本堂の東に建つ、文政の庫裡
長母寺の本堂の脇に立つと、すぐ東側にもう一棟の大きな建物があることに気づく。本堂とは渡り廊下でつながったこの建物が庫裡である。庫裡は寺院の台所であり、住職とその家族が暮らす生活の場でもある。参拝者の目はどうしても本尊や本堂に向かいがちだが、長母寺においては、この庫裡こそ境内で最も古く、最も素性のはっきりした建築のひとつなのである。
建立は文政11年(1828年)、江戸時代後期にあたる。年代がこれほど明確なのは、屋根裏に納められた棟札に建築の年と大工棟梁の名が記されているためだ。棟梁の名は川合半七。多くの寺院建築が、組物や柱の比例から推定するほかない中で、署名と年紀をもつ庫裡は、建築史の上で貴重な手がかりとなる。
構造は木造平屋建、屋根は桟瓦葺で、妻側から入る切妻造(妻入)である。桁行九間、梁間五間、建築面積はおよそ361平方メートルと、庫裡としては雄大な規模をもつ。内部に踏み込むと、太い梁を積み重ねた重厚な梁組が目に入る。本堂とは客間を介して接続し、北西の隅には茶室が結ばれている。台所として実用一辺倒の建物ではなく、客をもてなす機能まで備えていたことがわかる。
「指定」ではなく「登録」という位置づけ
長母寺庫裡は、平成11年(1999年)11月に登録有形文化財(建造物)として登録された。登録番号は23-0037。ここで「登録」という語に注意したい。日本の建造物保護には二つの制度が並行している。古くからある「指定」は、国宝や重要文化財を対象とし、厳しく選び抜かれた少数に強い規制をかける制度である。一方の「登録」は平成8年(1996年)に始まった新しい仕組みで、おおむね築50年以上の建物を対象とし、所有者の届出にもとづいて、規制よりもゆるやかな指導を行う。これにより、身近な歴史的建造物にも幅広く保護の手が及ぶようになった。
庫裡が登録された基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。その価値は明快だ。年代の確かな江戸後期の寺院建築であり、棟梁の名も判明し、当初の姿をよくとどめている。さらに見落とせない点がある。隣に建つ本堂は、明治24年(1891年)の濃尾地震で倒壊した後に再建されたものだ。文政11年に完成した庫裡は、その大地震をくぐり抜けて残った、長母寺で最も古い建築のひとつである。山門もまた登録されており、現在は三棟が同じ登録のもとに置かれている。
無住、説話、そして万歳
この寺がなぜ訪ねる価値をもつのか。それを知るには、建物の背後にいる一人の僧へ目を向けるとよい。長母寺は治承3年(1179年)、この地の領主・山田重忠が母のために創建した寺で、寺名にもその由来がにじむ。当初は天台宗の寺院だった。転機は弘長3年(1263年)ごろ、学僧・無住(1226年〜1312年)が入寺し、禅宗へと改めたときに訪れる。無住はこの寺でおよそ半世紀を過ごした。
無住は中世日本でもひときわ個性的な宗教文筆家だった。諸宗を学んだ末に、ただ一つの宗派だけが正しいとする立場を退けた姿勢は、当時としてはきわめて開かれたものである。彼が長母寺で著したのが『沙石集』。仏教の逸話や民間の説話、土の匂いのする笑い話を集めた大部の説話集で、読み書きのできない庶民にも届くことを願って書かれた。鎌倉期を代表する散文のひとつであり、当時の人々の暮らしと信仰をのぞく窓でもある。
その影響は大衆芸能にも及ぶ。長母寺は尾張万歳の発祥地として知られる。二人一組で祝いを述べるこの話芸は、無住の説教と、彼に帰せられる一書から生まれたと伝わる。寺には重要文化財の無住国師等身坐像が安置され、市指定文化財として『沙石集』の版木も伝来する。今に建つ庫裡は、こうした法灯を何世紀も支えてきた台所の、実用上の後継者にあたる。
なお、庫裡は現役の住まいであり、内部は非公開である。参拝者は境内からその姿を眺めることになる。石段を上がった先の山門、ずらりと並ぶ弘法大師像、木ケ崎公園に隣り合う川辺の静けさなど、境内はゆっくり歩いて見るだけの趣がある。
寺のまわりを歩く
長母寺は矢田川の南岸に位置し、名鉄瀬戸線・矢田駅から徒歩およそ7分の距離にある。瀬戸線は名古屋中心部の栄町からも、交通の結節点である大曽根からも乗り入れやすい。当寺は尾張三十三観音霊場の第28番札所でもあり、巡礼者の姿も絶えない。
東区一帯には、半日を過ごすに足る見どころが揃う。同じ区内にある徳川園と隣接の徳川美術館は、尾張徳川家に伝わる名宝を収め、名高い国宝『源氏物語絵巻』もここにある。大曽根の近くには市内有数の屋内球場、バンテリンドーム ナゴヤが建つ。長母寺の静けさと徳川家のコレクションを組み合わせれば、寺の台所から大名家の至宝までをたどる、充実した一日になるだろう。
Q&A
- 庫裡の中に入れますか。
- いいえ。庫裡は寺の生活の場であり、現在も使われているため内部は非公開です。境内からは建物を眺めることができ、切妻の屋根や雄大な規模はよくわかります。
- そもそも庫裡とは何ですか。
- 庫裡は寺院の台所と住居を兼ねた建物です。食事を整え、住職が暮らす場で、礼拝の堂ではなく実用の建築です。それだけに、年代のはっきりした歴史的な庫裡は比較的めずらしい存在です。
- 「登録」は国宝と同じですか。
- いいえ。登録有形文化財は平成8年(1996年)に始まったゆるやかな保護制度で、国宝や重要文化財を対象とする厳格な「指定」とは別の枠組みです。登録は歴史的価値を認めつつ、強い規制ではなく指導を行うものです。
- 行き方を教えてください。
- 名鉄瀬戸線で矢田駅まで行き、矢田川の方向へ徒歩7分ほどです。寺は木ケ崎公園のそばに建ちます。名古屋中心部からは栄町で瀬戸線に乗車してください。
- 僧・無住はなぜ重要なのですか。
- 無住は長母寺で半世紀ほどを過ごし、庶民に向けた説話集『沙石集』を著しました。当寺は、彼の説教に由来するとされる尾張万歳の発祥地としても記憶されています。
基本情報
| 名称 | 長母寺庫裡(ちょうぼじくり) |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県名古屋市東区矢田町字寺畑2161 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0037 |
| 登録年月日 | 平成11年(1999年)11月18日(告示は同年12月2日) |
| 建立 | 文政11年(1828年)、江戸時代後期 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式 | 木造平屋建、桟瓦葺の切妻造・妻入、桁行九間・梁間五間、建築面積約361平方メートル。大工棟梁は川合半七 |
| 所有者 | 宗教法人長母寺 |
| アクセス | 名鉄瀬戸線・矢田駅から徒歩約7分 |
| 公開状況 | 内部は非公開(現役の住居)。境内からの外観見学は可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):長母寺庫裡
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005078
- 文化遺産オンライン(国立情報学研究所):長母寺庫裡
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/140848
- 文化遺産オンライン(国立情報学研究所):長母寺本堂
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/114497
- 名古屋市公式ウェブサイト:霊鷲山 長母寺
- https://www.city.nagoya.jp/kita/miryoku/1020066/1020067/1020088/1020095.html
- 長母寺(ウィキペディア)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/長母寺
最終更新日: 2026.06.17