここではそれを弓なりに曲げてある。曲率を揃えて曲げ、なおかつ上の天井板を狂わせずに納めるのは面倒な仕事で、機能的な見返りは何もない。承知のうえで手間をかけている。

この二つを除けば、建物は簡素である。板壁、金属板葺の切妻屋根、小ぶりな切妻造の玄関。道から見れば農家の敷地に建つ質のよい附属屋にしか見えない。造作の意図は内部に集中しており、二つの意匠はそれを読み取るための手がかりになっている。

弓道場は単独では完結しない。射場の南、矢道を挟んだ先に的場が立つ。同日に登録番号11-0220で登録された建物で、二棟は一体の構成として審査された。距離も任意ではない。射手の手先から十五間、27.27メートル。射位から測れば十五間半にあたり、全日本弓道連盟が近的競技の射距離として定める28メートルと実質的に一致する。武徳会の時代に全国統一された寸法をそのまま採っている。

公開について先に書いておくと、この弓道場は非公開である。個人の住宅敷地内にあり、現役の道場として使われている。拝観日も拝観料も設定されておらず、内部の見学や撮影の受け入れもない。周辺は幅の狭い生活道路で、車を停めて眺めるような場所でもない。登録有形文化財の制度は所有者に公開を義務づけていないため、これは制度どおりの状態である。

久喜市は文化財のページに弓道場の正面と射場、的場の正面と安土の写真を掲載しており、内部の様子を確認するにはこれが現実的な方法になる。下清久はJR宇都宮線と東武伊勢崎線が交わる久喜駅の北西およそ2.5キロに位置する。市内で実際に訪ねられる文化財としては、鷲宮地区の久喜市立郷土資料館と、国指定重要無形民俗文化財の鷲宮催馬楽神楽を伝える鷲宮神社が挙げられる。

Q&A

Q本多流洗心洞(髙木道場)弓道場は見学できますか。拝観時間や拝観料はありますか。
A見学はできません。個人の住宅敷地内にあり、現在も弓道場として使われているため非公開です。拝観時間・拝観料の設定はなく、内部見学や撮影の受け入れもありません。登録有形文化財の制度は所有者に公開を義務づけていないため、非公開であること自体は制度上の想定内です。外観・内部の写真は久喜市の文化財ページで公開されています。
Q本多流洗心洞(髙木道場)弓道場はいつ建てられ、いつ登録されたのですか。
A文化庁の国指定文化財等データベースは年代を昭和7年(1932年)頃、改修を平成23年(2011年)と記します。久喜市は道場の開設を昭和8年(1933年)としており、資料により年に幅があります。登録は令和4年(2022年)11月18日の文化審議会答申を経て、令和5年(2023年)2月27日付け。登録番号は11-0219、第104回の登録です。
Q本多流洗心洞(髙木道場)弓道場は重要文化財や国宝とどう違うのですか。
A制度が異なります。国宝・重要文化財は「指定」による保護で、修理や現状変更への制約が強く、対象も限られます。本件は平成8年(1996年)に始まった「登録」の制度による登録有形文化財(建造物)で、原則として建設後50年を経た建物を対象とし、活用しながら守ることを前提にしています。所有者の変更や外観の大きな変更には届出が必要ですが、修理費用の一部補助や技術的助言を受けられます。
Q本多流洗心洞(髙木道場)弓道場のどこが建築的に評価されたのですか。
A登録基準は「造形の規範となっているもの」です。文化庁の解説文は、天井の高い板敷の射場を中心に、下屋で西に床構え付畳敷の上座、東に弓置場、北に畳敷の控えを配し、北東に切妻造玄関を設ける構成を挙げ、木造の近代弓道場の典型と位置づけています。意匠面では控えの窓桟を矢羽根形とすること、床の間の天井の竿縁を弓なりに曲げることが名指しされています。
Q本多流洗心洞(髙木道場)弓道場を建てた髙木棐とはどのような人物ですか。
A清久村大字下清久、現在の久喜市下清久の生まれで、医師を業とし、東京大学弓術部の師範、のちに清久村長を務めた人物です。本多流の祖・本多利實の最後の愛弟子と伝わり、利實没後は代々の宗家を補佐しました。日本弓道連盟(現・全日本弓道連盟)副会長、日本学生弓道連盟会長などを歴任しています。道場は自邸の敷地内に建てられました。
Q本多流洗心洞(髙木道場)弓道場の最寄り駅と、久喜市内で見学できる文化財を教えてください。
A所在地の下清久は、JR宇都宮線と東武伊勢崎線が交わる久喜駅の北西およそ2.5キロにあります。道場自体は非公開のため、市内で実際に訪ねられる場所としては、鷲宮地区の久喜市立郷土資料館と、国指定重要無形民俗文化財の鷲宮催馬楽神楽を伝える鷲宮神社が挙げられます。開館時間などは久喜市の公式サイトで確認してください。

基本情報

名称本多流洗心洞(髙木道場)弓道場(ほんだりゅうせんしんどう(たかぎどうじょう)きゅうどうじょう)
所在地埼玉県久喜市下清久字鶴ノ谷395-11
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 11-0219/登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年令和5年(2023年)2月27日登録(第104回)。令和4年11月18日文化審議会答申
員数1棟
寸法木造平屋建、金属板葺、建築面積49平方メートル
所有者個人
公開状況非公開。個人の住宅敷地内にあり現役の弓道場として使用中。拝観時間・拝観料の設定および撮影受入れなし

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 本多流洗心洞(髙木道場)弓道場
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014453
文化遺産オンライン — 本多流洗心洞(髙木道場)弓道場
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/524527
久喜市 — 国の登録有形文化財(建造物)
https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/bunkazai/1006059.html
久喜市 — 広報連載「久喜歴史だより」第136回 多くの弓道家が訪れた「本多流洗心洞(高木道場)」
https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/rekishi_dayori/1006178.html
久喜市 — 登録有形文化財建造物制度
https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/1006389.html
一般財団法人本多流生弓会 — 沿革
https://hondaryu.net/members/enkaku
公益財団法人全日本弓道連盟 — 弓道の歴史
https://www.kyudo.jp/howto/history.html
文化庁 — 登録有形文化財(建造物)登録基準
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei_kijun.html

最終更新日: 2026.08.10