鷲宮催馬楽神楽 ― 享保の世に整えられた舞をいまに伝える
埼玉県久喜市の鷲宮神社では、年に六度、神楽殿に笛と太鼓の音が満ち、面をつけた舞人が古式の所作をたどる。これが鷲宮催馬楽神楽である。正式には土師一流催馬楽神楽といい、昭和五十一年(一九七六年)五月四日に国の重要無形民俗文化財に指定された。
神楽は、神を迎える座を設けて奉納される芸能を指す。全国には四千を超える神楽が伝わるとされるが、国の指定を受けた神楽はそのうちのごく一部にとどまる。鷲宮の神楽はその数少ない一つであり、関東一円に広まった神楽の源流の一つに位置づけられている。
この神楽の性格を決めているのは、変わらなかったという事実である。多くの神楽は時代を経るなかで演劇的な要素を強めていったが、鷲宮催馬楽神楽は舞を中心とする古い形式を保ち続けた。台詞や劇的な筋立てではなく、所作と音、そして歌が芸の核を担っている。
指定の理由と、その価値
重要無形民俗文化財という区分が設けられたのち、鷲宮催馬楽神楽は最初の指定の中に名を連ねた。日付は昭和五十一年五月四日である。国指定を受けた民俗芸能としての神楽のなかでも、早い時期の一件にあたる。
評価の根拠はいくつかの筋からなる。一つの神社のうちで受け継がれてきた一社相伝の伝承であること。各地で演劇化が進むなかで、舞を主体とする古い形をとどめていること。そして、江戸の里神楽の源流の一つと考えられていること。これらが重なって、国指定という評価につながった。
神社と神楽の結びつきは鎌倉時代までさかのぼる。鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』には、建長三年(一二五一年)四月に鷲宮神社で神楽が行われたという記述がある。ただし、その神楽が現在の催馬楽神楽と同じ形であったかどうかは確かめられていない。
今日の形が整えられたのは、のちのことである。戦国の世には、武将を兼ねた神主が軍務に追われ、神楽は衰えた。徳川の治世になって世が落ち着くと、大宮司の大内國久が廃れた神楽の再興にあたり、享保十一年(一七二六年)までに十二座へと再編した。これが現在も舞われている催馬楽神楽である。再編の前には三十六座があったと伝えられる。
伝承の糸は、それほど遠くない時代に切れかけた。江戸から明治にかけては世襲の神楽役が舞を守ってきたが、昭和二十年代には舞い手が減り、最後には白石国蔵ただ一人となった。昭和三十年、神楽の笛の音がラジオで全国に流れたことが転機となる。これを機に町の若者が集い、白石の指導のもとで神楽復興会が結ばれた。その流れを継ぐのが、現在の鷲宮催馬楽神楽保存会である。
評価はさらに広がろうとしている。令和七年(二〇二五年)十一月、日本政府はユネスコ無形文化遺産の代表一覧表への提案案件として「神楽」を選定した。この提案は国の指定を受けた四十件の神楽を一括したもので、鷲宮催馬楽神楽もその中に含まれている。登録の可否は令和十年ごろに審議される見通しである。
舞を見るために
十二座の舞は、いずれも四つの段で構成される。出の舞、神楽歌、舞掛、そして引込みの舞である。この流れを知っておくと、初めて見る人にも舞の区切りが追いやすい。
多くの演目で、舞人は面をつけ、採物と呼ばれる小道具を手にする。この採物が、この芸能を採物神楽と呼ばせている。榊の枝、剣、鈴。手にする物が、その舞人の役を示す。一人舞は少なく、二人以上で舞う連舞が多い。舞人は神楽殿の中心をはさんで左右対称の位置をとることが多く、その均衡の美しさが、この神楽の見どころとして挙げられる。四方固めをはじめ、所作のなかには古い祭祀の意味を帯びた動きが残る。
囃子は簡素である。大太鼓、小太鼓、笛、そして大拍子。その音にのって、舞人が神楽歌や催馬楽を詠唱する。催馬楽は、千年余り前の平安時代の宮廷で流行した歌謡である。地方から朝廷へ年貢を運ぶ馬子が歌ったことに名の由来を求める説もある。由来はともかく、その歌がこの神楽のなかに生き続けていることで、訪れる人は古い時代の旋律に触れることになる。
演目の多くは『古事記』『日本書紀』に題材を求め、国の成り立ちや神々の物語を舞にうつす。正式な演目の合間には、巫女による一人舞「端神楽」が舞われる。十二座のほかにも番外の演目があり、そのなかには「天狐」と呼ばれるものがある。
訪れる前に、知っておきたい点が一つある。演目は事前に決まっていない。その日に何が舞われるかは、当日にならないとわからない。十二座のすべてが一日のうちに舞われる可能性が高いのは、四月十日の春季祭と十月十日の秋季祭である。
鷲宮神社とその周辺
神楽は、その場所と切り離せない。鷲宮神社は「関東最古の大社」を称し、お酉様の本社としても知られる。『吾妻鏡』にもたびたび登場し、中世の関東の武士たちの崇敬を集めた。社名の古い読み「土師の宮(はじのみや)」は、創建にかかわったと伝わる土師氏に由来するとされ、神楽の正式名「土師一流」もその記憶をとどめている。
舞が行われるのは、境内の神楽殿である。祭礼の日には参道に屋台が並び、和やかな雰囲気のなかで舞は進む。見学は無料で、訪れる人は自由に出入りできる。
神社へは、東武伊勢崎線の鷲宮駅から歩いて約十分。車であれば東北自動車道の久喜インターチェンジまたは加須インターチェンジから十五分ほどで、境内に駐車場がある。神楽の背景をさらに知りたい人には、神楽ライブラリーと常設展示を備えた久喜市立郷土資料館がある。
催馬楽神楽は、年にもう一度、四月十五日に久喜市八甫の鷲宮神社でも舞われる。なお鷲宮神社は、ある人気アニメの舞台として知られ、その聖地巡礼の地ともなった。数百年を経た舞と現代の賑わいが同じ境内に同居していることも、この土地の一面である。
Q&A
- 鷲宮催馬楽神楽はいつ見られますか。
- 年に六度、一月一日、二月十四日、四月十日、七月三十一日、十月十日、そして十二月の最初の酉の日に行われます。多くは午前十一時頃に始まり、午後三時頃に終わります。一月一日は午前零時頃からも舞われます。このほか四月十五日には、久喜市八甫の鷲宮神社でも行われます。
- 見学に料金はかかりますか。
- かかりません。神楽殿での奉演は無料で公開されており、自由に観覧できます。
- どの演目が舞われるかは、事前にわかりますか。
- 事前にはわかりません。演目は当日に決まります。より多くの舞を見たい場合は、十二座すべてが舞われる可能性の高い四月十日の春季祭と十月十日の秋季祭が向いています。
- ほかの神楽とどこが違うのですか。
- 舞を主体とし、多くの神楽が後に取り入れた演劇的な要素をほとんど持たない点が特徴です。面をつけ採物を手にした舞人が、笛と太鼓に合わせて左右対称に舞います。歌には平安時代の宮廷歌謡である催馬楽が含まれます。分類のうえでは出雲流神楽に属します。
- アクセスを教えてください。
- 鷲宮神社は東武伊勢崎線の鷲宮駅から徒歩約十分です。車では東北自動車道の久喜インターチェンジまたは加須インターチェンジから約十五分で、境内に駐車場があります。
基本データ
| 名称 | 鷲宮催馬楽神楽(正式名称:土師一流催馬楽神楽) |
|---|---|
| 所在地 | 埼玉県久喜市鷲宮一丁目六番一号 鷲宮神社神楽殿 |
| 指定区分 | 重要無形民俗文化財(民俗芸能・神楽) |
| 指定年月日 | 昭和五十一年(一九七六年)五月四日 |
| 保護団体 | 催馬楽神楽保存会 |
| 奏演日 | 年六回(一月一日、二月十四日、四月十日、七月三十一日、十月十日、十二月初酉日)。ほかに四月十五日、八甫の鷲宮神社 |
| 演目 | 基本となる十二座のほか、番外の演目 |
| 観覧 | 無料 |
| 交通 | 東武伊勢崎線「鷲宮駅」より徒歩約十分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/37
- 文化遺産オンライン 鷲宮催馬楽神楽
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/188802
- 久喜市ホームページ 鷲宮催馬楽神楽
- https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/bunkazai/1002314/1007107/1002889.html
- 久喜市ホームページ 催馬楽神楽の歴史と特徴
- https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/bunkazai/1002314/1007107/1006154.html
- 文化デジタルライブラリー(日本芸術文化振興会)
- https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc27/genre/kagura/torimonokagura/arts06.html
- 文化庁 令和七年度におけるユネスコ無形文化遺産への提案を決定
- https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/94297901.html
最終更新日: 2026.05.25