大火を越えた安政の土蔵
菅田家住宅衣装蔵(すがたけじゅうたくいしょうぐら)は、富山県滑川市瀬羽町1854-1にある安政2年(1855年)建築の土蔵で、平成29年(2017年)6月28日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積40平方メートル、員数1棟。
この建築年が持つ意味は小さくない。慶応2年(1866年)、隣接する養照寺の大工小屋から出火した「養照寺焼け」により瀬羽町一帯は焼失した。旧北陸街道沿いに残る歴史的建造物の大半は、この火災以後の再建にあたる。衣装蔵はその11年前に竣工し、火災を越えて残った。滑川の旧市街に現存する数少ない慶応2年以前の建造物のひとつである。
土蔵は本来そのために建てられる。木造の軸部を厚い土壁が包み、外側を漆喰で仕上げ、開口部は土戸で塞ぐ。壁体は熱の伝達が緩慢で、扉を閉ざせば内部への延焼を遅らせる。商家が火災に備えて、商品も帳簿も証文も母屋ではなく蔵に納めたのは、この性能を見込んでのことである。
衣装蔵は衣類と反物を納める蔵を指す。菅田家は四代與右衛門の代に呉服太物を扱い、あわせて売薬と質屋を営んだと伝えられる。ここに収められたのは家財としての衣裳だけでなく、商品としての反物でもあった。繊維製品は湿気、虫害、火災に弱く、土蔵はこの三者への対処を一棟でまかなう。
白漆喰と黒漆喰、鳥居枠の窓
登録基準は同一敷地の主屋と異なる。主屋が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」であるのに対し、衣装蔵は「造形の規範となっているもの」により登録された。街路景観への寄与ではなく、意匠それ自体の水準が評価されたことになる。敷地奥の土蔵に対する評価としては珍しい部類に入る。
評価の根拠は仕上げと開口部にある。外壁は白漆喰塗を基調とし、黒漆喰を二箇所に用いる。ひとつは土戸の内側、もうひとつは外壁腰の上部である。黒漆喰は白よりも施工が難しく、材料も高価であった。それを、扉を開いたときにしか見えない土戸の内面に配するというのは、外に向けた誇示ではなく、内向きの意匠判断である。
正面一階の左に扉口を開き、その右、および二階の二箇所に窓を設ける。いずれも大きな鳥居枠を付す。二本の縦材が横材を受ける形が鳥居に似ることからこの名がある。深い開口の土塗り小口を押さえる構造材であると同時に、白一色の壁面に三つの重い枠を配する構成そのものが、この蔵の意匠の中核をなしている。
形式は切妻造平入の二階建。屋根は瓦ではなく鉄板葺で、これは背面側の別の蔵と一体に架けられた覆屋の屋根である。二棟をひとつの覆屋で包む処理となる。平成27年(2015年)に改修された。
四棟の蔵とその後
菅田家の敷地には、かつてこれ一棟ではなく四棟の土蔵が建っていた。滑川市の記録によれば、衣装蔵の南側(背後)に質蔵、西側に薬蔵、その南側に米蔵が並んでいたという。蔵の名は家業の系譜と重なる。初代から三代までの塩、木材、木綿を経て、四代が呉服太物、売薬、質屋へと商いを広げた結果が、この四棟の構成である。
現在、薬蔵と米蔵は解体されて残らない。質蔵は現存するが、所有は他家に移っている。登録原簿が記す「背面側の別の蔵」とはこの質蔵であり、一体に架けられた覆屋は、いま所有の境界をまたいで架かっていることになる。
衣装蔵は主屋の背後、中庭を隔てた位置にある。この立地については率直に書いておくべきだろう。敷地は個人所有で内部は非公開、しかも街道側の間口を主屋が占めるため、公道から蔵の姿を確認できる範囲はごく限られる。瀬羽町を訪れる者が実際に目にするのは主屋であり、衣装蔵については滑川市が設置した案内板の記述に拠ることになる。
同種の建築を近距離で見たいのであれば、周辺に代替はある。道を挟んだ約20メートル先の旧宮崎酒造は、平成22年(2010年)に店舗兼住宅・酒蔵・麹蔵・衣装蔵の4棟が登録されており、そのうち一部は現在カフェとして使われている。荒町1618の小沢家住宅店蔵は明治後期の総二階建で、黒漆喰を壁面全体に用い、観音開扉を構える。菅田家衣装蔵の白と黒の配分を反転させた姿として比較できる。棟の剣形雪割瓦や正面の起り屋根の下屋といった北陸の地方色も併せて確認できる。
交通は、富山地方鉄道本線の中滑川駅から徒歩約8分、あいの風とやま鉄道と接続する滑川駅から徒歩約20分。公開施設ではないため拝観料の設定はない。
Q&A
- 菅田家住宅衣装蔵は見学できますか。公開されていますか。
- 公開されていません。個人所有の敷地内、主屋の背後に中庭を隔てて建つため、内部はもとより外観についても公道から見える範囲は限られます。拝観料や公開日の設定はありません。滑川市が菅田家住宅(主屋・衣装蔵)の案内板を現地に設置しています。
- 菅田家住宅衣装蔵は、なぜ慶応2年の大火で焼け残ったのですか。
- 土蔵造という構法によります。木造軸部を厚い土壁で包み、開口部を土戸で塞ぐため、延焼に対する耐性が高いためです。慶応2年(1866年)の養照寺焼けは瀬羽町一帯を焼き、菅田家の主屋も失われましたが、その11年前に建った衣装蔵は残りました。旧市街に残る大火以前の建造物としては数少ない例です。
- 菅田家住宅衣装蔵の「衣装蔵」とは何を納める蔵ですか。
- 衣類や反物を納める蔵を指します。菅田家は四代與右衛門の代に呉服太物を商ったと伝えられ、家財としての衣裳に加えて商品の反物も収められていたとみられます。繊維製品は湿気、虫害、火災に弱く、土蔵はその対策を一棟で担いました。
- 菅田家住宅衣装蔵の鳥居枠とはどのようなものですか。
- 二本の縦材が横材を受ける形の重厚な窓枠で、鳥居に似ることからこう呼ばれます。衣装蔵では正面一階の扉口の右に一箇所、二階に二箇所設けられています。深い開口の土塗り小口を押さえる役割を持ち、白漆喰の壁面に対する意匠上の要にもなっています。
- 菅田家住宅衣装蔵と主屋では、登録の理由は同じですか。
- 異なります。両棟とも平成29年6月28日の登録ですが、主屋(登録番号16-0123)は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、衣装蔵(16-0124)は「造形の規範となっているもの」の基準によります。衣装蔵は街路景観への寄与ではなく、漆喰の仕上げと鳥居枠を含む意匠が評価されたことになります。
基本情報
| 名称 | 菅田家住宅衣装蔵(すがたけじゅうたくいしょうぐら) |
|---|---|
| 所在地 | 富山県滑川市瀬羽町1854-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 16-0124/登録基準「造形の規範となっているもの」 |
| 指定年 | 平成29年(2017年)6月28日 登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積40平方メートル |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 非公開。主屋背後の個人敷地内にあり、公道から見える範囲は限られる |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース — 菅田家住宅衣装蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00011668
- 文化遺産オンライン — 菅田家住宅衣装蔵
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/222574
- とやまの文化遺産 — 菅田家住宅衣装蔵
- https://toyama-bunkaisan.jp/search/2505/
- 滑川市 — 国登録有形文化財(建造物その二)
- https://www.city.namerikawa.toyama.jp/soshiki/22/3/1/2990.html
- 滑川市 — 国登録有形文化財(建造物その一)
- https://www.city.namerikawa.toyama.jp/soshiki/22/3/1/2989.html
- 滑川市 — 国登録有形文化財(建造物)案内板
- https://www.city.namerikawa.toyama.jp/soshiki/17/machinaka/10547.html
最終更新日: 2026.08.24