恋歌が散る、丸みを帯びた仮名の一巻

小ぶりで丸みのある文字が、行を整然と下るのではなく、紙の上に散らされている。数文字がまとまったかと思えば、細い一筋となって流れ落ちる。書かれたのはおよそ九百年前。中国から運ばれた唐紙の上に、夾竹桃の文様が雲母で刷り出され、見る角度によって今も淡く光る。

これが『古今和歌集』巻第十二、恋歌二の一部である。京都国立博物館が一巻として収める国宝で、古筆切の世界では「本阿弥切」の名で知られてきた。

断簡が背負う一冊

『古今和歌集』は延喜五年(九〇五)ごろ、醍醐天皇の命によって編まれた最初の勅撰和歌集である。撰者は紀貫之ら四名。二十巻は部立てごとに歌を収め、巻第十二は恋歌の二番目の一群を置いて、思いの始まりから冷めゆく終わりまでを並べる。この巻は、その巻頭からおよそ四十八首、百三十二行を残している。

本文そのものは多くの写本に残り、特に珍しいものではない。国宝とされた理由は、書写した筆と、書かれた料紙の側にある。

「切」とは、もとは巻子や冊子であった和歌集や漢詩集の写本を、後世に鑑賞用として切り離し、掛軸などに仕立て直したものをいう。茶席の床に掛けて一段ずつ味わう習いがあった。この一連の写本の断簡を、近世初頭の能書・本阿弥光悦(一五五八〜一六三七)が愛蔵したと伝わることから、群全体が「本阿弥切」と呼ばれるようになった。

国宝に指定された理由

本巻は昭和四十二年(一九六七)六月十五日、書跡・典籍の部で国宝に指定された。注目すべき点はいくつかある。

第一に書である。古来この筆跡は、平安の能書として名高い小野道風(八九四〜九六六)の手とされてきた。ただし現在の研究はこれを採らない。丸みを帯びた字形と装飾料紙から見て、書写はむしろ十一世紀後半から十二世紀前半、院政期にかかると考えられる。道風の没後およそ二世紀のちである。道風筆の伝えは事実というより古い伝承として読むのが穏当だが、それだけ高名な書き手が当てられたという事実が、この書の評価の高さを示している。

第二に料紙である。八枚を継いだ唐紙は中国渡来の装飾紙で、平安の貴族に重んじられた。具引きの地に夾竹桃の文様を雲母で刷る雲母刷りの技法は、はっきりした色ではなく淡い光沢を残す。料紙の装飾と運筆は一体として鑑賞されるべきもので、銀色の文様の控えめなきらめきが墨の線を際立たせる。

第三に保存の良さである。「本阿弥切」の多くは十行ほどの小断簡として残り、表面の胡粉が剥落して文字の判読が難しいものが少なくない。これに対し本巻は八枚分を伝え、状態もよく、原装にきわめて近い。原本は序と二十巻すべてを備えていたとみられるが、現存するのは諸家に分蔵された数巻分にすぎず、そのなかで本巻はもっとも完存度が高い。古筆を愛した茶人の間では「名物切第一の切」と称され、平安古写本の双璧として高野切と並び称されてきた。

見どころ

個々の文字より先に、文字の置かれ方を眺めたい。平安の仮名書は運筆と同じだけ配置の芸であり、ここでは広い余白がとられ、長短の異なる行が不揃いに紙面を落ちていく。散らし書きと呼ばれるこの手法に、連綿が加わる。数文字が切れ目なくつながったのち、ふと離れる。紙面には、緩急のある律動が生まれている。

紙も墨も傷みやすいため、本巻は常時公開されてはいない。京都国立博物館は書跡の収蔵品を平成知新館の展示室で随時入れ替え、特別展でも折にふれて公開するが、保存のため照明はつねに低く抑えられる。来館が公開時期と重ならない場合は、同館の収蔵品検索や独立行政法人国立文化財機構のe国宝で高精細の画像を見ることができる。ガラス越しに薄れた原本を読むより、運筆を細部まで追えることも多い。

博物館の周辺

京都国立博物館は市街東南の東山に位置し、七条通を一本隔てた向かいに、もう一つの国宝が建つ。十三世紀の長大な堂に千一体の千手観音像を安置する三十三間堂で、それだけで一時間はかけたい場所である。

博物館の構内も、ゆっくり歩く価値がある。明治二十八年(一八九五)竣工の煉瓦造の旧館はそれ自体が重要文化財で、庭園には石仏や礎石が点在し、噴水のかたわらにはロダンの「考える人」の鋳像が立つ。北へ少し歩けば豊国神社や方広寺の大鐘があり、その先からは清水寺へ上る坂道が始まる。

交通の便もよい。京都駅からは市バス一〇〇・二〇六・二〇八号系統が「博物館三十三間堂前」に停まり、門のすぐ前で降りられる。鉄道なら京阪電車の七条駅から西へ徒歩七分ほどである。

Q&A

Qいつ行けば本巻を見られますか。
A常設展示ではありません。光や湿気が古い紙を傷めるため、書跡は入れ替えで期間を限って公開されます。本巻の展示はまれですので、来館前に開催中の展示内容を確認してください。
Q本当に小野道風が書いたのですか。
Aその可能性は低いと考えられています。道風筆は古くからの伝承で、字形や料紙から書写は十一世紀後半から十二世紀前半とみられ、その生涯よりかなり後にあたります。実際の筆者はわかっていません。
Qなぜ「本阿弥切」と呼ぶのですか。
A「切」は大きな古写本から切り離された断簡を指します。「本阿弥」は、この写本の一部を愛蔵したと伝わる近世初頭の芸術家・本阿弥光悦に由来し、その名が群全体に及びました。
Q何が書かれているのですか。
A『古今和歌集』巻第十二、恋歌二の冒頭で、およそ四十八首、百三十二行分です。歌そのものは十世紀初めの成立で、本巻はそれを後年に書写した写本です。
Q近くに見るべき場所はありますか。
A千一体の千手観音像で知られる三十三間堂が通りの向かいにあります。その先の東山の斜面は清水寺へと続き、京都でもとりわけ歩いて楽しい一帯です。

基本情報

名称古今和歌集巻第十二残巻(本阿弥切本)
指定国宝(書跡・典籍) 昭和四十二年(一九六七)六月十五日指定
時代平安時代 書写は十一世紀後半〜十二世紀前半
形状巻子装一巻 八枚継ぎ 約百三十二行 縦約十六・七センチ
材質舶載の唐紙に墨書 夾竹桃文様の雲母刷り
伝承筆者伝小野道風(八九四〜九六六) 実際の筆者は不明
所有者独立行政法人国立文化財機構
所在地京都国立博物館 京都市東山区茶屋町五二七
公開常設展示ではなく、随時入れ替えで折にふれて公開。開催情報を要確認。

References

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/766
京都国立博物館 名品紹介(書跡)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/shoseki/item03/
e国宝(独立行政法人国立文化財機構)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=101056
文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/531548
京都国立博物館 交通アクセス
https://www.kyohaku.go.jp/jp/visit/access/

最終更新日: 2026.06.11