玉造温泉に建つ皇族専用の宿泊棟
保性館幽泉亭は、島根県松江市玉湯町玉造の玉造温泉にある昭和6年(1931年)建築の木造平屋建の宿泊棟で、平成30年(2018年)5月10日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
建物は玉湯川沿いの旅館・保性館の敷地内にあり、はじめから一般客用の棟ではなかった。手がけたのは川島徳次郎(1871〜1955)。現在の松江市東出雲町揖屋にあたる地に生まれ、明治から昭和戦前期にかけて出雲地方を代表した大工棟梁である。その仕事には、松江市宍道町の重要文化財・木幡家住宅「飛雲閣」がある。明治35年(1902年)、後の大正天皇となる皇太子の行啓に備えて建てられた棟だ。
幽泉亭は木造平屋建、瓦葺、建築面積112平方メートル。平成元年(1989年)に改修を受けている。登録上の所有者は株式会社シンリョーである。
旅館側が語る由来はもっと古くまで遡る。江戸時代、松江藩主の松平氏が玉造温泉に別荘「お茶屋」を設け、その元湯を管理する「湯の助」として当家の先祖に権利を託したのが始まりだという。保性館という名は明治30年(1897年)、大徳寺の高僧・東海老師が滞在した際に、性(やすらぎ)を保つことのできる宿という意味で名づけられたと伝わる。いずれも旅館に伝わる由緒であり、文献で裏づけられたものではない点は押さえておきたい。
登録が「造形」を評価した理由
登録は平成30年5月10日、登録番号32-190。挙げられた基準は「造形の規範となっているもの」である。登録有形文化財の基準は複数あるが、この基準は建物そのものの出来を問うもので、街並みへの寄与を評価する基準よりも要求が高い。
制度についても触れておく。登録と指定は別のものだ。重要文化財は全国的に価値の高いものを国が指定し、現状変更に強い規制がかかる。登録有形文化財はおおむね築50年以上の建造物を登録簿に載せる仕組みで、大きな改変の前に届出を求める程度にとどめる。使い続けながら残すことを前提にした枠組みで、営業中の旅館の中にある一棟が対象になり得るのはそのためである。
文化庁の解説は、この建物を重さと軽さの拮抗として要約している。構成は重厚だ。入母屋造の桟瓦葺を、その周囲に錣風の屋根が取り巻く。ところが軒は薄く、深く出る。鉄材を用いて実現されたその軒が、全体を軽やかに見せる。内部については、多彩な意匠を駆使した創意あふれる数寄屋風とし、当地域の大工の高度な技量が発揮された秀作である、と結んでいる。
足を止めて見たい細部
まず屋根から見てほしい。この建物の主張はそこで組み立てられている。燻瓦の桟瓦葺に熨斗棟を載せた入母屋造。東面には車寄のような庇が張り出し、その反りのある破風は杮葺で覆われている。この庇はもともとここにあったものではない。平成元年に、南東側に建っていた表門の唐破風庇を移してきたものである。見上げると蟇股に宝鏡と勾玉が象られている。皇族専用の宿泊棟にふさわしい意匠が選ばれている。
次に屋根を数えてみる。入母屋の屋根に2層の庇が加わり、3枚の屋根が積み重なる。小屋裏に仕込まれた鉄材があるからこそ、これだけ細い見付けで軒を深く出せる。結果として、重い土の瓦が、本来なら杮葺や檜皮葺に結びつく軽さを帯びる。登録が造形を評価したのは、この操作があるからだ。
内部に入ると、木工は抑制のきいた華やかさに転じる。床の間、違い棚、付書院といった座敷飾には多種多様な銘木が使われる。ある部屋の天井は、杉材の大面2枚を室全体に渡して張った鏡天井で、竿縁の類は見えない。天井、欄間、引戸のいずれにも凝った意匠が入る。旅館が幽泉亭特有の意匠として挙げているのは、桑材の輪切材を欄間や室内装飾に用いた点である。この扱い方は他ではあまり見かけない。
実務的な話に移る。ここは他の物件以上に重要だ。幽泉亭は保存のため、宿泊ではなく見学に供されている。昭和天皇が宿泊した幽泉亭特別室は宿泊できないが、見学は可能だと旅館は案内している。館内には川島徳次郎に関する資料、各部屋の造りの説明、当時使われた大工道具などが展示されており、登録有形文化財としては解説がかなり手厚い部類に入る。見学は旅館を通じて手配されるため、宿泊しない場合は当日訪ねるのではなく、事前に保性館へ問い合わせてほしい。
所在地は松江市玉湯町玉造1191-1。JR山陰本線の玉造温泉駅から車で5分ほど、松江の市街地からは車で20分前後を見ておくとよい。玉造温泉の旅館は駅からの送迎を行っていることが多いので、連絡の際にあわせて確認するのが確実だ。
玉造温泉そのものにも時間を割く価値がある。奈良時代の『出雲国風土記』に記述がある古湯で、文献に残る温泉としては日本でも最も古い部類に入る。地名は、この谷で古代に行われていた玉作りに由来するとされ、玉湯川を少し遡ると玉作湯神社が建つ。松江と出雲大社の中間に位置するため、双方の拠点にしやすい。
Q&A
- 保性館幽泉亭は見学できますか。宿泊はできますか?
- 見学は可能ですが、歴史的な部屋への宿泊はできません。旅館は、保存のため幽泉亭を見学に供していること、昭和天皇が宿泊した幽泉亭特別室は宿泊できないが見学はできることを案内しています。見学は保性館を通じての手配となるため、宿泊しない場合は事前に旅館へ問い合わせてから訪ねてください。
- 保性館幽泉亭を建てたのは誰ですか?
- 大工棟梁の川島徳次郎(1871〜1955)です。現在の松江市東出雲町揖屋にあたる地に生まれ、明治から昭和戦前期の出雲地方を代表する名工とされます。幽泉亭は昭和6年(1931年)の完成。これに先立ち、明治35年(1902年)には皇太子(後の大正天皇)の行啓に備えて、松江市宍道町の木幡家住宅に「飛雲閣」を建てており、こちらは重要文化財に指定されています。
- 保性館幽泉亭へのアクセスは?最寄り駅からどのくらいですか?
- 所在地は松江市玉湯町玉造1191-1で、旅館・保性館の敷地内にあります。JR山陰本線の玉造温泉駅から車やタクシーで5分ほど、松江の市街地からは車で20分前後です。玉造温泉の旅館は駅からの送迎を行っていることが多いため、問い合わせの際にあわせて確認するとよいでしょう。
- 保性館幽泉亭の「登録有形文化財」とはどういう制度ですか?
- 国が指定するのではなく、登録簿に載せる仕組みです。重要文化財の指定は全国的に価値の高いものに限られ、現状変更に強い規制がかかります。登録有形文化財はおおむね築50年以上の建造物を対象とし、大きな改変の前に届出を求める程度にとどめ、使い続けながら残すことを前提としています。幽泉亭の登録番号は32-190、平成30年(2018年)5月10日登録、基準は「造形の規範となっているもの」です。
- 保性館幽泉亭のある玉造温泉はどんな温泉地ですか?
- 奈良時代の『出雲国風土記』に記述がある古湯で、文献に残る温泉としては日本で最も古い部類に入ります。地名は、この谷で古代に行われた玉作りに由来するとされ、玉湯川を少し遡った先に玉作湯神社があります。松江市街と出雲大社の中間にあたる位置で、両方を回る際の拠点にしやすい温泉地です。
基本情報
| 名称 | 保性館幽泉亭(ほせいかんゆうせんてい) |
|---|---|
| 所在地 | 島根県松江市玉湯町玉造1191-1他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号32-190 登録基準「造形の規範となっているもの」 |
| 指定年 | 平成30年(2018年)5月10日登録(第90回登録) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積112㎡。木造平屋建、瓦葺。昭和6年(1931年)建築、平成元年(1989年)改修 |
| 所有者 | 株式会社シンリョー |
| 公開状況 | 旅館・保性館を通じた見学のみ。特別室への宿泊は不可。事前の問い合わせが必要 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース ― 保性館幽泉亭
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00012449
- 文化遺産オンライン ― 保性館幽泉亭
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/610693
- 玉造温泉 保性館 ― 国登録有形文化財『幽泉亭』
- https://hmihotelgroup.com/ryokan-hoseikan/about/yuusentei/
- 玉造温泉 保性館 ― 創業300年、保性館の歴史
- https://hmihotelgroup.com/ryokan-hoseikan/history/
最終更新日: 2026.08.22