財間氏庭園とは
財間氏庭園は、島根県鹿足郡津和野町後田の財間家住宅にある明治時代の町家の庭園で、明治32年(1899年)の主屋の建築とともに原形ができたとされ、平成25年(2013年)8月1日に国の登録記念物(名勝地関係)に登録された。読みは「ざいましていえん」である。
本町通りに面した財間家住宅の敷地の中にあり、本門の内側の小さな前庭と、主屋の奥座敷と仏間の東に広がる主庭からなる。津和野町教育委員会の一覧では所在地を後田ハ38、所有者を個人としている。文化庁のデータベースに面積の記載はない。
財間氏庭園が登録された理由
文化庁の詳細解説によれば、旧津和野藩の城下町では、近代以降に完成した町家に多くの庭園が造られた。物販・織物・製紙などの家業の繁盛とともに育った町人の住宅の庭で、およそ20の例が今も残る。財間氏庭園はそのひとつで、城下町の民家の奥庭として作られ、近代の津和野で造園の文化が育ったことを示す例として登録された。
同じ解説は、財間家の屋敷を本町通りの南端、通りの名が殿町通りに変わる地点にある街区の西側の角地と説明する。江戸時代にはこの場所に高札場があり、明治時代以降に町家の土地として使われるようになった。財間氏庭園は、その町家の成り立ちと一緒に生まれた庭である。
財間氏庭園の構成と見どころ
表門の内側の前庭
本町通りに面した表門(財間家住宅本門)を入ると、燈籠と1本のマツのまわりに巨石を組んだ小さな前庭がある。前庭は庭門を通じて、北側の蔵の前に広がるもうひとつの小さな庭へつながっている。
奥座敷の前の主庭
主庭は、北を離れへの渡り廊下、東南と南を浴室棟と渡り廊下に囲まれた空間に広がる。軒先の近くに水盤のような小さな池を2つ置き、庭石・燈籠・蹲踞を配して、そのまわりに飛石を巡らせている。
奥座敷の沓脱石からは、飛石が庭の奥へ延び、石橋で結ばれた2つの築山の周りを回る。いちばん奥の築山の頂には春日燈籠1基と立石が据えられている。文化庁はこの築山を、奥座敷から飛石に沿って庭の外の青野山へ延びる眺めの中継点と位置づけている。座敷に座ったとき、飛石、築山、その先の山が一本の線でつながるように組まれた庭である。
財間氏庭園の見学
財間氏庭園は個人の住まいの奥庭で、一般には公開されていない。津和野町教育委員会の文化財ポータルにも津和野町観光協会のサイトにも、公開日の案内は見当たらない(2026年10月1日確認)。主庭は建物と渡り廊下に囲まれているため、本町通りから見ることはできないと考えたほうがよい。財間家住宅への行き方は、財間家住宅のページにまとめてある。
Q&A
- 財間氏庭園はいつ造られた庭ですか?
- 文化庁の解説は、明治32年(1899年)に財間氏の主屋が建てられたのに伴って原形ができたと考えられる、としています。
- 財間氏庭園はいつ登録記念物になりましたか?
- 平成25年(2013年)8月1日に、登録記念物(名勝地関係)として登録されました。
- 財間氏庭園はどのような構成ですか?
- 本門の内側の小さな前庭と、主屋の奥座敷と仏間の東に広がる主庭からなります。主庭には小さな池2つ、燈籠、蹲踞、飛石、石橋で結ばれた2つの築山があります。
- 財間氏庭園の見どころは?
- いちばん奥の築山です。春日燈籠と立石が据えられ、奥座敷から飛石に沿って庭の外の青野山へ延びる眺めの中継点になっています。
- 財間氏庭園は見学できますか?
- 一般には公開されていません。個人の住まいの奥庭で、公開日の案内も見当たりません。
基本情報
| 名称 | 財間氏庭園 |
|---|---|
| 所在地 | 島根県鹿足郡津和野町 |
| 指定区分 | 登録記念物(名勝地関係) |
| 指定年 | 平成25年(2013年)登録 |
| 員数 | 1所 |
| 寸法 | 不明(文化庁データベースに面積の記載なし) |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)財間氏庭園
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/411/00003809
- 文化遺産オンライン(文化庁)財間氏庭園
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/259342
- 津和野文化ポータル(津和野町教育委員会)文化財
- https://tsuwano-bunka.net/cultural-property/
最終更新日: 2026.10.01