黄土色の一枚の壁に、五つの入口

砂金家長屋は、東京都豊島区雑司が谷三丁目にある昭和7年(1932年)頃建築の木造二階建長屋で、平成30年(2018年)5月10日に国の登録有形文化財に登録された。

建つのは雑司ヶ谷鬼子母神堂の参道である。石畳をはさんでケヤキ並木に西面し、参道の一区画を長く占める。豊島区の解説によれば全体の間口は十間、およそ18メートル。登録上の建築面積は145平方メートルである。この一枚の正面の裏に、棟割で仕切られた五軒が並ぶ。各戸は当初、一階に仕事場と座敷、二階に和室二室という構成だった。建物はひとつ、玄関は五つ、暮らす世帯も五つ。

正面の前では足を止めたい。陸屋根のように見えるが、あれは目隠しである。実際の屋根は金属板葺の片流れで、立ち上げた壁の裏に隠れている。側面と背面は下見板張のまま。手をかけたのは通りに向く一面だけだ。黄土色の骨材を混ぜたモルタルを塗り、表面を洗い出して石の粒を浮かせる。二階の縦長の片開き窓の上、そして壁の頂部に、帯状の金属板が水平に走る。効いているのはこの二本の線である。視線を五軒ぶん横へ引き伸ばし、小さな家が五つ並んだ姿を、一棟の長い建物へ変えている。

これが看板建築と呼ばれる形式である。大正12年(1923年)の関東大震災のあと、東京の商店建築に広まった。木造の軸組はそのままに、通りに面する側だけを平らな不燃の面で覆い、そこに好みの意匠を載せる。現存する例の多くは一軒の店舗で、五軒分をこの間口でまとめた例は、木造看板建築としては大きな部類に入る。

登録が守ろうとしたもの

砂金家長屋は「登録」であって「指定」ではない。国宝と重要文化財は指定制度に属し、厳選された建物に強い規制と手厚い保護がかかる。登録有形文化財は平成8年(1996年)に始まった別の仕組みで、届出制と指導・助言を基本とする緩やかな保護にとどまる。制度が生まれた理由は単純で、近代以降の建物が評価される前に消えていたからだ。参道沿いの長屋は、そうして声もなく消えていく側の建築だった。

適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、登録番号は13-413、第90回登録である。文化庁のデータベースは、この建物を「昭和モダンの流行を伝える長屋建の店舗兼住宅」と記し、二階窓と頂部の帯状の金属張が水平性を強調する点を挙げている。評価の重心は室内ではなく街路にある。国が守ることにしたのは、参詣者が歩きながら見る壁である。

年代にも意味がある。昭和7年頃といえば、雑司が谷が拡大する東京に飲み込まれていった時期にあたる。黄土色の洗い出しに金属の帯という意匠は、都心に届き始めたモダニズムの、郊外なりの翻訳といえる。平成20年(2008年)には改修が行われ、その十年後に登録された。

同じ日、平成30年5月10日に、もう一棟が登録されている。長屋のすぐ裏に建つ並木ハウスである。昭和28年(1953年)建築、木造モルタル造の一部二階建。豊島区の解説は、戦後の住宅難のなかで大量供給されたいわゆる木賃アパートに分類しつつ、床の間付きの部屋や余裕のある共用部を備え、同時期の建物としては仕様が高いと評価する。名を知られているのは入居者による。手塚治虫が昭和30年(1955年)にトキワ荘からここへ移り住み、初台に自宅を建てるまで暮らした。手塚を目当てに訪れる人の多くは、長屋の前を素通りしていく。もったいない話で、この二棟を並べて見れば、東京の普通の建物が二十年でどう変わったかが分かる。

見学の実際、参道を歩く十分間

長屋は現在も使われており、内部の公開はない。ただし登録の主題である正面は参道から自由に見られるし、それで十分に用は足りる。路上からの撮影に制限はないが、一階には人が入っているので、それなりの配慮はしたい。

行き方は簡単である。都電荒川線の鬼子母神前停留場から徒歩約2分、東京メトロ副都心線の雑司が谷駅からも同程度。池袋駅からは徒歩15分ほどで、この道順がいちばん街の性格を掴みやすい。東京有数のターミナルを出て南東へ歩くと、十五分で建物の高さが二階建に下がり、音が消える。

参道を順に歩くと三つの時代が並ぶ。まずケヤキ並木と石畳。次に昭和7年の長屋、黄土色で水平の壁。突き当たりが雑司ヶ谷鬼子母神堂で、こちらは国の重要文化財である。拝殿と相の間は金物の刻銘から元禄13年(1700年)の建築と判明しており、堂の由緒は十七世紀にさかのぼる。寛永2年(1625年)に社殿の造営があったことも記録されている。境内は無料で、日中は開いている。堂のかたわらには大きな公孫樹が立ち、古くから続く駄菓子屋がススキみみずくを売る。長屋の北側の細い路地を入れば並木ハウスに出て、三つ目の時代が揃う。

雑司が谷は急がずに一時間を使うと面白い。明治40年(1907年)建築の旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)は北へ少し歩いたところにあり、夏目漱石や小泉八雲が眠る雑司ヶ谷霊園はその先である。どれも長くはかからず、どこも混んでいない。

Q&A

Q砂金家長屋の内部は見学できますか?
Aできません。五軒とも現役で使われており、内部の一般公開はありません。登録の主題である正面外観は、鬼子母神参道からいつでも見ることができます。
Q砂金家長屋へのアクセスと最寄り駅は?
A都電荒川線の鬼子母神前停留場から徒歩約2分、東京メトロ副都心線の雑司が谷駅からも約2分です。池袋駅から南東へ徒歩15分ほどでも歩けます。
Q砂金家長屋はどんな形式の建物ですか?
A昭和7年頃に建てられた五軒棟割の長屋で、形式は看板建築です。木造の軸組の正面だけをモルタル洗出しの平らな面で覆い、その裏に金属板葺の片流れ屋根を隠しています。
Q砂金家長屋は重要文化財ですか?
Aいいえ。登録有形文化財(建造物)です。国宝・重要文化財の指定とは別枠の登録制度によるもので、平成30年5月10日に「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録されました。
Q砂金家長屋の周辺で一緒に見ておきたい文化財は?
A同じ参道の突き当たりにある雑司ヶ谷鬼子母神堂は国の重要文化財で、境内は無料で日中開いています。長屋の裏には、同じ日に登録され手塚治虫が住んだ並木ハウスが建っています。

基本情報

名称砂金家長屋(いさごけながや)
所在地東京都豊島区雑司が谷三丁目32-4
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 13-413
指定年平成30年(2018年)5月10日登録
員数1棟
寸法木造2階建、金属板葺、建築面積145平方メートル(全体間口 約18メートル)
所有者個人
公開状況外観のみ参道から見学可、内部は非公開

参考文献

最終更新日: 2026.08.22