成城の街角に残る門と石垣

小田急小田原線の成城学園前駅、その西口から歩いておよそ四分。閑静な住宅街の一角に、低い石垣が約五十七メートルにわたって続き、敷地の角でゆるやかに向きを変えている。石垣の上には刈り込まれた生垣がのり、境界は下半分が淡い灰色の石、上半分が緑という二層の構成を見せる。西寄りには大谷石を整層に積んだコンクリート造の門柱が立ち、その脇にはアーチ形の開口をもつ小さな脇門が設けられている。これが志村家住宅の門及び石垣であり、昭和十四年(一九三九年)頃からこの場所に置かれてきた。

この門と石垣は、平成十八年(二〇〇六年)十一月二十九日に登録有形文化財(建造物)として国の登録原簿に記載された。員数は一基、登録番号は13-0213である。保護の対象になっているのは住宅本体ではなく、敷地と街路とを画する境界そのもの、すなわち門柱、袖塀、脇門、そして生垣をのせた石垣の連なりである。

石組みを近くで見ると、その造り方が読み取れる。中心の門柱は鉄筋コンクリートを芯とし、外側を大谷石の整層積で仕上げている。袖塀は大谷石を基礎としてモルタルを塗る。石垣は基礎石に大谷石を二石積み、その上に笠石をのせ、さらに上部を生垣として緑を立ち上げる。工業材料であるコンクリート、採石場から運ばれた大谷石、そして刈り込んだ生垣という三つの素材の取り合わせは偶然ではなく、成城という街の成り立ちと深く結びついている。

「指定」ではなく「登録」という制度

日本の文化財保護にはいくつかの段階があり、その区別を知っておくと現地での見方が変わる。国宝や重要文化財は「指定」される文化財で、傑出した価値をもつものとして厳選される。これに対して志村家住宅門及び石垣は「登録」有形文化財に位置づけられる。登録制度は平成八年(一九九六年)の文化財保護法改正によって設けられた仕組みで、近代以降に数多くつくられた住宅や店舗、橋梁、そして塀や石垣のように、地域の景観を形づくる身近な建造物を守ることを目的としている。

この門と石垣が登録された際の基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」であった。なぜ一軒の住宅の境界が歴史的景観に関わるのか。その答えは、成城という住宅地がどのように造られたかにある。

この一帯の土地は、大正十四年(一九二五年)以降、成城学園の後援会地所部によって分譲された。学園が当時の郊外であった砧村の地に移転し、理想的な学園都市をつくろうとした事業の一環である。分譲にあたっては、宅地が街路と接する部分の扱いについて取り決めが設けられた。板塀や煉瓦塀は風致を害するものとして避け、コンクリートまたは大谷石で土留めをしたうえで、芝を貼った土堤に小樹木を植えるか、生垣を巡らせるよう申し合わされていたのである。昭和十四年頃に築かれた志村家の境界は、この取り決めにほぼ忠実に従っている。初期の計画的な郊外住宅地がどのような姿を目指していたかを、実物として今に示す貴重な事例といえる。

見どころ

まず注目したいのは石材である。大谷石は、東京から北へおよそ百キロメートル、栃木県宇都宮市の大谷地区に限って産出する凝灰岩で、約千五百万年前に火山灰が海底に堆積して固まったものとされる。軽く加工しやすく、火に強く、淡い乳白色に緑や錆色の斑が混じる温かみのある肌をもつ。建築家フランク・ロイド・ライトが大正十二年(一九二三年)竣工の旧帝国ホテル本館に採用したことでも知られ、これを契機に大谷石は当時の建材として広く好まれるようになった。志村家の石垣に視線を走らせるとき、見ているのは、その時代に流行した石材を郊外住宅の境界に用いた一例である。

門柱の整層積に目をとめてほしい。石を不規則に積むのではなく、水平の層をそろえて積み上げる手法である。主門の脇には、壁を抜いたアーチ形の脇門が開く。一歩下がって眺めれば、石垣の上に生垣がのる様子が見て取れる。固い境界の頂部を、緑の生きた植栽で覆うという、成城の街づくりの考え方がここに凝縮されている。

石垣の奥には志村家住宅が建つ。昭和十三年(一九三八年)に白鳳社建築工務所が設計施工した建物で、外観を洋風とし、内部は和洋折衷とする。ただしこの住宅は個人の住まいであり、一般には公開されていない。見学は街路からの外観にとどめ、住まう人の暮らしへの配慮をお願いしたい。門と石垣は、もともと街路に向けて見られることを前提に造られたものであり、その公共的な性格こそが今日の登録につながっている。

周辺の楽しみ方

成城はゆっくりと歩くのにふさわしい街である。街路はゆるやかな碁盤目状に区画され、交差点では見通しを確保するために角を切り落とす隅切りが施されている。並木には桜やイチョウが植えられ、その一部は街が新しかった頃に成城学園の子どもたちの手で植えられたものだという。春には桜を見上げて足をとめる人の姿が見られる。昭和七年(一九三二年)には近くに撮影所が開設され、現在の東宝スタジオへと続く。以来この街は映画の世界と縁の深い土地として知られてきた。

緑を大切にする姿勢は今も受け継がれている。平成十四年(二〇〇二年)に定められた成城憲章は、敷地の街路に面した部分に生垣や樹木を配することを住民に求めており、志村家の境界と響き合う緑の塀が街の各所に見られるのはそのためである。少し歩けば、成城三丁目の桜と紅葉の並木道があり、世田谷区内でも美しい散策路のひとつに数えられる。一般公開されている猪股庭園では、同じように生垣に囲まれた住まいの姿を、より大きな規模で見ることができる。歩きやすい靴を用意し、街全体を見どころとして巡るとよい。志村家の石垣は、その中で丁寧に守られてきた一点の細部である。

Q&A

Q敷地の中に入って見学できますか。
Aいいえ。志村家住宅は個人のお住まいであり、一般には公開されていません。門と石垣は街路から外観をご覧いただけます。これらはもともと街路側から見られることを前提に造られています。歩道から鑑賞し、庭や窓の内側にカメラを向けることはお控えください。
Qこれは国宝や重要文化財ですか。
Aいいえ。国宝や重要文化財は「指定」される文化財で、特に高い価値をもつものが選ばれます。志村家住宅門及び石垣は「登録」有形文化財で、これは平成八年(一九九六年)に近代以降の建造物を守るために設けられた別の枠組みです。平成十八年(二〇〇六年)に、歴史的景観への寄与を理由として登録されました。
Q大谷石とはどのような石ですか。
A栃木県宇都宮市の大谷地区で産出する凝灰岩です。軽くて加工しやすく、火に強く、淡い色合いをもちます。大正から昭和初期にかけて東京で広く使われ、フランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテルに用いたことでも知られます。成城の分譲地では、境界の石垣にコンクリートと並んで大谷石を用いることが認められていました。
Qどのように行けばよいですか。
A小田急小田原線の成城学園前駅が最寄りです。新宿から特急や急行でおよそ二十分の駅で、西口から徒歩約四分です。住宅街の角にあるため、生垣をのせた長い整層積の石垣を目印に探すとよいでしょう。
Qわざわざ訪れる価値はありますか。
A単独では控えめな見どころで、都市計画や近代建築、東京の郊外住宅地の歴史に関心のある方に向いています。並木道や猪股庭園を含めて成城の街を歩く一環として訪れれば、大きな記念物ではなく落ち着いた住宅地の風情を好む方にとって、満足のいく半日の散策になります。

基本情報

名称志村家住宅門及び石垣(しむらけじゅうたくもんおよびいしがき)
所在地東京都世田谷区成城三丁目242-3他
区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成18年(2006年)11月29日(登録番号 13-0213)
員数1基
建築年代昭和14年(1939年)頃/昭和前期
構造及び形式門 コンクリート造、間口6.7メートル。石垣 石造、延長57メートル。大谷石を用い、上部を生垣とする。
所有者個人
アクセス小田急小田原線 成城学園前駅 西口から徒歩約4分
公開状況外観は街路から見学可。住宅は個人の住まいであり非公開。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005932
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/119007
志村家住宅(世田谷区公式ホームページ)
https://www.city.setagaya.lg.jp/02059/3408.html
成城学園を知る(成城学園)
https://www.seijogakuen.ed.jp/about/
大谷石と建築・都市(大谷石文化/宇都宮)
https://oya-official.jp/bunka/culturestudies/kenchikutoshi7/

最終更新日: 2026.06.21