小川氏庭園「環翠園」— 倉吉に息づく近代和風庭園の傑作

鳥取県倉吉市、白壁土蔵群が連なる重要伝統的建造物群保存地区の西端に、長らく一般非公開とされてきた一つの名園があります。「環翠園(かんすいえん)」と呼ばれるこの庭園は、近代倉吉の発展を支えた小川家の邸宅庭園であり、令和3年(2021)11月、ほぼ一世紀の時を経てついに一般公開が始まりました。

大正末期から昭和初期にかけて造られたこの池泉回遊式庭園は、施主の風雅な嗜み、神戸の名匠による作庭、そしてかつてこの地にあった酒造場の面影とが、見事な調和をなして息づいています。山陰随一の規模を誇る個人邸宅の近代庭園として、今、日本庭園を愛する方々の熱い視線を集めている貴重な空間です。

小川家と近代倉吉の歩み

環翠園を語るには、まず小川家の歩みを知る必要があります。江戸時代後期から倉吉で酒造業を営んでいた小川家の事業を飛躍的に拡大したのが、六代目・小川貞一です。彼は銘酒「打吹正宗(うつぶきまさむね)」の酒造業を発展させたほか、倉吉醤油(現・ヒシクラ株式会社)を創業し、製糸業や綿商売にも進出しました。地元の銀行や黎明期の電力会社の取締役を務め、政治家としても鳥取県会議員、貴族院議員を歴任。現在の倉吉西高校や鳥取大学農学部(旧鳥取高等農林学校)の設立にも尽力するなど、まさに近代倉吉の礎を築いた人物といえるでしょう。

しかし貞一は単なる事業家にとどまりませんでした。文化・芸術を深く愛する数寄者として、当代一流の文化人や財界人を自邸に招き、茶会や本懐石をしばしば催したと伝わります。環翠園は、こうした文化的な集いにふさわしい場として構想された庭園であり、地方の名望家が真摯に文化と向き合った時代の精神を、今に伝える稀有な空間なのです。

神戸の名匠・巽武之助による作庭

貞一が作庭を託したのは、神戸の名門「植武(うえたけ)」の流れを汲む庭師、巽武之助(たつみ たけのすけ)でした。もともと小川酒造の酒造場があった敷地に、巽は不整形の池を中心とする池泉回遊式庭園を構成しました。なかでも特筆すべきは、庭園全体を貫く水の流れの趣向です。静謐な水音と水面の輝きが、回遊する人の歩みに静かな抑揚を与え、庭園体験そのものに深い情趣を生み出しています。

庭の中心に佇むのは、茶亭「南山荘(なんざんそう)」。この建物には特別な来歴があります。松江市にある国の重要文化財「菅田庵(かんでんあん)」— 松江藩主にして大名茶人として名高い松平不昧公ゆかりの茶室 — を忠実に写したもので、もとは三朝の地に建てられていたものを、大正末期にこの地に移築したと伝わります。南山荘から池越しに庭を望む構図は、京の名園に比される趣があり、訪れる人を深く感嘆させます。

園内をめぐると、施主の卓越した審美眼が随所に立ち現れます。時代も様式も異なる多様な石灯籠、伯耆国分寺跡から運ばれた古瓦、大坂から移された道標石、そして酒造時代の名残として今も静かに立つ赤煉瓦の煙突 — それらは庭の意匠の一部として巧みに取り込まれ、産業の記憶と美的感性とがこの地で出会った証となっています。

なぜ重要文化財に — 環翠園の文化財的価値

環翠園は、二つの公的指定によってその価値が認められています。平成22年(2010)8月5日、文化庁により国の登録記念物(名勝地関係)として登録されました。これは、近代以降に造られた庭園や景観のうち、保存すべき優れた文化的価値を持つものを保護するために設けられた制度です。さらに鳥取県の指定名勝にも選ばれており、地域文化を象徴する庭園として位置づけられています。

これらの指定の根拠となっているのは、複数の側面から評価される文化的価値です。まず、個人が自らの邸宅のために設えた近代庭園として、山陰地方では最大級の規模を誇ります。さらに、二十世紀初頭の邸宅庭園に求められた要素 — 池泉回遊式の構成、本格的な茶事の場の取り込み、歴史的石造物の意匠的活用、和洋を融合させた邸宅建築との調和 — を、いずれも高水準で備えています。

同時代の庭園で、これほどまでに建築・植栽・庭園美術・本来の地割が一体として残るものは数少なく、その意味で環翠園は近代日本庭園史を実物で語ることのできる稀有な事例です。さらに、武家や宮廷ではなく、地方の有力な実業家が高度な庭園文化のパトロンとなった時代精神を体現する点でも、文化史的に重要な意義を有しています。

見どころのご案内

池と亀島

庭園の中心には不整形の池が広がり、その中央には古典的な「亀島」が浮かびます。亀の頭に見立てられた力強い石組が島の意匠を引き締め、季節ごとの水面の表情の変化が、訪れるたびに新たな印象をもたらします。

茶亭「南山荘」

松江の重要文化財・菅田庵を写したこの茶室は、現役の茶事の場であると同時に、近代における茶室建築研究の貴重な遺産でもあります。畳の割付、窓の配置、露地の運びにいたるまで原本に忠実に造られており、松江まで足を運ばずとも、不昧流の名席を体感できる得がたい場です。

石造物とコレクション

環翠園は、いわば屋外の石造美術館でもあります。伯耆国分寺の古瓦、大坂から運ばれた道標石、各地から集められた多彩な石灯籠 — これらが庭園の景物として巧みに配されており、ゆっくり歩を進めれば、思いがけない出会いが次々と現れます。

赤煉瓦の煙突

とりわけ印象的な見どころが、酒造時代の名残として残る赤煉瓦の高い煙突です。造園に際してあえて取り壊さず景の中に組み入れたこの煙突は、近代産業文化が庭園の成立を支えたという物語を、無言のうちに語りかけてきます。

和洋融合の邸宅建築

庭園に隣接する小川家の住宅は、伝統的な和風主屋に洋館を組み合わせた構成をとっています。これは、内外の賓客を迎える必要があった大正・昭和初期の上流住宅に共通する特徴です。隣接する小川酒造の主屋や蔵をはじめ複数の建物は、国登録有形文化財にも指定されています。

近代文化人とのつながり

小川家の懐の深いもてなしは、当代一流の文化人たちを呼び寄せました。日本画家の菅楯彦(すがた たねひこ)、写真家の塩谷定好(しおたに ていこう)、そしてイギリスの陶芸家バーナード・リーチもまた、日本民藝協会の一行とともにこの地を訪れたと伝えられています。所蔵されたゆかりの絵画、彫刻、陶芸作品の数々が、庭園と一体となって近代文化交流の舞台であった往時を今に伝えています。

周辺のみどころ — 倉吉散策のすすめ

環翠園は、日本でも屈指の趣ある歴史的町並み「白壁土蔵群」のすぐそばに位置しています。玉川沿いに連なる江戸・明治期の町家や黒い瓦と白漆喰の蔵が織りなす一帯は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、徒歩でゆっくり散策しながらカフェや工芸店をめぐるのに最適です。

近隣にはほかにも、倉吉博物館、令和7年(2025)に開館した鳥取県立美術館、車で30分ほどの古湯・三朝温泉などが点在しています。さらに広く足を伸ばせば、霊峰大山の麓に佇む大山寺や、鳥取砂丘への日帰り旅行も十分に可能です。

環翠園は金・土・日曜日のみの開園のため、倉吉に二、三泊の滞在を組むと、土蔵群を朝夕の異なる光のもとで愉しみつつ、ゆとりをもって庭園を訪れることができます。

Q&A

Q予約は必要ですか。
Aはい、すべて事前予約制となっており、利用日の二週間前までの予約が推奨されています。一日五枠の入れ替え制で、各枠の定員も限られているため、庭園の静謐な雰囲気を保つ配慮がなされています。
Q開園日はいつですか。
A原則として毎週金・土・日曜日のみ開園しています。1〜2月、7〜8月、年末年始は整備のため休園となりますので、ご来園前に必ず公式サイトでご確認ください。
Q茶道の体験はできますか。
Aはい、別料金にて抹茶体験のオプションがあり、庭園を眺めながら季節の和菓子とともにお抹茶をお楽しみいただけます。施主・小川貞一が意図したそのままの愉しみ方ができる、忘れがたいひとときです。倉吉観光MICE協会による特別な「夜のお茶会」プログラムもございます。
Qいつ訪れるのが良いですか。
A四季それぞれに異なる魅力があります。晩春には新緑とつつじ、秋には特に見事な紅葉(多くは11月中下旬が見頃)が楽しめます。空気の澄んだ春や初夏の朝は、水を主役とした庭の構成がもっとも美しく際立ちます。
Q県外からのアクセス方法を教えてください。
AJR山陰本線・倉吉駅から約5kmの距離にあります。駅から路線バスで「鍛冶町一丁目」バス停下車、徒歩数分です。倉吉駅にはレンタサイクルもあり、白壁土蔵群とあわせて自転車で巡るのもおすすめです。

基本情報

名称 小川氏庭園(環翠園/かんすいえん)
所在地 〒682-0924 鳥取県倉吉市河原町3030-12
指定区分 国登録記念物(平成22年〈2010〉8月5日登録)/鳥取県指定名勝
庭園様式 池泉回遊式庭園
作庭時期 大正15年(1926)〜昭和4年(1929)
施主 小川貞一(小川家六代目当主)
作庭者 巽武之助(神戸・植武)
茶亭 南山荘(松江・菅田庵の写し)
運営 一般財団法人 小川記念館財団
開園日 原則 毎週金・土・日曜日(1〜2月、7〜8月、年末年始は休園)
開園時間 9:30〜17:00(5枠の入れ替え制)
料金 一般500円/学生300円/小学生以下無料、抹茶付きオプションあり
予約 事前予約制(利用日の二週間前までの予約を推奨)
アクセス JR山陰本線・倉吉駅より約5km、路線バス「鍛冶町一丁目」下車徒歩数分

参考文献

文化遺産オンライン「小川氏庭園」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/180885
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/411/00003692
小川氏庭園 環翠園 公式サイト
https://kansuien.jp/
倉吉観光情報「小川氏庭園 環翠園(かんすいえん)」
https://www.kurayoshi-kankou.jp/ogawake_kansuien/
倉吉市「小川氏庭園『環翠園』一般公開しています」
https://www.city.kurayoshi.lg.jp/4183.htm
おにわさん「小川氏庭園“環翠園”」
https://oniwa.garden/ogawa-kansuien-kurayoshi/
庭園ガイド「小川氏庭園 環翠園の魅力をご紹介(鳥取県倉吉市)」
https://garden-guide.jp/spot.php?i=kansuien

最終更新日: 2026.05.06