徳連場古墳:玉作りの里に眠る、約1500年前の舟形石棺

島根県松江市玉湯町、花仙山の西山麓にひっそりと佇む徳連場古墳(とくれんばこふん)は、古墳時代中期、5世紀に築かれた小さな円墳です。1933年(昭和8年)に国の史跡に指定された本古墳の魅力は、ただ古いだけではありません。封土の大半が失われた結果、内部の舟形石棺が地表に露出し、訪れる人がすぐ間近にその姿を眺められるという、全国的にも珍しい遺跡なのです。

そして何より特筆すべきは、その立地です。古墳が佇むのは、古墳時代から平安時代にかけて日本最高品質の青めのう(碧玉、通称「出雲石」)を産出した花仙山のふもと。ここで採れる石を素材として、玉作部(たまつくりべ)の人々が勾玉や管玉を生み出し、大和王権の威信財として全国に流通させていました。徳連場古墳は、その中心地に眠る古い古墳のひとつなのです。

徳連場古墳の概要と歴史的背景

徳連場古墳は、古墳時代中期(5世紀)に築造された小円墳です。旧八束郡玉湯町(現・松江市玉湯町)域で確認されている古墳の中でも最も古い部類に入り、当地の歴史の出発点を語る上で欠かせない存在となっています。築造から約1500年を経た現在、封土の多くは失われていますが、埋葬施設である舟形石棺はそのまま現地に残されています。

5世紀は、各地の有力豪族が力を増し、大和王権の影響力が列島規模で拡大していった重要な時代です。出雲地方では、奈良時代に編纂された『出雲国風土記』にも記されるように、独自の伝統と産業を背景に有力な首長層が存在していました。中でも玉湯町・玉造(たまつくり)の地域は、玉作りという特殊技能を持つ集団の本拠地として知られており、徳連場古墳に葬られたのはこの地の有力者──とりわけ玉作りに深く関わる首長クラスの人物であった可能性が高いと考えられています。

なぜ国の史跡に指定されたのか

徳連場古墳が国の史跡に指定されたのは、1933年(昭和8年)2月28日。その指定理由の核となったのが、ほかでもない、独特な構造を持つ舟形石棺の存在でした。

舟形石棺自体は古墳時代の埋葬施設として全国に例がありますが、徳連場古墳の石棺は構造に大きな特色があります。蓋は1個の石材を刳り抜いて作られているのに対し、棺身は2個の石材をそれぞれ刳り抜いて並べ、組み合わせる形で構成されているのです。1933年の指定書も、「此種石棺ハ刳抜式ト組合セ式トノ複合ニシテ類例稀ナルモノナリ」(この種の石棺は刳抜式と組合せ式の複合であり、類例は稀である)と明記しています。一個の石塊を刳り抜く「刳抜式」と、複数の部材を組み合わせる「組合せ式」という二つの技法を、ひとつの石棺の中で同時に用いている──この点が、考古学的価値の核心なのです。

さらに石材にも注目したいところです。石棺は、玉湯町から宍道町にかけて分布する「沸石岩(ふっせきがん)」と呼ばれる地元産の岩石で造られています。遠方から石材を運ぶのではなく、地元の地質を活かした素材選びがなされている点は、徳連場古墳が古代出雲の地理的・文化的景観の中にしっかりと根を張っていることを物語っています。

魅力と見どころ

徳連場古墳を訪れて何より印象的なのは、目の前に石棺そのものを見られることです。日本の古墳の多くは木々に覆われた小山の姿しか地上には残っていませんが、ここでは1500年前の遺構を直接眼前にすることができます。

露出した舟形石棺

石棺の長さは約7尺(約2.1メートル)、幅は頭部側で約2尺6寸(約79センチ)、脚部側で約2尺(約60センチ)。なだらかな曲線を描く形は、木の舟を縦に二つに割ったような姿から「舟形石棺」と呼ばれます。海と深く関わってきた古代出雲の地で、死者を彼岸へと運ぶ「舟」を石で表現したこの形には、来世への旅立ちという普遍的な象徴性が込められていると見ることもできるでしょう。

縄掛突起(なわかけとっき)

石棺の側面と脚部をよく観察すると、外側に突き出た小さな突起がいくつも確認できます。これは「縄掛突起」と呼ばれるもので、重い石棺を運搬・据え付ける際に縄をかけるために造作されたとされる加工です。徳連場古墳の石棺では、蓋の両側面に各2個ずつ、脚部に1個の突起が設けられています。実用的な装置であると同時に、古墳時代の石製葬具を象徴する造形要素のひとつとして重視されてきました。

静かな丘陵の佇まい

徳連場古墳には立派な博物館も派手な解説施設もありません。あるのは案内板と道、そして青空の下に静かに横たわる石棺だけです。観光地化された古墳とはひと味違う、原始の時間の中に立ち入るような体験を求める方にとって、この素朴さこそが最大の魅力となります。

玉作りの里・玉造の物語

徳連場古墳が立つ玉湯町玉造は、日本でも屈指の考古学的密度を誇る地域です。「玉造」という地名そのものが、その名のとおり古来この地で「玉」の生産が盛んであったことに由来しています。弥生時代後期から平安時代まで、ここは勾玉や管玉といった玉類の一大産地でした。

その素材を提供したのが、徳連場古墳のすぐ背後にそびえる花仙山(かせんざん)です。同山産の青めのう(碧玉)は、深く澄んだ碧色と硬さ・キメ細かさを兼ね備えた最上級の素材として知られ、「出雲石」の異名で全国にその名が知られていました。古墳時代に各地で築かれた古墳から、北は函館、南は宮崎南部に至るまで、花仙山産の出雲石で作られた勾玉が出土しており、当時の交易・贈与ネットワークが列島規模に及んでいたことを示しています。一説には、皇位の象徴である「三種の神器」のひとつ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も花仙山産の出雲石で作られたと伝えられています。

玉湯町域には30か所を超える玉作り関係の遺跡が密集して確認されており、徳連場古墳と出雲玉作資料館、周辺の史跡を合わせて巡ることで、この古代産業のスケールと意義を実感することができます。

アクセスと拝観のご案内

徳連場古墳は、玉造温泉街にほど近い静かな住宅地の中にあります。管理は松江市が行っており、入場料は不要、屋外の史跡として常時見学が可能です。常駐のスタッフはおらず、見学施設も最小限ですので、案内表示に従い、石棺には触れたり登ったりしないなど、史跡への敬意を持って訪問するようお願いいたします。

最も便利なアクセスは、JR山陰本線の玉造温泉駅からタクシー、または徒歩約20分の道のりです。JR松江駅からの路線バスやタクシーも利用できます。徒歩圏には玉造温泉街があり、考古学の散策と、奈良時代の『出雲国風土記』にも記された古湯での湯浴みを組み合わせて楽しむ旅程をおすすめします。

周辺の見どころ

玉造一帯は徒歩や短いタクシー移動で複数の史跡を巡ることができる、コンパクトかつ濃密なエリアです。

  • 出雲玉作資料館: 古代の玉作りに特化した、国内唯一の専門資料館。工具・原石・勾玉・工房復元など、当地の歴史を体系的に学べます。
  • 玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ): 玉作りの神々を祀る古社。境内には「願い石」として信仰される真ん丸の石が祀られ、収蔵庫には周辺で出土した玉類などが収められています。
  • 玉造築山古墳: 特異な形の舟形石棺を持つ古墳。徳連場古墳の見学とあわせて訪れると、この地域の石棺文化の多様性が体感できます。
  • 岩屋寺跡古墳: 複室構造を持つ横穴墓。徳連場古墳とは異なる時代・形式の埋葬施設を比較できます。
  • 玉造温泉: 『出雲国風土記』にも登場する日本屈指の古湯。「美肌の湯」として知られ、玉作りの歴史と一体となって発展してきました。
  • めのう公園・めのう採掘穴: 花仙山中腹に整備された公園。実際のめのう採掘跡や、採掘されずに残された幅60センチほどのめのう脈を間近で観察できます。

Q&A

Q徳連場古墳はいつ造られ、誰が葬られていたのですか?
A古墳時代中期の5世紀、約1500年前に造られたと考えられています。被葬者の具体的な名は伝わっていませんが、玉湯町域で最古級の古墳に葬られた人物として、玉作りの集団と関わりの深い当地の有力首長であった可能性が高いと推測されています。
Q石棺は実際に見ることができますか?
Aはい。封土の大半が失われたことにより、舟形石棺は地表に露出した状態で残されており、現地で間近に見学することができます。多くの古墳で埋葬施設が地中に隠されているのと比べ、これは大変珍しい状況です。
Q石棺の何が特別なのですか?
A蓋は1個の石材を刳り抜いて造られているのに対し、棺身は2個の石材をそれぞれ刳り抜き、組み合わせる形で構成されています。「刳抜式」と「組合せ式」という二つの技法を一つの石棺で複合的に用いている点は、1933年の国指定書でも「類例稀ナルモノナリ」と記されています。
Q古墳と玉造温泉には関係がありますか?
Aどちらも同じ景観の産物です。古い火山である花仙山は、玉作りに用いるめのう・碧玉を生み出すと同時に、現在も玉造温泉の熱源を支えています。温泉と玉作り産業はどちらも『出雲国風土記』(733年)に記されており、徳連場古墳もその同じ景観の中に立地しているのです。
Q見学にはどのくらい時間が必要ですか?単独で訪れる価値はありますか?
A徳連場古墳のみであれば20〜30分ほどで見学できます。出雲玉作資料館や玉作湯神社、玉造温泉と組み合わせると半日〜一日の充実した旅程となり、日本における古代産業景観の重要性を実感できる構成になります。

基本情報

名称 徳連場古墳(とくれんばこふん)
指定区分 国指定史跡
指定年月日 1933年(昭和8年)2月28日
指定基準 一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
種類 小円墳(埋葬施設は舟形石棺)
時代 古墳時代中期(5世紀)
石棺の素材 沸石岩(玉湯町〜宍道町に分布する地元産岩石)
石棺の規模 長さ約2.1m/頭部幅約79cm/脚部幅約60cm
所在地 島根県松江市玉湯町玉造93番地4
管理団体 松江市(1933年5月3日指定)
最寄駅 JR山陰本線 玉造温泉駅
料金 無料(屋外史跡、日中見学可)

参考文献

徳連場古墳 — 島根県文化財課(山陰史跡探訪)
https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/shiseki/sanninshisekinwkaigi/shiseki-exploration/tokurenba-kofun.html
徳連場古墳 — 国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/2174
徳連場古墳 — 文化遺産オンライン(NII)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/210980
花仙山のメノウ脈 — 島根半島・宍道湖中海ジオパーク
https://kunibiki-geopark.jp/geosite/花仙山のメノウ脈/
古代より伝わる不思議!出雲の「まがたま」を知る!作る!巡る! — しまね観光ナビ
https://www.kankou-shimane.com/pickup/12968.html
徳連場古墳 — 全国遺跡報告総覧
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/cultural-property/343359

最終更新日: 2026.05.09