十畳六室、二列三行の大屋根
竹平楼広間(たけへいろうひろま)は、滋賀県愛知郡愛荘町愛知川にある明治44年(1911年)建築の木造平屋建の座敷棟で、平成12年(2000年)12月に国の登録有形文化財となった。建築面積は183平方メートルあり、中山道の旅籠を前身とする料亭・竹平楼の敷地内では最も大きい建物である。
この一棟は、家業の転換点に建っている。竹平楼は宝暦8年(1758年)に「竹の子屋」の屋号で愛知川宿に開かれた旅籠を出発点とする。愛知川宿は中山道六十九次の65番目、往時は600メートルほどの街道沿いに28軒の旅籠が並んだと伝わる宿場だった。ところが明治30年前後に鉄道が通ると、街道を歩いて泊まる客そのものが減っていく。泊める商いは細り、食べさせる商いが前に出た。
宴席を請け負う家には、宴席を置く部屋がいる。広間はその要請に応えた建物であり、その普請は敷地の配置そのものを組み替えた。明治11年に明治天皇の休息のため新築され、別に登録有形文化財となっている御在所は、この広間に場所を譲る形で曳家され、別の位置へ移されている。以後、敷地の中央を占めているのは明治44年のこの棟である。
登録が評価したもの
登録有形文化財は、平成8年(1996年)に設けられた制度で、おおむね建築後50年を経てなお使われ続けている建物を届出制で守る。広間の登録基準は「造形の規範となっているもの」、登録番号は25-0140、登録は平成12年12月4日、官報告示は同月20日。隣に立つ御在所は25-0139で、登録の日付は同じである。
ここで評価されているのは、規模に対する技量だと言い換えてよい。上質な8畳を一室つくるのと、10畳を六室、襖を外せば一続きになるように並べ、その全体を一枚の入母屋屋根で覆い、しかも仕切りを取り払ったときに間延びしないだけの寸法感を保つのとでは、要求される段取りの量が違う。愛荘町の解説は、この仕事を当時の湖東町今在家の大工棟梁・木澤助次郎によるものとする。ただし文化庁の解説も町の解説も、これを「と伝えられる」という形で記しており、請負文書などで裏づけられた事実としては扱っていない。
明治44年という年代も一考に値する。都市部では煉瓦や石を用いた西洋風の建築が次々に建ち、地方の料理屋がそれを取り入れて新しさを打ち出す道もあったはずである。竹平楼はそちらへ行かなかった。広間は構造の判断のどこを取っても純然たる和風の木造で、その保守性のおかげで、百年を超えていまも客を入れる部屋であり続けている。
広間の読みどころ
平面は格子状に整理されている。10畳の部屋が三室ずつ二列、計六室。棟は東西に走る。襖と障子を外せばおよそ60畳の床が一続きになり、膳を並べて百人ほどが座れる規模になる。閉じれば六つの個室になる。この二重の使われ方が、建物のほとんどの判断を決めている。
まず天井を見上げてほしい。六室すべてが舟底天井である。中央の平らな面を高く取り、両端を壁に向かって斜めに落とす形で、伏せた舟の底に似ることからこの名がある。軒の高さを変えずに部屋を高く感じさせる効果があり、大勢が声を交わす座敷では音の響きも和らぐ。それを六室分こしらえたとなれば、手間の量は相当なものになる。
南西側の二室には床と棚が設えられ、書院風の造りになっている。ここが席次の上座にあたる。
南北の両側には、半間幅の縁廊下が通る。その天井は板で塞がず、疎垂木と木舞裏を下から見せたままにしてある。素朴な仕上げで、これを通路に用い、部屋のほうには舟底天井を張るという対比は意図的なものだろう。廊下は素、座敷は装う。
庭の存在も建築と同じ重みをもつ。どの部屋も庭に向いており、小堀遠州の流れをくむ作庭と伝えられている。この伝承は家に受け継がれてきたもので、文献で確かめられたものではない。ただ、廊下の取り方と、畳に座ったときの低い視線の高さが、どの席からも庭が正面に来るよう仕組まれていることは、実際に座ってみればすぐわかる。
訪問に関わる実務を書いておく。竹平楼は完全予約制、全室個室での営業で、見学だけの入館はできない。入る手段は食事の予約である。献立は湖国の食材による会席で、四代目の女将が考案したという鯉のあめ煮が長く看板料理になっている。営業は昼が11時30分から、夜が17時からで、いずれも最終入店時刻がある。休みは不定期。隣の御在所も見たい場合は予約の際に伝えておくとよい。館内の撮影は必ず店に確認すること。予約は電話または予約サイト経由が確実である。店がかつて用いていたドメインは現在別の事業者のサイトになっているため、そこを窓口としないよう注意したい。
近江鉄道の愛知川駅から徒歩約15分。JR琵琶湖線の能登川駅からは路線バスで「不飲橋」下車、徒歩3分ほど。門前の旧中山道には明治11年の休息を記す石碑が立ち、車で少し走れば愛荘町立歴史文化博物館があって、愛知川宿についてさらに詳しく知ることができる。
Q&A
- 竹平楼広間には入れますか。現在はどう使われていますか。
- 広間は今も料亭の主要な客室として使われており、食事を予約することで利用できます。竹平楼は完全予約制・全室個室での営業で、見学だけの入館は受け付けていません。人数に応じて襖の開け閉めで部屋の広さを調整しています。
- 竹平楼広間の広さと収容人数はどのくらいですか。
- 建築面積は183平方メートルで、10畳の部屋が三室ずつ二列、計六室で構成されます。仕切りを外すと約60畳の一続きの座敷になり、観光案内では最大でおよそ100名の着席が可能とされています。
- 竹平楼広間は誰がいつ建てたのですか。
- 明治44年(1911年)の建築です。大工棟梁は旧湖東町今在家の木澤(木沢)助次郎と伝えられており、愛荘町および文化庁の解説はいずれもこれを伝承として記しています。文書による裏づけがあるわけではありません。
- 竹平楼広間と竹平楼御在所はどう違うのですか。
- 同じ敷地にある、別々に登録された二棟です。御在所は明治11年に明治天皇の休息のため建てられた64平方メートルの小さな座敷。広間は明治44年の183平方メートルの座敷棟で、この広間を建てたことが、御在所を曳家で移す理由になりました。
- 竹平楼広間の天井はどうなっていますか。
- 六室すべてが舟底天井で、中央を高く取り両端を斜めに落とす形です。南北の縁廊下はまったく異なる扱いで、疎垂木と木舞裏をそのまま見せる素朴な仕上げになっており、この差が座敷の格式を際立たせています。
基本情報
| 名称 | 竹平楼広間(たけへいろうひろま) |
|---|---|
| 所在地 | 滋賀県愛知郡愛荘町愛知川1608 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 25-0140/登録基準「造形の規範となっているもの」 |
| 指定年 | 平成12年(2000年)12月4日登録、同年12月20日告示 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積183平方メートル |
| 所有者 | 個人(文化庁データベースに所有者名の記載なし) |
| 公開状況 | 料亭竹平楼の客室として使用中。完全予約制で、見学のみの入館は不可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)竹平楼広間
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00002048
- 愛荘町 国登録文化財
- https://www.town.aisho.shiga.jp/soshiki/hakubutsukan/1/1/1035.html
- 滋賀県観光情報 日本料理 聖蹟 竹平楼
- https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/8395/
- 愛荘観光なび 史跡・歴史
- https://www.aisho-kanko.com/asobumiru/asobumiru_02/
- 全国観るなび 中山道(滋賀県愛荘町)
- https://www.nihon-kankou.or.jp/shiga/254258/detail/25424af2160151658
最終更新日: 2026.08.11