江戸城に残る最大の枡形

旧江戸城外桜田門(きゅうえどじょうそとさくらだもん)は、東京都千代田区皇居外苑にある江戸城の枡形門で、国指定文化財等データベースは寛文3年頃(1663年頃)の建立とし、昭和36年(1961年)6月7日に国の重要文化財に指定された。単に桜田門と呼ばれることが多い。

指定の対象は2棟である。濠に架かる橋に面して本瓦葺の高麗門が建ち、その奥に直角に折れて、脇戸付の櫓門が通路の上へ長い上階を渡す。二つの門に挟まれた石垣囲みの方形空間が枡形で、外桜田門のそれは現存する江戸城の門のなかで最も広い。現地の説明板は約320坪と記す。おおよそ1060平方メートルにあたる。規模には理由があった。ここは西の丸へ南から入る口であり、防備もそれに見合う寸法で造られている。

枡形は石垣の線より外へ張り出す外枡形をとる。囲まれた息苦しさよりも、広場に出たような感覚が先に来るのはそのためだ。北の丸の田安門を思い出すとよい。同じ二重の門でも、あちらは枡形が石垣の内側に畳み込まれ、空間は身体のすぐそばで閉じる。

名称については少し整理がいる。江戸城には桜田門が二つあり、こちらは外側にあたる。内側の内桜田門は現在の桔梗門である。門名はこの一帯が桜田郷と呼ばれていたことに由来するとされ、さらに古くは小田原方面へ向かう道の起点として小田原口と称したとも伝わる。現代の東京ではこの語がもう一度ずれた。交差点の向かいに警察庁と警視庁の庁舎があるため、報道の世界では「桜田門」が警察を指す隠語として使われる。

再建、補強、そして修理の層

17世紀の木組みだけを見に行くと、期待は外れる。しかしその理由のほうが、この門については面白い。

文化庁のデータベースは高麗門・櫓門ともに寛文3年頃(1663年頃)とし、扉金物の刻銘がその根拠として伝えられている。一方、所有者である環境省が公表した調査結果は、より長い経緯を記す。創建は寛永年間(1624〜44年)と推定され、現存する門は史料上、明和9年(1772年)の明和の大火で焼失したのち、安永3年(1774年)までの間に再建されたものとされる、という内容である。両者は一致しない。建立年を引用する際には、どちらの資料に拠るかを明示する必要がある。

これに対し、大正以降の経緯は明確に記録されている。大正12年(1923年)の関東大震災で外壁や棟が落下する被害を受け、大正15年(1926年)に宮内省(当時)が高麗門・櫓門とも解体を伴う修理を行った。外観は旧状を保ちながら、内部は大きく作り替えられている。継手仕口はボルトなどの金物で補強され、土壁は鉄網モルタル塗に置き換えられた。櫓門ではさらに踏み込んだ工事が行われ、櫓下の石垣はコンクリートで積み直し、小屋組は和小屋から洋小屋のトラス構造へ変更、通路上部にあたる櫓内部には石垣間に橋梁トラスが架け渡された。江戸の顔をまとった大正期の土木技術、と言ってよい。

重要文化財の指定は昭和36年。以後は破損箇所の小修理を重ねてきたが、平成24年(2012年)9月から平成25年(2013年)6月にかけて、環境省による本格的な保存修理工事が実施された。高麗門は軸部の腐朽や破損に加え、平成23年の東日本大震災で屋根瓦の落下の危険が生じていたため、柱・梁の一部を解体して部材ごとに補修し、組み直す半解体修理となった。控柱は腐朽と蟻害のあった足元を新材に取り替え、金輪継という継手で古材と一体化させる根継を施している。解体しない柱の根継のためには、門を水平に移動させたうえで約1メートル持ち上げる揚屋工事まで行われた。

屋根は高麗門・櫓門とも全面葺き替えとなった。瓦は一枚ずつ割れや欠けを選別し、そのなかから状態のよい江戸期の古瓦が確認されている。工事ではこれらを引退させず、日当たりがよく保存条件の有利な南面にまとめて葺いた。工事全体の方針は抑制的で、大正期の修理内容を尊重し、必要最低限の補強にとどめている。

桜田門に立つ

安政7年3月3日、のちに万延元年と改元されたこの年の、西暦でいえば1860年3月24日の朝、江戸には雪が降っていた。この門の外で、水戸脱藩士を中心とする一団が大老井伊直弼の行列を襲う。日米修好通商条約に調印し、安政の大獄を進めた人物が、石垣の見える場所で落命した。桜田門外の変を、幕府体制の終わりの始まりとして扱う歴史家は多い。その現場が、いまは皇居ランのコースとして走り抜けられている。

門には事件を示す表示はない。碑を探して歩き回らずにすむよう、先に知っておくとよい。

代わりに見るべきものを挙げる。南側から、左に桜田濠、右に凱旋濠を見ながら橋を渡り、まず高麗門をくぐる。櫓門の屋根は南面を確かめてほしい。平成25年の葺き替えで江戸期の古瓦がまとめられたのがその面である。漆喰壁も一度立ち止まる価値がある。モルタル下地の上に漆喰を塗る仕上げは大正期の技術者が出した折衷案で、平成の修理はそれを踏襲した。軒裏はモルタルに白色塗装である。

日が落ちてからもう一度来られるなら、そのほうがいい。皇居外苑のライトアップは年間を通じて行われ、日没後15分から午後9時まで点灯する。桜田門もその対象で、春夏は白色の柔らかい光、秋冬は温かみのある電球色に切り替わる。背後で明るく光る高層ビル群に対して、照度は控えめに調整されている。

通行は無料で時間の制限もなく、櫓門の上階は非公開。個人の記念撮影に手続きは不要だが、桜の時期など混雑が見込まれる期間に三脚やレフ板を持ち込むことは環境省が控えるよう求めている。プロカメラマンに対価を払う撮影や収益化前提のライブ配信は、別途メディア撮影の手続きが必要になる。東京メトロ有楽町線の桜田門駅が交差点に直結し、霞ケ関駅・日比谷駅からも歩ける。楠木正成像や二重橋までは皇居前広場の玉砂利を10〜15分ほどである。

Q&A

Q旧江戸城外桜田門は通り抜けできますか。拝観料はかかりますか。
A通り抜けできます。皇居外苑への通路として時間帯を問わず自由に通行でき、拝観料や予約は不要です。櫓門の上階は非公開です。
Q旧江戸城外桜田門は桜田門外の変の現場ですか。
Aそうです。安政7年(万延元年)3月3日、西暦1860年3月24日に、この門の外で大老井伊直弼が水戸脱藩士らに暗殺されました。門自体に事件を示す碑や表示は設けられていません。
Q旧江戸城外桜田門はいつ建てられたのですか。
A文化庁の国指定文化財等データベースは高麗門・櫓門とも寛文3年頃(1663年頃)とします。一方、環境省が公表した調査では、創建は寛永年間(1624〜44年)と推定され、現存する門は明和9年(1772年)の大火で焼失したのち安永3年(1774年)までに再建されたものとされており、資料によって年代の記述が異なります。
Q旧江戸城外桜田門はライトアップされますか。時間は何時までですか。
Aされます。皇居外苑のライトアップは年間を通じて実施され、日没後15分から午後9時までです。光の色は春夏が白色、秋冬が電球色に変わります。
Q旧江戸城外桜田門へのアクセスと、写真撮影の可否を教えてください。
A東京メトロ有楽町線の桜田門駅が門前の交差点に直結しており、霞ケ関駅や日比谷駅からも徒歩圏です。個人の撮影に手続きは不要ですが、混雑期の三脚やレフ板の持ち込みは控えるよう求められています。収益を伴う撮影や配信は別途手続きが必要です。

基本情報

名称旧江戸城外桜田門(きゅうえどじょうそとさくらだもん)
所在地東京都千代田区皇居外苑
指定区分重要文化財(建造物) 指定番号 01511
指定年昭和36年(1961年)6月7日
員数2棟(高麗門1棟、櫓門1棟)
構造及び形式高麗門、本瓦葺/脇戸付櫓門、本瓦葺
年代寛文3年頃(1663年頃) 江戸中期
寸法国指定文化財等データベースに記載なし。現地説明板は枡形を約320坪(およそ1060平方メートル)とする
所有者国(環境省)
公開状況常時通行可・無料。櫓門内部は非公開。日没後15分から午後9時までライトアップ

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)旧江戸城外桜田門 外桜田門
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/505
国指定文化財等データベース(文化庁)旧江戸城外桜田門 櫓門
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/506
環境省 皇居外苑「重要文化財『旧江戸城外桜田門』の保存修理工事の完了について」
https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/topics/130628.html
環境省 皇居外苑「見どころ紹介」(ライトアップの時間・光色)
https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/1_intro/highlight.html
環境省 皇居外苑「個人撮影について」
https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/2_guide/photograph.html
文化庁文化財第二課「重要文化財 旧江戸城田安門・清水門について」(江戸城遺構の概要・PDF)
https://www.env.go.jp/garden/content/000147296.pdf

最終更新日: 2026.08.22

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