下野薬師寺跡とは:東国仏教の中心となった三戒壇の一つの寺跡

下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)は、栃木県下野市にある古代の寺院下野薬師寺の跡で、大正10年(1921年)3月3日に国の史跡に指定された。

文化庁の記録では、指定基準は「社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡」にあたり、令和7年(2025年)9月18日に追加指定を受けている。

文化庁の指定時の説明によると、創建は天武天皇2年とも文武天皇の大宝3年ともいわれるが、聖武天皇の天平21年(749年)には存在したことが明らかで、日本の三戒壇の一つである。

下野薬師寺跡の歴史

下野市によると、下野薬師寺は7世紀末、中央官僚として都で活躍した下毛野朝臣古麻呂によって創建されたと考えられる。古麻呂は天武・持統天皇に仕え、大宝律令の選定の重要なメンバーだった。古麻呂の功労から国によって整備され、東国の仏教政策を担う重要な寺院となった。

鑑真の来日以来、僧になるには受戒の儀式を受けることが定められ、受戒を行える戒壇をもつ寺院が、畿内の東大寺、九州の筑紫観世音寺、東国の下野薬師寺の3か所に定められた。下野薬師寺は、関東・東北の僧に戒を授ける東国仏教の中心的な寺院となった。

下野薬師寺跡の見どころ

下野市によると、9世紀中頃の大火災で伽藍の中心部が焼失し、新興の宗派が独自に戒を授けるようになると三戒壇の地位も次第に失われた。鎌倉時代に慈猛上人が復興し、南北朝時代には安国寺と改称されたと伝えられるが、元亀元年(1570年)の戦乱で焼け落ちたと『薬師寺縁起』は伝えている。

下野市によると、史跡指定は足利学校跡、下野国分寺跡と同時で、栃木県で最初の国指定史跡の一つである。昭和41年(1966年)に栃木県教育委員会による発掘調査が始まり、その後も調査が続けられている。

下野薬師寺跡の見学方法

史跡の一部は整備されており、文化庁の写真には復元された回廊が記録されている。見学の条件は下野市の案内で確かめたい。

Q&A

Q下野薬師寺跡はいつ史跡に指定されましたか?
A大正10年(1921年)3月3日に指定され、令和7年(2025年)に追加指定を受けています。
Q下野薬師寺を創建したのは誰ですか?
A下野市によると、7世紀末に下毛野朝臣古麻呂が創建したと考えられています。
Q三戒壇とは何ですか?
A受戒の儀式を行える戒壇をもつ東大寺、筑紫観世音寺、下野薬師寺の3か所です。
Q下野薬師寺はなぜ衰えたのですか?
A9世紀中頃の大火災と、新興の宗派が独自に戒を授けるようになったことによります。
Q下野薬師寺跡の発掘調査はいつ始まったのですか?
A昭和41年(1966年)です。

基本情報

名称下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)
所在地栃木県下野市
指定区分史跡
指定年大正10年(1921年)3月3日指定
員数文化庁データベースに記載なし
寸法文化庁データベースに記載なし
所有者文化庁の記録に記載なし
公開状況見学は下野市に要確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「下野薬師寺跡」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/462
文化遺産オンライン「下野薬師寺跡」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/160738
下野市「下野薬師寺跡(国指定史跡)」
https://www.city.shimotsuke.lg.jp/0393/info-0000000641-3.html

最終更新日: 2026.09.29