間口1.8メートル、大谷石を七段積んだ門柱
築山家住宅門は、東京都世田谷区砧にある昭和3年(1928年)築の石造の門で、平成19年(2007年)10月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。敷地北側の道路に面して開く。
間口は1.8メートル。左右の門柱は0.6メートル角、高さ1.5メートルで、大谷石を七段に積み、頂部に笠石をのせる。高さ1.5メートルを七段で割ると一段あたりおよそ20センチメートルとなり、当時の石工が石切場に注文した標準的な厚みに近い。
登録の対象は門柱だけではない。石段、石畳、石造花壇が「石段・石畳及び石造花壇付」として構造の記載に含まれている。住宅の塀に開いた小さな門が単独で登録原簿に載っているのは、そのためだ。文化庁は玄関までの到達の全体を一つの造作として扱っている。
石材は大谷石。栃木県宇都宮市北西部の大谷町一帯で採れる軽石凝灰岩で、軽くて軟らかく手道具で加工でき、耐火性と防湿性を備える。この扱いやすさから、大正末から昭和初期に拡大した東京郊外の住宅地では、門柱・石塀・敷石・蔵の腰壁にごく普通に使われた。屋外に置かれた大谷石は年月とともに色むらを帯び、細かな孔に苔を含む。昭和3年から立ち続けた門柱の肌は、切り出したばかりの石とは明らかに違う。
矩折れの意味 ― 門と玄関が正対しない設計
この門で読み取るべきは、門そのものよりも配置である。門は玄関と正対していない。
主屋の玄関は西面にある。一方、門が開くのは北側。道路から入った人は、まっすぐには玄関へ進めない。設計はこのずれを意図的に処理している。門から玄関前までのアプローチには、コンクリート平板が矩折れに敷かれている。直角に一度折れる道筋である。歩く人は途中で向きを変え、住宅は正面からではなく斜めから姿を現す。
その通路を囲む要素も揃っている。解説文は、門が外周の石垣と花壇、玄関前の石段とともに「良好なアプローチ空間をつくる」と評価する。石垣は登録番号13-0219として別に登録されている。宅地は道路より約0.7メートル高く造成されており、石垣は土留も兼ねる。0.24メートル×0.9メートルの大谷石を三段に積み、笠石をのせ、要所に控えをとる。敷地の北辺と東辺、玄関前アプローチの外周にわたって折れ曲がりながら59メートル続き、生垣がこれに沿う。
敷地全体を見渡すと気づくことがある。石垣に用いた大谷石は0.24メートル×0.9メートル、庭の水蓮池の角石は0.24メートル×0.29メートル。0.24メートルという寸法が両者に共通している。まとめて発注した石材を使い分けた可能性が浮かぶが、登録原簿はその点に踏み込んでいない。
同じ住宅では平成19年に4件が同日登録されている。主屋13-0217、門13-0218、石垣13-0219、水蓮池13-0220。告示は同年10月22日、第56回の登録である。登録基準は明快に分かれている。主屋は「造形の規範となっているもの」、門・石垣・水蓮池の3件は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。外構は、まず街並みに属する資産として評価されたことになる。
昭和2年に届いた郊外と、訪ねる際の作法
この門の年代は、より大きな年代の一年後にあたる。小田急小田原線の新宿〜小田原間が開業したのは昭和2年(1927年)4月1日で、祖師ヶ谷大蔵駅も同時に開設された。線路の南側は区画整理事業によって宅地化され、築山家住宅はその土地に翌昭和3年に建てられている。ここに残るのは、通勤圏として生まれたばかりの郊外住宅地の、第一世代の建物である。街路そのものがまだ新しかった時期の仕事だ。
設計した山田醇(1884年〜1969年)は、この仕事に適した経歴を持っていた。埼玉県秩父市金崎の生まれ。明治45年(1912年)に東京帝国大学工学部建築学科を卒業し、辰野葛西事務所で第一相互館の設計に加わったのち、大正6年(1917年)11月に神戸で独立する。大正11年(1922年)に東京へ移り、関東大震災の翌々年にあたる大正13年(1924年)には自邸兼事務所を竣工させた。震災を機に東京の中間層が西郊へ土地を求めた時期と重なる。以後は住宅作家として和洋折衷住宅を手がけ、この門が築かれた昭和3年には『家を建てる人の為に』(資文堂書店)を刊行している。のちに子息の病をきっかけとして健康住宅の研究に向かい、戦後まで著作を重ねた。
訪ねる側にとって、門はこの住宅で実際に見られる数少ない部分である。建物は現に人が住む個人邸で、一般公開はなく、内部にも庭にも立ち入れない。登録有形文化財という制度は所有者に公開を求めるものではない。庭の水蓮池は主屋の裏手にあたるため外からは見えない。公道に面しているのは門と石垣だけで、そこから眺めることが見学のすべてになる。
交通は小田急小田原線の祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩10分ほど。同じ路線の成城学園前駅からも歩けるが、西からのやや長い道のりになる。最後は歩道のない細い道が続く。公道から道路に面した石造部分を撮影することは一般に問題とされないが、ここは人の住まいの玄関先である。門柱・石段・石垣に画角をとどめ、門の内側や窓へレンズを向けない。道をふさがない。呼び鈴を押して見学を求めることも控えたい。開いている門を訪ねたいのであれば、南東へおよそ2キロの砧公園と世田谷美術館がある。
Q&A
- 築山家住宅門は見学できますか。公開されていますか。
- 門は敷地北側の道路に面しているため、公道から外観を見ることはできます。ただし建物は現に人が住む個人邸で、一般公開はされていません。敷地内や建物内部への立ち入りはできませんので、道路上から眺めるにとどめてください。
- 築山家住宅門はどこにありますか。最寄り駅からの行き方は。
- 所在地は東京都世田谷区砧8-18-12です。小田急小田原線の祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩10分ほど。同じ路線の成城学園前駅からも歩けますが、西からのやや長い道のりになります。最後は歩道のない細い住宅街の道が続きます。
- 築山家住宅門の大きさと材料を教えてください。
- 間口は1.8メートル。門柱は0.6メートル角、高さ1.5メートルで、大谷石を七段に積み笠石をのせています。登録の構造記載には石段・石畳および石造花壇も含まれており、門から玄関前までの一連の造作が対象になっています。
- 築山家住宅門はなぜ文化財に登録されたのですか。
- 登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、石垣・水蓮池と同じ基準です。主屋の「造形の規範となっているもの」とは異なります。門、矩折れの石畳、花壇、石垣が一体となって昭和3年の住宅のアプローチ空間を構成している点が評価されました。
- 築山家住宅門は撮影できますか。注意点はありますか。
- 公道から道路に面した石造部分を撮影すること自体は一般に問題とされません。ただし現住の個人邸ですので、門柱・石段・石垣に画角をとどめ、門の内側や窓へレンズを向けないでください。道をふさがないこと、呼び鈴を押して見学を求めないことも守っていただきたい点です。
基本情報
| 名称 | 築山家住宅門(つきやまけじゅうたくもん) |
|---|---|
| 所在地 | 東京都世田谷区砧8-18-12 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 13-0218/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 |
| 指定年 | 平成19年(2007年)10月2日登録、同年10月22日告示(第56回) |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 石造、間口1.8メートル。門柱0.6メートル角、高さ1.5メートル、大谷石七段積・笠石付。石段・石畳及び石造花壇付 |
| 所有者 | 個人(国指定文化財等データベースに所有者名の記載なし) |
| 公開状況 | 非公開。現住の個人邸のため立入不可。門は公道から外観のみ視認できる |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース ― 築山家住宅門
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00006419
- 文化遺産オンライン ― 築山家住宅門
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/171722
- 文化庁 国指定文化財等データベース ― 築山家住宅石垣
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00006420
- 文化庁 国指定文化財等データベース ― 築山家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00006746
- 小田急電鉄 会社小史・略年表
- https://www.odakyu.jp/company/history/
- 文化庁 登録有形文化財(建造物)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
最終更新日: 2026.08.22