相模の平地から山へ運ばれた家
箱根小涌園迎賓館は、神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1297にある明治8年(1875年)建築の木造2階建住宅で、昭和28年(1953年)に現在地へ移築され、平成13年(2001年)11月20日に国の登録有形文化財となった。
この建物の出自は箱根ではない。もとは県央の平地、愛甲郡中津村にあった名主の家である。名主は江戸期の村落行政の長で、年貢の徴収、帳簿の管理、村内の争いの裁定を担った。その屋敷は集落で最も大きく、最も堅固に組まれた建物であるのが常だった。
ただし、堅固に組むことと、解体して運ぶことは別の話である。昭和28年、この家は一度ばらされ、山へ上げられ、箱根小涌園の敷地で組み直された。中津村が愛川町に編入されて地名として消えるのは昭和31年(1956年)のことで、屋敷はその三年前に村を離れていたことになる。農家が土地を手放し、観光事業者が年季の入った建築を求めた戦後の時期には、こうした移築が各地で行われた。
屋根を読む
外観でまず見るべきは屋根である。入母屋造の一部が切り上げられ、段のついた輪郭をつくっている。この形が、一般の農家と養蚕農家とを分ける。
理由は蚕の側にある。蚕は摂食期に温度と通風、そして安定した採光を必要とする。この地域の農家では階上を蚕室に充てた。屋根の下には熱と湿気がこもるから、屋根の一部を切り上げて逃がし、同時に上から光を入れる。意匠に見えるものが、実際には昆虫のための環境調整装置だった。
明治期の生糸は日本最大の輸出品であり、神奈川と周辺各県の農村経済を支えた。明治8年築で蚕室を備えたこの家は、その拡大局面の入口に位置している。
構造の記載は簡潔だ。木造2階建、鉄板一部桟瓦葺、建築面積396平方メートル、員数1棟。座敷の床・棚、そして欄間は現在もよく保存されている。
登録の理由:隣の建物との対照
迎賓館の登録番号は14-0060。第31回登録、登録年月日は平成13年11月20日、告示は同年12月4日。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」の一つである。
ここに対照が生じる。同じ敷地に立ち、同じ日に登録された貴賓館(旧藤田平太郎別荘)の基準は「造形の規範となっているもの」だった。片や設計の水準を評価され、片や国土の景観への寄与を評価されている。登録有形文化財という枠は、際立った注文建築と、よく建てられた在来の民家の双方を受け入れる。その二つが徒歩数分の距離に並んでいる例は、そう多くない。
なお、登録と指定の違いにも触れておきたい。重要文化財は国が指定し、現状変更に強い制限がかかる。平成8年(1996年)に創設された登録有形文化財は保護の度合いが緩く、建物が使われ続けることを前提とする。迎賓館はその前提どおりの事例で、登録文化財でありながら同時にレストランでもある。
蚕室のあった建物で鉄板を囲む
1階、2階とも長くレストランとして使われてきた。現在の形になったのは平成28年(2016年)5月1日で、旅館「箱根小涌園 天悠」の開業を含む敷地全体の再開発にあわせ、「鉄板焼 迎賓館」として生まれ変わった。
席は全席カウンター。松阪牛を主軸に、旬の魚介と野菜を目の前で調理する構成で、コースは税込18,000円、お子様コースは7,200円が一例。営業は夕方のみで17時から22時、ラストオーダーは21時30分。
改装にあたって軸組は現しのまま残された。1870年代の農家のために刻まれた梁と柱が、鉄板の上の天井を支えている。座敷の床・棚と欄間の彫りも健在だ。カウンターに座って手元から視線を上げると、百年近い時間を挟んで、別の場所で別の職人の手により二度組み上げられた仕口が見える。
訪ねるための実務情報
迎賓館は箱根小涌園ユネッサンの敷地内にある。箱根湯本駅から箱根登山バスまたは伊豆箱根バスで「小涌園」下車、所要約20分。バス停の道路向かいがすぐ敷地で、小田原駅からは約40分。車の場合は駐車場を利用できる。
夜間のみの営業で、しかも全席カウンターのため席数は限られる。予約は推奨というより実質的に必要と考えたほうがよい。拝観料の設定や見学専用の公開はなく、内部に入る方法は席を取ることである。
建築を目当てにするなら、明るいうちに着きたい。切り上げられた屋根、入母屋の形、外観の各部の比例は、暗くなる前のほうがはるかに読み取りやすい。貴賓館までは徒歩で数分の距離なので、昼に「蕎麦 貴賓館」、夜に「鉄板焼 迎賓館」という組み立ても無理なく成立する。
館内の撮影は個人的な範囲であればおおむね許容されているが、カウンター形式は他の客や調理人との距離が近い。ひと声かけてからにしたい。
Q&A
- 箱根小涌園迎賓館は見学できますか。拝観料はかかりますか。
- 拝観料の設定や見学専用の公開はありません。建物は「鉄板焼 迎賓館」として営業しており、食事の利用が内部に入る方法になります。営業は17時から22時(ラストオーダー21時30分)で夜のみ。全席カウンターで席数が限られるため、予約をおすすめします。
- 箱根小涌園迎賓館はもともとどこにあった建物ですか。
- 神奈川県愛甲郡中津村(昭和31年に愛川町へ編入、現在の愛川町中津)の名主の家です。明治8年(1875年)の建築で、のちに解体して箱根小涌園の敷地に移築されました。移築年は文化庁のデータベースが昭和28年(1953年)、運営者側の資料が1952年10月としており、記載が一致していません。
- 箱根小涌園迎賓館の屋根が段になっているのはなぜですか。
- 階上を養蚕のための空間としていたためです。屋根の一部を切り上げることで、蚕室にこもる熱と湿気を逃がし、同時に上部から採光しました。養蚕農家に特有の外観で、現在も外から確認できます。
- 箱根小涌園迎賓館は重要文化財ですか。
- 重要文化財ではありません。国の登録有形文化財(建造物)で、登録番号14-0060、登録年月日は平成13年(2001年)11月20日。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。登録は指定より緩やかな制度で、建物が使われ続けることを前提としています。
- 箱根小涌園迎賓館と貴賓館は一緒に訪ねられますか。
- 同じ敷地内にあり、徒歩数分の距離です。貴賓館は昼食(11時30分〜15時)、迎賓館は夜(17時〜22時)の営業なので、一日で両方を訪ねる組み立てが可能です。いずれも箱根湯本駅からバスで約20分、「小涌園」下車すぐの場所にあります。
基本情報
| 名称 | 箱根小涌園迎賓館/はこねこわきえんげいひんかん |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1297 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号14-0060 登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 指定年 | 登録年月日 平成13年(2001年)11月20日/登録告示 同年12月4日(第31回登録) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、鉄板一部桟瓦葺、建築面積396平方メートル |
| 所有者 | 藤田観光株式会社 |
| 公開状況 | 「鉄板焼 迎賓館」として営業。17:00〜22:00(L.O.21:30)、夜のみ、全席カウンター。予約推奨。拝観料の設定なし |
| 建築年 | 明治8年(1875年)/昭和28年(1953年)現在地へ移築 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)箱根小涌園迎賓館
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00002528
- 文化遺産オンライン 箱根小涌園迎賓館
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/138298
- 箱根小涌園 三河屋旅館 公式サイト「鉄板焼 迎賓館」
- https://www.hakonekowakien-mikawaya.jp/geihinkan.html
- 箱根小涌園ユネッサン 公式サイト アクセス案内
- https://www.yunessun.com/service/access/
- 国指定文化財等データベース(文化庁)箱根小涌園貴賓館(旧藤田平太郎別荘・同一敷地の登録建造物)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00002527
最終更新日: 2026.08.13