深田家住宅土蔵

東近江市能登川町の深田家に建つ三棟の登録建造物のうち、土蔵がもっとも古い。年代は大正8年頃、西暦では1919年頃とされ、同じ敷地の主屋や離れよりおよそ10年さかのぼる。土蔵は主屋の西側に接して建ち、妻面を旧街道に向ける。そのため街道からは、長い側面ではなく建物の妻側と向き合うことになる。

土蔵は日本の家にとって、いわば金庫にあたる建物だった。厚い防火壁で囲い、米や道具、季節の品、家財を収めた。商家にあって蔵は付け足しではなく屋敷の顔の一部であり、ここでも主屋と肩を並べて街道に面する置き方に、屋敷全体を意図して構えた姿勢が表れている。

登録の理由

土蔵は平成10年(1998年)7月23日、登録番号25-0038で登録有形文化財(建造物)となった。登録基準は「造形の規範となっているもの」。国のデータベースはこの蔵を、屋敷構えをつくるうえで欠くことのできないものと記す。この一句が価値の要である。単独の傑作としてではなく、まとまりのある一群に不可欠な要素として評価されたのだ。

建物は土蔵造2階建、瓦葺という素直な蔵の形式をとる。規模は小ぶりで、正面約4.28メートル、奥行約6.30メートル。蔵前は東面の平に設けられ、これは家の日常の動線が通う側にあたる。

見どころ

外装は素材について小さな物語を語ってくれる、というより素材の選択そのものが年代を示している。壁の腰は竪羽目とし、板を縦に張って塗り壁の下部を跳ね返りや摩耗から守る。その上部は波形鉄板張りとする。近代の工業製品である波形鉄板は、ちょうどこの時期に地方へ広まった建材である。伝統的な板の腰と機械生産の金属を上下に組み合わせた姿は率直で実際的であり、銘文にも劣らず建築年代を告げている。大正の蔵が、その時代の最新の防水材に手を伸ばしたのである。

土蔵は私有地に建つため、内部に入るのではなく外から眺めることになる。街道から見れば、その妻面と隣り合う主屋とがあわさって、屋敷の街道側の輪郭を形づくる。蔵の内部や商家の蔵を間近に見たい場合は、同市の五個荘金堂の保存地区がよい。白壁の蔵が水路の走る町並みに沿って並び、いくつかは公開されている。

Q&A

Q深田家住宅土蔵はどのくらい古いのですか。
A大正8年頃(1919年頃)の建築とされ、敷地の三棟のなかで最も早い建物です。平成10年(1998年)7月に文化財登録されました。
Q土蔵とは何で、何に使われたのですか。
A土蔵は厚い防火壁をもつ蔵です。米や道具、季節の品、家財を火災や盗難から守って収めるために使われました。
Q壁は何でできていますか。
A腰の下部は縦板張りの竪羽目、上部は波形鉄板張りです。波形鉄板は大正期らしい近代の建材です。
Qなぜ土蔵が文化財に登録されたのですか。
A屋敷全体にとって欠かせない構成要素として評価されたためです。単独ではなく、屋敷構えを完成させる点に価値があります。
Q近くで蔵の内部を見られますか。
Aはい。東近江市の五個荘金堂地区には水路沿いに白壁の商家の蔵が残り、公開されている建物も複数あります。

基本情報

名称深田家住宅土蔵(ふかだけじゅうたくどぞう)
所在地滋賀県東近江市能登川町606
区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 25-0038
登録年月日平成10年(1998年)7月23日(告示8月4日)
建築年大正8年頃(1919年頃)
構造土蔵造2階建、瓦葺、正面約4.28メートル・奥行約6.30メートル、建築面積約27平方メートル、1棟
公開私有地のため非公開。外観は街道から見学可。最寄りはJR能登川駅

参考文献

文化庁 — 国指定文化財等データベース(深田家住宅土蔵)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000591
文化遺産オンライン — 深田家住宅土蔵
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/137861
滋賀県公式観光サイト — 五個荘金堂の町並み
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/910/

最終更新日: 2026.07.11