敷地の南東、老人室の南に置かれた石造の池

築山家住宅水蓮池は、東京都世田谷区砧にある昭和3年(1928年)築の石造の池で、平成19年(2007年)10月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。同じ住宅では主屋・門・石垣とあわせて4件が同日に登録されており、水蓮池はそのうちの1件にあたる。

規模は小さい。南北に長く、幅1.2メートル、長さ4.1メートル。登録原簿の面積は6.4平方メートルとある。この二つの数字は一見合わない。1.2に4.1を掛けても約4.9平方メートルにしかならないからだ。差を埋めるのが縁石で、池の周囲には幅0.13メートルの石が廻る。これを四方に加えると外形は約1.46メートル×約4.36メートルとなり、掛け合わせて6.4平方メートル。登録上の面積とほぼ一致する。

四隅には0.24メートル×0.29メートルの角石が据えられている。この角石は縁石より幅が広いため、四つの隅で外側へ張り出す。真上から見ると輪郭は単純な長方形ではなくなり、十字形に近い形を描く。文化庁の解説文も「十字形状とする」と記す。

石材はすべて大谷石である。栃木県宇都宮市北西部の大谷町一帯で採掘される軽石凝灰岩で、軽くて軟らかく手道具で加工でき、耐火性と防湿性にも優れる。この性質から、大正末から昭和初期にかけての東京郊外では、石塀・門柱・敷石・蔵の壁材として広く使われた。

置かれた場所にも意味がある。池は主屋南面の東端にある老人室のすぐ南にあたる。日中もっとも人が留まる部屋の視線の先に、水面を用意した配置ということになる。ただし登録原簿が記すのは位置までで、そこに込められた意図までは書かれていない。設計の読み取りとして受け止めておきたい。

登録という制度と、山田醇という設計者

文化財建造物の保護には二つの段階がある。国宝・重要文化財の「指定」は、厳選された少数に対して許可制の強い規制と手厚い保護を行う仕組みである。これに対して「登録」は、平成8年(1996年)10月1日に施行された文化財保護法の一部改正で導入された、より緩やかな制度にあたる。国土開発や生活様式の変化のなかで、評価を受ける前に失われていく近代建造物を広く後世に残すことを目的とし、届出制と指導・助言を基本とする。水蓮池はこの登録有形文化財に属する。

同時に登録された4件の登録番号は、主屋が13-0217、門が13-0218、石垣が13-0219、水蓮池が13-0220。いずれも平成19年10月2日登録、同月22日告示で、第56回の登録にあたる。

興味深いのは、4件で登録基準が分かれている点だ。主屋は「造形の規範となっているもの」として登録されているが、門・石垣・水蓮池の3件は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という別の基準による。池そのものの造形性ではなく、昭和初期の住宅地の景観を構成する一部として評価された、と読むのが自然だろう。

ただし解説文には、池を個別に位置づける一文がある。この種の池を「山田醇設計住宅によく見られる庭園設備」と記しているのだ。つまりこの水蓮池は、類似から推測された作風ではなく、記録として確認された設計者の手癖にあたる。

山田醇(1884年〜1969年)は埼玉県秩父市金崎の生まれ。明治45年(1912年)に東京帝国大学工学部建築学科を卒業し、同期には渡辺仁や西村好時らがいた。辰野葛西事務所に入って第一相互館の設計に加わり、直営実費積算法を考案。大正6年(1917年)11月に神戸で独立し、大正11年(1922年)に東京へ移る。関東大震災をはさんだ大正13年(1924年)には自邸兼事務所を竣工させた。以後は住宅作家として和洋折衷住宅を深めていく。子息の病をきっかけに健康住宅の研究に向かい、昭和期を通じて著作を重ねた。築山家住宅が竣工した昭和3年には、著書『家を建てる人の為に』(資文堂書店)を刊行している。

主屋の姿にも作風がよく出ている。木造2階建、瓦葺、建築面積158平方メートル。中廊下型の平面をとり、南面には幅の広い縁側とテラスを設ける。屋根は急傾斜の切妻で、大きな突き上げ状の屋根窓が載り、妻面はハーフティンバー風に処理されている。

訪ねる前に知っておきたいこと

この住宅は現に人が住む個人邸である。一般公開はなく、建物内部にも庭にも立ち入れない。見学案内も存在しない。登録有形文化財という制度は、所有者に公開を義務づけるものではないからだ。

水蓮池の場合はさらに条件が厳しい。道路から見ると池は主屋の裏手、敷地南東部にあたるため、公道からは視界に入らない。写真が乏しいのも同じ理由による。姿を確かめたい場合は、文化庁の国指定文化財等データベースに掲載された写真が最も確実な手がかりになる。

その代わり、公道から見られるものはある。北側道路に面して門が開き、敷地の北辺と東辺には大谷石の石垣が折れ曲がりながら59メートル続く。石垣は道路より約0.7メートル高く造成された宅地の土留を兼ねる。門も石垣も水蓮池と同じ大谷石で築かれているので、池の石肌や色味、積み方の感触は石垣から推し量れる。

交通は小田急小田原線の祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩10分ほど。西側の成城学園前駅からも歩けるが、こちらはやや遠い。最後は歩道のない細い住宅街の道になる。車道の端を歩き、カメラは道路に面した石造部分に向けるにとどめ、庭の内側や窓へは向けない。呼び鈴を押すのも控えたい。落ち着いて時間を過ごしたいなら、南東へおよそ2キロの砧公園と世田谷美術館が選択肢になる。

名称についても触れておきたい。登録原簿の表記は「水蓮池」で、現代の一般的な表記である「睡蓮池」とは漢字が異なる。読みは同じ「すいれんいけ」。この字面は池が本来何を湛えるための施設だったかを示すが、解説文が記述するのは石造部分のみで、植栽については何も書かれていない。

Q&A

Q築山家住宅水蓮池は見学できますか。公開されていますか。
A公開されていません。現に人が住む個人邸の庭内にあり、内部にも庭にも立ち入れません。池は敷地南東部、道路から見て主屋の裏手にあたるため、公道から眺めることもできません。周辺は住宅地ですので、敷地内をのぞき込むような行為は避けてください。
Q築山家住宅水蓮池はどこにありますか。最寄り駅からの行き方は。
A所在地は東京都世田谷区砧8-18-12です。小田急小田原線の祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩10分ほど、西側の成城学園前駅からもやや距離はありますが歩けます。最後は歩道のない細い住宅街の道になりますので、車道の端を歩いてください。
Q築山家住宅水蓮池はいつ造られ、いつ文化財になりましたか。
A昭和3年(1928年)の築で、小田急小田原線が開業した翌年にあたります。登録は平成19年(2007年)10月2日、告示は同月22日、第56回の登録です。登録番号は13-0220で、同じ住宅の主屋・門・石垣とあわせて4件が同日に登録されました。
Q築山家住宅水蓮池は誰が設計したのですか。
A住宅そのものは建築家の山田醇(1884年〜1969年)の設計です。庭園設備の設計者を個別に記した記録は見当たりませんが、文化庁の解説文は、この種の池が山田醇設計の住宅によく見られる庭園設備であると明記しています。
Q築山家住宅水蓮池は国宝や重要文化財なのですか。
Aいずれでもありません。平成8年(1996年)に導入された登録有形文化財(建造物)です。届出制と指導・助言を基本とする緩やかな保護制度で、許可制による強い規制を伴う国宝・重要文化財の「指定」とは別の枠組みにあたります。混同されやすい点ですのでご注意ください。

基本情報

名称築山家住宅水蓮池(つきやまけじゅうたくすいれんいけ)
所在地東京都世田谷区砧8-18-12
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 13-0220/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年平成19年(2007年)10月2日登録、同年10月22日告示(第56回)
員数1所
寸法石造、面積6.4平方メートル。池は幅1.2メートル、長さ4.1メートル。縁石幅0.13メートル、四隅の角石0.24メートル×0.29メートル
所有者個人(国指定文化財等データベースに所有者名の記載なし)
公開状況非公開。現住の個人邸のため内部・庭ともに立入不可。池は敷地南東部にあり公道からは見えない

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース ― 築山家住宅水蓮池
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00006421
文化遺産オンライン ― 築山家住宅水蓮池
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/119294
文化庁 国指定文化財等データベース ― 築山家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00006746
文化遺産オンライン ― 築山家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/197739
文化庁 登録有形文化財(建造物)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html

最終更新日: 2026.08.22