常松家住宅離れとは

常松家住宅離れは、島根県出雲市斐川町求院にある明治前期建築の木造2階建の離れで、平成31年(2019年)3月29日に国の登録有形文化財に登録された。読みは「つねまつけじゅうたくはなれ」。建築面積は109平方メートルある。

常松家住宅離れは主屋の東面に接続して建ち、棟を南北に通す。東西に棟を持つ主屋とはL字形に並び、文化庁はこの2棟を屋敷構えの中核と位置づけている。大正頃と昭和30年代に改修を受けた。

南と北で違う屋根

常松家住宅離れの屋根は桟瓦葺で、南の端を入母屋造、北の端を切妻造に納めている。1棟の建物で両端の屋根の形が違うのは、それぞれの端に入る部屋の性格が違うためと考えられる。南は座敷の側、北は米蔵の側である。

2階建の本体の四周には下屋を廻す。茅葺の主屋に並ぶ瓦葺の2階建という組み合わせで、屋敷の中では主屋と並んで背の高い建物になる。

米蔵と広間を1棟に

常松家住宅離れの内部は、北の端を米蔵とし、その南に17畳半の広間と10畳の座敷を並べている。東の面には廊下を通し、各室はこの廊下でつながる。2階は物置として使われた。

収穫した米を納める蔵と、大人数が集まれる17畳半の広間、客を通す10畳の座敷が一つ屋根の下にある。地主の家として、米の出し入れと来客の応対の両方をこの棟で受け持っていたことがうかがえる構成である。

常松家住宅離れの価値

常松家住宅離れは「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録有形文化財となった。茅葺の主屋に瓦葺2階建の離れがL字に取り付く姿は、常松家住宅の屋敷構えの中心をなしている。

年代は「明治前期」とされ、明治7年(1874年)頃とされる主屋との前後関係は公開資料からは分からない。昭和30年代に手が入っているものの、米蔵・広間・座敷を南北に並べる平面はそのまま伝わっている。

常松家住宅離れの見学

常松家住宅離れは個人の住宅の一部で、2026年9月の時点で内部公開の案内は確認できなかった。米蔵や広間、座敷は室内の構成なので、外からは見られない。

離れは主屋の東側にあり、南の端が敷地の表側を向く。道路から見えるとすれば、南端の入母屋の屋根になる。撮影するときは住人の暮らしに配慮したい。屋敷への行き方は常松家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q常松家住宅離れはいつ建てられましたか?
A明治前期の建築とされ、大正頃と昭和30年代に改修されています。
Q常松家住宅離れはどこに建っていますか?
A主屋の東面に接続して、南北に棟を通して建っています。主屋とはL字形に並びます。
Q常松家住宅離れの内部はどうなっていますか?
A北の端が米蔵で、その南に17畳半の広間と10畳の座敷が並び、東の面に廊下が通ります。2階は物置です。
Q常松家住宅離れの屋根の特徴は?
A桟瓦葺で、南の端が入母屋造、北の端が切妻造と、両端で形が違います。四周には下屋を回しています。
Q常松家住宅離れは見学できますか?
A個人の住宅で、内部公開の公式な案内は確認できませんでした。訪れる場合は敷地に入らず、道路から外観を眺める形になります。

基本情報

名称常松家住宅離れ(つねまつけじゅうたくはなれ)
所在地島根県出雲市斐川町求院字堀川333
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成31年(2019年)登録
員数1棟
寸法建築面積109㎡(木造2階建、瓦葺)
所有者個人
公開状況公開情報なし(個人住宅。内部非公開)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)常松家住宅離れ
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012798
文化遺産オンライン 常松家住宅離れ
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/403981
文化庁 報道発表「登録有形文化財(建造物)の登録について」(平成30年11月16日答申)
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/__icsFiles/afieldfile/2018/12/14/a1411175_01_1.pdf
島根県 登録有形文化財(建造物)一覧
https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/shimane/tourokubunkazai2.html

最終更新日: 2026.09.29