永瀬孝男家住宅とは

永瀬孝男家住宅は、埼玉県川口市本町一丁目にある鋳物業者の屋敷で、明治33年(1900年)頃から大正後期にかけて建てられた7棟が平成31年(2019年)3月29日に登録有形文化財となった。和館と洋館が並び建ち、その西と北に土蔵と納屋、敷地の東南隅に旧発電所と煉瓦蔵が置かれ、東面と北面を煉瓦塀が囲む。通称は旧永瀬邸。所有は個人で、住宅としての使用が続いている。

川口の鋳物は室町時代末期には行われていたとされ、江戸時代に鋳物師が集まって一大産地となった。荒川と芝川が鋳型に向く砂と粘土を供給し、江戸という大消費地が目と鼻の先にあったことが産地の条件をつくった。永瀬孝男家住宅はその中心部に残る屋敷である。

7棟の建築年代は明治33年(1900年)頃から大正後期まで、およそ四半世紀にわたる。一度に整えられた屋敷ではない。鋳物業の拡大に合わせて棟が建て足されていった敷地であり、建てられた順に並べると、そのまま一家の事業の年表になる。

薬研屋と呼ばれた家

永瀬家が鋳物業を始めたのは享和元年(1801年)と伝えられる。川口では永瀬姓を名乗る鋳物師が多かったため、家ごとに屋号で呼び分ける習慣があった。この家は漢方の薬種をひく道具である薬研を手がけたことから「薬研屋」と呼ばれた。

屋敷の姿を決めたのは3代目の永瀬庄吉(1857年生、1945年没)である。所有者が公開する沿革によれば、庄吉は16歳で東京・芝区赤羽橋の工部省赤羽工作分局に入り、イギリス人技術者から西洋式生型法と蒸気機関による送風の技術を学んだ。約3年後には自作の蒸気機関を自社で動かし、人力の踏みたたらに頼っていた送風を機械に置き換えている。同じ蒸気機関と送風機は川口の同業者にも売られた。

技術は製品を変えた。生活用の鍋釜から、水道用の鋳鉄管へ。所有者の沿革は東京市向けの水道用大口径異形管について、初めての鋳造を明治20年(1887年)、受注を明治25年(1892年)と両方の年を挙げている。明治42年(1909年)には赤坂離宮の表門と鉄柵、水道用のバルブなどを納めた。

そして明治33年(1900年)、庄吉は自邸の敷地内に自作の蒸気機関を応用した火力発電所を設け、埼玉県で最初の電灯事業を始める。川口町の街路に約400灯をともしたという。庄吉は川口町の町会議員を長く務め、のちに町長にもなった。

長男の永瀬寅吉(1890年生、1965年没)は家業を継ぎ、川口鋳物工業組合の理事、川口商工会議所の会頭を経て、昭和10年(1935年)に第3代川口市長となった。敷地中央の洋館は、政財界で活動したこの寅吉のための迎賓施設として大正11年(1922年)頃に建てられている。所有者の沿革は設計者を建築士の由井千陽とし、アメリカの建築雑誌に載った住宅コンペ案を参考にしたと記す。

敷地の構成と見る順序

永瀬孝男家住宅の敷地は東面が道路に接する。門は東面の南寄りに開き、そこから東面と北面を延長75メートルの煉瓦塀が走る。屋敷を外から眺めるとき、最初に目に入るのはこの塀である。

門をくぐった正面、敷地の中央に南を向いて建つのが洋館で、その東に接続して和館、西に接続して土蔵が並ぶ。和洋の座敷と家財蔵が一列に連なる構成は、明治から大正にかけての格式ある屋敷の型をよく残している。

洋館の北側には納屋が南を向いて建つ。敷地の東南隅には旧発電所、その西に煉瓦蔵。この2棟だけが煉瓦を積んだ躯体で、鋳物と発電という家業の側の建物にあたる。

  • 洋館(大正11年頃/登録番号 11-178)
  • 和館(明治38年頃、昭和前期改修/登録番号 11-179)
  • 土蔵(明治38年/登録番号 11-180)
  • 納屋(大正後期/登録番号 11-181)
  • 旧発電所(明治33年頃、昭和14年頃改修/登録番号 11-182)
  • 煉瓦蔵(明治44年頃/登録番号 11-183)
  • 表門及び煉瓦塀(大正前期/登録番号 11-184)

登録の基準は棟によって分かれる。洋館だけが「造形の規範となっているもの」で登録され、残る6棟は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」による登録である。

見学とアクセス

永瀬孝男家住宅は個人の住宅であり、内部は非公開である。所有者が運営する紹介サイトにも、見学の受け付けや公開日の案内は掲載されていない(2026年9月13日確認)。訪れる場合に見られるのは、敷地外の公道から眺める外観に限られる。

公道から確かめやすいのは東面である。表門と煉瓦塀が道路に面しており、塀の上端に載る桟瓦葺の屋根と、二段に張り出した蛇腹の線をここから追える。洋館の急勾配の屋根と煉瓦造の煙出しは、塀越しに頭だけが見える。

撮影について、公道からの外観撮影を禁じる掲示は確認できなかった。ただし生活が営まれている住宅なので、門の内側や窓に向けてレンズを構えるのは控えたい。塀の前に長く立ち止まらず、道路の反対側から全体を見るほうが姿もよく分かる。

行き方は駅から歩ける。JR京浜東北線の川口駅から東へ約800メートル、徒歩10分ほど。埼玉高速鉄道の川口元郷駅からは約600メートル、徒歩8分ほどである。見学者用の駐車場はない。

住所の表記は資料によって異なる。文化庁の国指定文化財等データベースは所在地を本町一丁目21-1とし、川口市の指定文化財一覧は住居表示で本町1-5-12とする。地図で探すなら後者が確実である。

参考文献

国指定文化財等データベース 永瀬孝男家住宅洋館(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012692
国指定文化財等データベース 永瀬孝男家住宅和館(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012693
国指定文化財等データベース 永瀬孝男家住宅旧発電所(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012696
国指定文化財等データベース 永瀬孝男家住宅表門及び煉瓦塀(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012698
川口の文化財(川口市教育委員会文化財課)
https://www.city.kawaguchi.lg.jp/soshiki/04010/040/2346.html
川口市 指定文化財一覧(令和8年7月9日現在)
https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/185/R80709cul.pdf
永瀬邸について(登録有形文化財 旧永瀬邸)
https://www.nagasetei.jp/about/
川口鋳物と永瀬家(登録有形文化財 旧永瀬邸)
https://www.nagasetei.jp/kawaguchi/
永瀬家とその時代の出来事(登録有形文化財 旧永瀬邸)
https://www.nagasetei.jp/timeline/

最終更新日: 2026.09.12

基本情報

名称永瀬孝男家住宅
所在地埼玉県川口市本町一丁目21-1
所有者個人
指定登録有形文化財 7件
座標35.79779, 139.72454