国宝「鷹見泉石像」とは

天保8年(1837年)の夏、田原藩士で画家でもあった渡辺崋山が、親交の深かった古河藩家老・鷹見泉石の姿を一幅の絹本に描いた。縦115.1センチ、横57.2センチのこの肖像画には「天保鶏年槐夏望日寫」の年記があり、その年の旧暦4月15日に筆を執ったことが読み取れる。現在は東京国立博物館が所蔵し、昭和26年(1951年)6月9日に国宝へ指定された。

画中の泉石は正装である。浅葱色の素襖をまとい、頭には折烏帽子をいただく。腰に差すのは、藩主・土井利位から拝領したと伝わる小さ刀だ。絹に薄く色を重ねる淡彩の技法で、顔をわずかに横へ向けた、落ち着いた面持ちが描き出されている。

蘭学で結ばれた二人

像主の鷹見泉石(1785年生、1858年没)は、下総古河藩の江戸詰家老を務めた人物である。藩政に手腕を発揮するかたわら、長崎のオランダ商館を窓口に入ってくる西洋の知識、すなわち蘭学に深く傾倒した。地図や理化学の器具、洋書を集め、晩年には日本人の手になる初期のオランダ国全図を刊行している。オランダ商館長からはヤン・ヘンドリック・ダップルという蘭名を贈られた。

描き手の渡辺崋山(1793年生、1841年没)は、三河の小藩・田原の家老でありながら、画業と西洋研究に打ち込んだ。金子金陵に学び、のちに関東画壇の大家・谷文晁の門をたたいて、遠近法や陰影法といった西洋画の理を吸収した。泉石とは蘭学を通じて結ばれ、年長の泉石を兄弟子と仰ぐ間柄だったとされる。

この肖像は、泉石が藩主の代参として浅草の誓願寺へ赴いた帰途、正装のまま崋山宅を訪れた折の姿を写したものと伝わる。同じ年の初めに大坂で起きた大塩平八郎の乱では、泉石の主君・土井利位が鎮圧に動いており、その補佐に当たった泉石の働きと、この一幅はしばしば結びつけて語られる。

国宝に挙げられた理由

本作の核心は、崋山が二つの絵画言語を一画面で操った点にある。顔貌には西洋の陰影法を取り入れ、輪郭線だけに頼らず色面の濃淡で立体感を築いた。近づいて見れば、一本ずつ描き分けられた頭髪、短い線を細かく重ねた眉、ふくらみを感じさせる唇が確かめられる。小鼻の下の黒子まで描き込まれており、ほかの誰でもない泉石その人の顔がそこにある。

一方で装束には、東洋画の伝統に根ざした筆さばきが用いられている。布の流れをのびやかな線でとらえ、緻密な顔貌との対比が、座する人物に存在感と品格を与えた。写実と伝統技法をこのように融合させた点が、崋山の肖像画の到達点として、また日本の肖像画史を代表する一作として高く評価される。

款記の署名は「崋山渡邊登」。崋山の本名は登(のぼる)である。年記から、このとき泉石は数えで53歳、崋山は45歳ほどであった。

歴史に翳る一幅

絵に込められた友情は、ほどなく試練を迎える。天保10年(1839年)、崋山は蛮社の獄に連座して捕らえられた。西洋びいきと見なされた学者たちへの弾圧である。崋山は郷里の田原での蟄居を命じられ、天保12年(1841年)、49歳で自ら命を絶った。泉石はその後も長く生き、隠居後は古河で研究を続け、安政5年(1858年)に73歳で世を去っている。

この掛幅は、泉石の没後も鷹見家に受け継がれた。昭和13年(1938年)、泉石の曾孫で編集者の鷹見久太郎から東京国立博物館が購入し、ここで初めて公の所蔵となった。

国宝であるため、作品は常時公開されていない。特別展や絵画室の展示替えに合わせて公開されるので、実物を目にしたい場合は、事前に展示予定を確かめてから足を運びたい。

泉石を訪ねて古河へ

肖像画そのものは東京にあるが、描かれた泉石ゆかりの地は茨城県古河市である。市内の鷹見泉石記念館は、隠居した泉石が最晩年を過ごした武家屋敷で、寛永10年(1633年)に古河城の余材を用いて建てられたと伝わる。入館は無料で、趣のある座敷をゆっくり見て回れる。

記念館の道を挟んだ向かいには古河歴史博物館があり、泉石が生涯をかけて集めた地図や器具、情報収集の記録など、膨大な資料が収蔵されている。1万3千点あまりのうち3千点を超える資料が、平成16年(2004年)に国の重要文化財に指定された。代表的な品は常設で見ることができる。記念館の隣には近代の画家・奥原晴湖の画室も移築されており、幕末から近代の文化をたどる小さな散策路となっている。

Q&A

Q実物はどこで見られますか。
A東京国立博物館(東京・上野公園)が所蔵しています。国宝のため通年公開ではなく、時期を限って展示されます。来館前に展示予定を確認しておくと安心です。
Qどのような技法で描かれていますか。
A絹に薄く色を重ねる淡彩の掛幅で、寸法は縦115.1センチ、横57.2センチです。顔には西洋の陰影法、装束には東洋画の筆法が使い分けられています。
Q鷹見泉石とはどんな人物ですか。
A古河藩の江戸詰家老で、蘭学者でもありました。洋書や器具を集め、藩主・土井利位を支えて天保期の諸事件に関わりました。隠居後は古河で研究に専念しています。
Qなぜ国宝に指定されたのですか。
A西洋の陰影法による写実的な顔貌と、東洋画の伝統に基づく装束描写を一画面で融合させた点が高く評価され、崋山肖像画の代表作、日本肖像画史の傑作とされるためです。
Q描いた渡辺崋山はその後どうなりましたか。
A天保10年(1839年)の蛮社の獄で捕らえられ、郷里の田原で蟄居を命じられました。天保12年(1841年)、49歳で自ら命を絶っています。

基本情報

名称絹本淡彩鷹見泉石像〈渡辺崋山筆〉(けんぽんたんさいたかみせんせきぞう)
所在地東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
指定区分国宝(絵画) 昭和26年(1951年)6月9日指定
時代江戸時代・天保8年(1837年)
形状・寸法1幅 絹本淡彩 縦115.1センチ × 横57.2センチ
作者渡辺崋山(1793年生、1841年没)
所有者独立行政法人国立文化財機構
公開状況通年公開ではなく、時期を限って展示

References

e国宝(国立文化財機構) 鷹見泉石像
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100147
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/3
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/158935
東京国立博物館 コレクション
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A9972
鷹見泉石記念館(古河市公式サイト)
https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/rekihaku/kinenkan.html
古河市観光協会 蘭学者 鷹見泉石
https://www.kogakanko.jp/history/senseki

最終更新日: 2026.06.12